崩れゆく日常
「セリア!駄目よ、そんなことをしては!お願い、やめて!!」
「でも、私がやればみんなが助かるわ。……どちらにしても、もう私は長くないわ。ッ……さっきの傷が、結構深いみたい、だから。」
「それなら尚更だよっ!そんな体でどうするのよ!?動いちゃ駄目。直ぐに手当をするから!!」
「ダメダメって、言うけど、これは……私にしか、出来、ない。……お願いリタ……私を、あそこに、連れて、行って……。肩を、貸、して、ほしいの…………。」
「セリア……。」
「お願い、よ。……目が、霞んできたわ…………早く、お願い、だから……早く!!」
「…………わかったわ、セリア。でも、私も一緒だからね。ずっと、一緒だからね!」
「リタ…………。」
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「リタ、リタ?大丈夫?」
「……うぅ、セリア…………私も……。」
「リタ!ねぇリタ!!」
「!!」
不意に目が覚めた。目の前にはセリアの心配そうな顔がある。
どうやら私は夢を見ていたようだ。体中汗ばみ、瞼が腫れぼったい感じがする。
「大丈夫?すごくうなされてたよ?」
「あ……うん、大丈夫だよ。ちょっと悪い夢を見て。」
「それってどんな夢??私の名前叫んでたけど。」
まさか寝言を言っていたとは。無意識でコントロールなどできるはずもないが、正直不覚だ。あの夢の内容を、彼女にだけは知られてはならない。
「…………セリアが、遠くに行ってしまうような気がしたの。」
苦し紛れに、私は、嘘とも本当ともつかない発言をすることにした。
「私はどこにも行かないよ?ジョッシュ兄さんの手紙でも、リタと仲良くするように言われてるし、何より私は初めからそのつもりだけど。」
「そうだよね……うん、私、変な勘違いしてたのかも。」
「そうだよ。さ、朝ごはん行こうよ!」
この時ばかりはセリアの素直な気持ちに救われた。否、この時ばかりではない。あの悪夢に至るまで、彼女は様々な形で私に優しさと安心感をくれたのだ。
「(大丈夫、きっと大丈夫。)」
心の中でそう呟くと、セリアとともに食堂へ向かった。
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『次のスライドをめくって。ではそこを……クリス君、読んでもらっていいかな?』
「はい。~~~~~~……。」
今は授業の時間だ。孤児院には週3回の通信教育があり、ここで最低限の知識を付けて、社会に出られるようにするという仕組みだ。大半の子供たちは、さっさと最低限の教育を終えてしまい、更に発展した教育を受けるようになる。この世界の通信教育は発達しており、個人に合わせた教育内容が段階的に用意され、子供たちはそれをこなす事で学習していくという流れだ。この孤児院の子供たちが優秀なのか、教育システムが余程優れているのかはわからないが、子供たちの中には所謂「落ちこぼれ」という人間は一人たりとも存在しないし、勉強嫌いで逃げ出す子も一人もいない。
『……今日はここまでにしましょう。では、ゆっくり休んでくださいね。』
授業が終わると、講堂から誰もいなくなる。皆それぞれ外で遊ぶ者もいれば、自室で読書し始める者もいるし、その行動は至って自由だ。
だが、講堂から出て行かず、そのまま残って通信端末のタッチパネルを一心不乱になぞっている者がいた。
「僕は、元気にやっています……姉さんの……しばらく顔を見ていないので……今度帰ってきてください……と、よし。」
少年は、したためた文章を画面の右隅にあるポストのようなマークにドラッグした。配達方法は、Qメールと印刷配達。Qメールとは、量子化転送メールのことであり、Eメールと違い電波環境に左右されずに送信できるというメリットがある。
「あらクリス。まだ残ってたのね?探したのよ?」
「あ、シスター。僕に何か用事ですか?」
「私が直接用事というか……あなたとアポロにお客様がいらしてるのよ。」
「僕らにお客??」
少年は訝しげに思いつつも、シスターに連れられその場を後にした。
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「やぁ、こんにちは。君たちがグレン兄弟だね?はじめまして、私はセルモネという者だ。」
目の前には、にこやかに握手を求めてくる中年の紳士がいた。
