日常、そして別れ
ここは、とある大きな国の中にある、ごく普通の教会。
この日の天気は、清々しいほどの晴れ。こんな日だからと、シスターは朝の礼拝を終えて、たくさんの色とりどりの洗濯物を干していた。
「ふぅ……いいお天気。でもこうも洗濯物が多いと、さすがに干すのも大変だわ……あ、リタ、セリア!お洗濯物を干すのを手伝って?」
「「はーい!」」
シスターの声掛けに、快く異口同音に応じた2人の少女、リタとセリア。彼女たちは、ここの教会で育てられている孤児だ。否、彼女たちだけではない。周囲には、年齢も性別もバラバラで、人種もバラバラの子供たちがいる。数はおよそ10人にも満たない程。ここにいる孤児たちは大半が、戦争で親を無くしたか捨てられて身寄りのいない子供達だ。
ついこの間まで、世界は大きな戦争の最中だった。たくさんの人が死に、街は破壊され、大陸の形が変わってしまうほどの大きな影響を戦争は世界に与えた。
事の発端は、外部からの侵略者の襲来。この世界に生きる人々はともに手を携え戦い、辛くも勝利を収めることができたが、収めた勝利の代償は相当なものだった。ここの孤児たちも、その代償と言えるだろう。生き残った人々は、未だに戦争の悲しみや辛さをぬぐい去ることはできていなかったが、それでも少しずつ前に向かって歩き出していく。今はそんな状況だった。
「よいしょ、これで最後ね。ありがとう、2人とも手伝ってくれて。2人にはご褒美をあげるわね。」
「ほらねほらね!やっぱりシスターご褒美くれたでしょ?」
そう言ったのは、濃いブルーの瞳とお揃いの色をした長い髪をポニーテールにまとめた少女、セリアだった。
「本当だったね!セリアの夢って、よく当たるよね~。」
セリアに相槌を打つように返事をしたのは、茶色いショートヘアにパステルブルーの瞳を持つ少女、リタだ。
二人の会話を尻目に、やれやれといった表情でシスターは2人に小袋にまとめられたクッキーをそれぞれに手渡す。
「あらセリア、またお告げの夢を見たのね。きっと貴女は女神さまから選ばれたのね。」
「えへへ、そうかな?でも私は一度も女神さまが夢に出てきたこと無いんだよ?」
「私だって毎日お祈りしているけど、一度も女神さまが夢に出てきたことはないわ。でもね、当たる夢が見られるのはすごいことよセリア。」
「そうだよね、きっと女神さまがセリアにくれたプレゼントだよね!」
「女神なんて、いるわけないだろう。」
突然、3人の会話に割り込む声があった。声変わりが始まった頃なのだろう、変声期特有のハスキー感があるボーイッシュな声だった。声の主はクセのない金髪と薄い緑色の瞳をした端正な顔立ちの少年だった。
「ジョッシュ。女神さまは必ずいます。みんな女神さまのご加護のお陰で毎日過ごせているのよ。」
「シスターがそう思うのは当然だろう。教会で女神を信仰してるんだから。でも俺は信じられない。女神がいるのなら、何故俺たちは孤児としてここにいるんだ?神なら何とかできたんじゃないのか?」
「ジョッシュ……。」
「…………ごめん、シスターを責めるつもりはないんだ。ただ、俺には女神は信じられない。それだけだよ。」
「ジョッシュ兄さん!なんでいっつも女神さまを否定するのよ!?」
「兄さんは教会が好きじゃないの?」
「いや、俺はここにいるみんなのことは好きだ。シスターにも身寄りのない俺たちの面倒を見てくれて毎日感謝してる。ただ、それと女神を信じることは、また別の話だってことだ。」
2人の少女の反論に、少年はそう答えると、
「……シスター。後で話があるんだ。この後部屋に行っても良いか?」
「ええ、わかったわ。……さぁ、セリアもリタもお手伝い終わったんだから、あっちで遊んできなさい。」
2人は不承不承頷くと、広場の方へ駆け出していった。
------------------------------------------------------------
この世界における「教会」について、少し話したいと思う。
この世界には、基本的に教会は女神が祀られている。世界を最初に作り上げたとされる神だ。この神には名が無い。神とは象徴であり、女神像というのもイメージに過ぎない。誰が始めたわけではなく、いつの間にか教会の中には女神像を作り、女神を祀るのが通例になっていた。では何故象徴であるはずの神に、「性別」があるのか?なぜ偶像を作ったのか?理由は単純で、生み出す者は「女性」であり、願いや祈りを捧げる場所として「像」を作り配置したに過ぎない。ただ、その方向性を決定づける歴史的事象はあるが。