僕は一瞬警戒して握手をためらったが、アポロは警戒しつつも特に抵抗はないらしく、普通に握手をしていた。そのアポロから、チラッと目配せされる。わかってるよ、僕も握手するんだよね。
「宜しくお願いします。兄のクリスです。」
「礼儀正しいんだね、関心だな。」
僕らにお客さんが来ている。それはわかる。でも何の用事だろう?全くこの人にあったことは無いし、なんの心当たりもないんだけど。
僕がそう考えていると、お茶を淹れてきたシスターが話し始めた。
「実はね、この方はとある貴族の方で、あなたたちを是非引き取って養子にしたいんですって。」
「まぁ、そういう事なんだが…………直ぐに言われても戸惑うだろうし、正直こんな訳のわからないおじさんに、いきなり子供になれって言われても無理だろう。だからせめて、何で今回ここに来たのかだけ話をさせてほしい。」
そう言うと、セルモネさんは自分の前に置かれたティーカップを手に取り、一口飲む。成程、仕草が貴族って感じがする。
そんなことを考えていると、セルモネさんは話し始めた。
「実はね、私は君たちのお父上とは旧知の仲でね……と言っても、一時一緒に提携して商売をしていたんだ。まだ君たちが幼い頃の話だな。結局商売は最終的に失敗して、私とお父上はそのまま分かれてしまったんだが、細々と連絡だけはとり続けていたんだ。でも7、8年前くらいから、ぱったりと音信不通になってしまってね。」
「それって、父さんが死んで俺たちが孤児院にきた頃だ!」
アポロが言う。僕も同じことを思っていた。口からでまかせじゃないみたいだな。
「うん、そうなんだ。それで、つい最近になって風の便りで君たちがここの孤児院にいる事を突き止めた。お父上に生前言われていたんだよ、『もし自分の身に何かあったら、子供たちを頼む』とね。大分遅れてしまったが、約束を果たすために私はここへ来た、という訳さ。」
納得してくれたかな?という顔で僕たちの顔を交互に見る。アポロは頷いている。
僕としても、今のところは疑うつもりはないから頷いた。
「今日のところは、本当にこれを伝えに来ただけなんだ。いきなり押しかけて済まないとは思っている。……そこで提案なんだが、いきなりこんな話を聞かせて迷惑をかけてしまったお詫びをしたい。今夜、レストランを予約してある。そこで一緒に夕食でもどうかな?勿論君たちだけとは言わないよ。ここの孤児院に君たちが世話になっているのなら、私にとっても間接的に恩人たちだからね。誘いたい人たちをみんな誘うと良い。宜しいですか、シスター?」
「ええ、私は構いませんわ。お気遣いありがとうございます。」
何だか話が大きくなってきた。
ここで話だけして帰るでもすれば、僕はこれ以上この人を疑うことはなかったのに。今は疑心暗鬼で一杯というのが本音だ。
「アポロ、どうする?」
ずるいようだが、僕は片割れに意見を求めた。
「ん~……正直わからん。折角のお誘いを断るのも失礼な気がするし、このままお言葉に甘えるのも、会ったばかりだし……。」
確かに。普段結構感情任せに動く割には、こういう時は冷静だから助かる。しかし、こうなると僕たちに決定打がない。どうしようか?そう考えているとシスターが、
「二人共、折角のお誘いなんだからご馳走に預かってきなさい。この方はわざわざ会ったこともないあなたたちのために予約までしてきてるのよ?」
「いや、シスター。私は会ったことはあるんですよ。この子達は覚えてないでしょうが。」
珍しいな。シスターは大体他所の人には遠慮しなさいって言うのに。しかもこの男、僕らだけじゃなくて他の人まで誘って良いだなんて。いくら貴族でも太っ腹すぎやしないか?
話がうますぎる気がするのは僕だけだろうか?
「……分かりました。宜しくお願いします。」
アポロが頭を下げてしまった。仕方なしに僕も頭を下げる。
「2人とも頭を上げてくれ。そんなに畏まらなくて良いんだから。……では、夕方に車を手配するから、そこに乗ってきてくれ。一応全員来てもいいように、大きめの車を手配するから。では、私はこれで。」
僕らとシスターに会釈をすると、セルモネさんは帰っていった。
「クリス、さっきからあなた変よ?何を疑っているの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど。ちょっと話がうますぎるなって思って。」
シスターからの問いに、思わず本音が漏れてしまう。
シスターは、こんなにストレートに相手を詰問するように会話をする人間だったろうか?僕の気のせいか?
「でもシスター、俺も話がうますぎるとは思ってるよ。だからさ、シスターも付いてきてよ。」
すかさずアポロが助け舟を出してくれた。おまけにシスターを巻き込めば、仮にも僕らの保護者だ。そうそうおかしな真似はできなくなるだろう。
「勿論。私も付いていくわ。他の子達も誘ってらっしゃい、こんなこと滅多にない話なんだから。でも、まだ養子になる話はしちゃ駄目よ。この間、ジョッシュがいなくなってみんな悲しんでるから。」
他の子達も誘うのか。あまり気の進む話じゃないけど、シスターもついてるし大丈夫か。
僕たちは、他の子達も誘いに行くことにした。
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「私は行かない。」
「私も行かない。ね、止めようよ。ハルカ姉さんの料理が一番良いに決まってるじゃない?」
誘いは、意外なところで頓挫していた。アポロとの話し合いの結果、難しそうな方面から攻めていこうということで、まずはシュウ兄さんに声を掛け、あっさり成功。次にハルカ姉さんに声を掛けたら、夕食を食べる人が誰もいないならという条件付きで了承。シスターは元々行く予定だから、後はリタとセリア。この2人ならノリノリでついてくるだろうと予想していたが……。
「何でそんなに嫌がってるんだ、2人とも?」
アポロがしびれを切らして問いかける。しかしアポロの問いも最もだ。貴族が予約するようなレストランでの食事。しかもそこにみんなで行くというのだから。誰が仲間外れになるわけではないし、何より初体験だ。直接声をかけられた僕たちが意固地になるのならまだ理解できるのだが。
「きっとそのおじさん、騙してるんだよ!だから行っちゃ駄目!」
一番驚くのはセリアが先程から物凄い駄々のこね方をしている事。こんなに反論する子じゃないのに。
「私も行かない方が良いと思う。ね、お願いだから、行かないで?」
リタもそうだ。普段は元気に賛成も反対もする子なのに、今回に限って、まるで諭すように語りかけてくる。普段の年相応な態度はどこへやら、だ。
とにかくこの2人は全然意見を曲げない。梃子でも折れない、とはこのことを言うのだろう。
どうしたものか。僕とアポロが困り果てていると、
「……わかったわ。私も残るわ。」
ハルカ姉さんまで残ると言い出した。
「姉さん?どうして?」
「あら、私は『ここで夕食を食べる人がいなければ』と言ったはずよ?それにね、この子達がこんなに意地になって我侭を言う事なんてまず無いもの。相当嫌な感じがしているのよ。ね、2人とも?」
「うん。」
「……。」
リタは返事をし、セリアは無言のまま頷く。
仕方がない。僕たちは彼女たちの説得を諦め、今夜の準備のために他所行きの服に着替えることにした。
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「では、4名様で宜しいですね?」
「ええ、宜しくお願いします。」
迎えの車が来て、その車に僕たちは乗り込む。車は人数を確認すると、直ぐに出発した。
窓を覗くと、ハルカ姉さんが手を振っているのが見える。すぐ脇にはあの2人も一緒だが、切ないような残念なような表情でこちらを見ていた。
もしかして、2人とも本当は行きたかったのか。そんなことを思いながら、僕は窓から3人に向かって手を振り返した。
どんなところなんだろう?どういう食事なんだろう?そんなことを考えながら車に揺られていると、左側からよし掛かられるような重さを感じて振り向くと、
「アポロ?……寝ちゃったのかい?」
寝たにしては様子がおかしい。目が半開きで、ぐったりしている。おかしい。
「アポロ?しっかりするんだ。シスター、アポロが」
「クリス。」
名前を呼ばれ、その方向を振り向くとシュウ兄さんが目の前にいた。手には何か、銀色に輝くものが握られている。先端が鋭い。
それが注射器だとわかった時にはもう遅く、
「(アポロ……)。」
双子の弟の名前を呼ぼうとしたところで、僕の意識は闇に落ちた。