女神像という明確なイメージを作るに至った歴史的事象。それは、過去に人類を導いた指導者が女性であった、という事に起因する。過去に発生したスワフ文明、ゴーズ王朝文明という2つの時代があったが、この時の指導者はいずれも男性であり、滅びてしまっている。
現在は様々な種族や人種が多数ひしめく世界。それらを取りまとめ、現在まで戦争こそあれど、滅ぶことなく世界が歩んで来れたのは、全世界の実質的指導者、女王エル・グァのお陰だ。しかし実のところ、彼女は人間ではない。彼女は数百年前に突如異世界より現れた「魔族」と呼ばれる者たちの末裔であり、その頂点に立つ存在だ。無論、人間たちにも指導者はいる。かの有名なスワフ文明の子孫、エルツィーヤ=スワフがそれだ。エルツィーヤもまた女性であり、この2人が今の世界の礎を作り上げた。故に、「女神像」となる。
結論を述べると、この世界における「教会」は一宗教上の産物ではなく、この世界に住む人々の文化と歴史の産物、ということになる。だから教会の外観、特に屋根には十字架など当然ないし、あるのは翼の生えた女神を象った像だけだ。内装に至っては、もはや統一性などなく、共通しているのは女神像を置いてある部屋はかなり広めにできていること、女神像の置き場所は陽のあたる大きめの窓の傍と決まっていることぐらいか。
それが、この世界における「教会」である。
------------------------------------------------------------
「何を揉めていたんだい、2人とも?」
広場から様子を伺っていたのだろう。一人の少年がリタとセリアに話かける。少年は2人よりもやや年上らしい。
「あのねクリス、ジョッシュ兄さんがね、神様なんて信じないって言うから……。」
リタが悲しそうに話し始める。そこに答えるのは、広場にいたもうひとりの人物。
「ジョッシュさんはいつもの事だろ?今更じゃんか?」
そう答えた人物もまた少年。先ほど2人に話しかけた少年に瓜二つの顔立ちをしているが、こちらの少年の方がやや強気な印象を覚える。
「そう言うなよ、アポロ。リタは素直なんだからさ。……でも確かに、神様が絡むとジョッシュさんは言い方がきついかな?」
彼らはクリスとアポロ。この孤児院唯一の双子の兄弟だ。二人とも赤茶色の髪にオレンジ色の瞳をして、クリスは半袖、アポロはタンクトップを着ている。リタとセリアとは割と年齢も近く、よく4人で遊んでいる。
「でもぉ……セリアの夢のお告げまで悪く言われた気がして。」
「私なら気にしてないから、大丈夫だよ。ありがとうリタ。ジョッシュ兄さん、普段は優しいから。」
「よし、じゃあ話は終わり終わり!今日は、川に釣りにでも行くか!」
少し暗くなってきた雰囲気を、半ば無理やり吹き飛ばしてアポロが提案する。
「わぁ、良いね!僕は賛成だけど、2人はどうする?」
「天気も良いし私は賛成!リタも行こうよ。」
「うん……そうだね、行こっか!」
4人はこうして近くの川に行き、アポロを中心にたくさんの魚を釣り、協会に戻る頃には夕暮れになっていた。
「あらお帰りなさいみんな。そんなにたくさん魚を釣ってきて、食いしん坊さんね。」
4人を出迎えたのは、孤児院で一番の年長者であるハルカだ。艷やかでセミロングの黒髪に、大きな茶色い瞳。水色のワンピースに黄色いエプロン姿は彼女によく似合い、年頃の少女の美しさと母のような抱擁感の両方を演出していた。年齢的に孤児院を出て独り立ちしてもいい頃なのだが、シスター一人では面倒を見るのも大変だという理由と、何より自分自身が子供好きということもあり、孤児院に残りシスターとともに孤児たちの面倒を見ている。彼女は主に料理担当で、シスターは洗濯担当。掃除は分担して行っている。
「だって姉ちゃんの作るご飯美味しいんだもん。な、みんな?」
元気よく返事をするアポロの促され、皆それぞれに笑顔で頷く。
「まぁ、じゃあ今日は魚料理のフルコースね。みんな手を洗ったら、料理の手伝いをお願いできる?」
「はーい!」
「わかった!」
「わかったよ、姉さん。」
「えっ……。」
「あれ~?お返事出来ない子は食事抜きだよ?」
「わかったよ、わかりました!」
「ふふっ、よろしい。」
若干一名を除いた全員が色よい返事をし、食事の支度に取り掛かる。4人が手洗いを終えて厨房に入ると、ハルカの他に既に何人か準備していた。食事の準備に関しては、手の空いている人間は全員参加するのがこの孤児院のルールだ。
「おっ、遅かったなお前たち。」
「シュウ兄さん。ごめんごめん、すぐ手伝うよ。」
最初に話しかけたのは、孤児院でジョッシュの次に男子組で年長のシュウだ。彼の語りかけに、即座にクリスが返事をする。
「いや、俺の手伝いはいいから、ハルカさんの魚の鱗とりを変わってやってくれ。お前たち、よく釣りするから魚関連は得意だろ?」
「うん、わかったよ。……ほらアポロ、逃げないで。行くよ。」
クリスに首根っこを捕まえられ、引きずられるように作業に向かった。
「相変わらずだな、あの双子は。よし、リタとセリアは俺と一緒に野菜の皮むきを頼む。」
「「はーい。」」
------------------------------------------------------------
食事の準備を終え、食卓に料理が並べられていく。その途中で、先に席についている人物が2人いた。
「シスターにジョッシュ。お話は終わった?」
唯一2人の事情を知っていたハルカが話かける。
「ええ。食べる前に、みんなにお話をするから、そのつもりでね。」
「わかったわ、シスター。……ジョッシュ、あなたはそれで良いのね?」
「ああ。……心配してくれてありがとう、ハルカさん。」
そうこうしているうちに、料理は全て並べられ、全員が着席する。いつも食事前は全員が食卓に着席してから、みんなで食べ始めるのだ。
「今日も美味しそうな食事ね。みんな、お腹がすいて早く食べたいだろうけど、食べる前にちょっとだけ話を聞いてもらいたいの。いいかしら?」
シスターの申し出に、誰も答える者はおらず、代わりに皆シスターの方を見つめている。彼女はそれを肯定と捉え、話を続ける。
「ありがとう。みんな、孤児院で引き取られた子は、15歳を過ぎたら独り立ち……ここを出て、外で生活していくことができるようになるのは知っているわね?今日は、新しく外の社会の一員になろうと決心した、私たちの家族を紹介するわ。」
シスターがそこまで言うと、おもむろに立ち上がる人物がいた。ジョッシュだ。
「シスター、ありがとう。後は自分で話すよ。……みんな、俺は今年で15になった。4年前にファンさんが出て行った時も、こんな感じで食事前にシスターが紹介してたのを今でも思い出すよ。俺は、明日からここを出て、外の世界に行ってくる。理由は、どうしても自分の目で世界を見て、女神の存在を確かめたいからだ。いずれここには顔見せに帰ってくるつもりではいる。だから、今が最後の別れじゃないから…………みんな、そんな顔をしないでくれ。出て行きづらいだろう?」
見ると、目に涙を浮かべている者、俯いて肩を震わせている者、小さく嗚咽の声を出す者、それを必死にこらえている者。そしてその中には、リタとセリアもいた。
「必ず、帰ってくるんだよな、兄さん?」
シュウが涙ながらに尋ねる。
「当然だ。ここは俺の家で、みんなは俺の家族だ。……さぁ、話は終わりだ。せっかくの食事が覚めてしまったらハルカさんに申し訳ない。食べようか。」
そこまで言うと、シスターに目配せをする。
「じゃあみんな、膝の上に手を置いて。今日一日、平穏無事に過ごせましたことを、我が子達とともに感謝致します。女神さま、明日もまた我らを見守り続けてください。……では、美味しい食事をいただけることを感謝して。良い?元気よくね?いただきます。」
『いただきます!』
こうして、ジョッシュと共に過ごす最後の晩餐が始まった。ジョッシュは普段から感情をあまり表に出す方ではなくクールな印象だが、行動の端端に優しさを感じさせる少年だった。それを皆知っているのだろう。この日ばかりは、皆がこぞってジョッシュの周りに集まり、口々に話かける。
「(みんな、本当に俺を大切にしてくれるんだな……ありがとう、必ず帰ってくるから。)」
あまりの殺到ぶりに、ジョッシュ自身も心密かに決心をしつつ、この日の夕食は夜遅くまで続き、いつもは夜ふかしにうるさいシスターもこの日ばかりはうるさく言うことはなかった。
------------------------------------------------------------
翌朝。
まだ夜も明けたばかりの夜中と早朝の中間くらいの時間。
「もう行ってしまうの?まだいてもいいんじゃないかしら?」
「いや、いいんだ。これ以上いたら決心が鈍ってしまう。……俺は誰も起こさないようにしたんだけど、よく気がついたねハルカさん?」
「あなたのことだもの、きっとそうすると思ったから。私は誤魔化せないわよ?」
はにかみながら意地悪っぽくそう言い返すハルカ。2人の間には、只同じ孤児院で育った同士よりも親密な雰囲気が、漂っていた。
「そうだよな。見送りしてくれて、ありがとう。ハルカ……姉さん。」
「ふふ、久しぶりに姉さんて呼んでくれたね。嬉しいな。昔は姉さん姉さんて、ずぅっと私の後ろを付いて来たオチビさんが、今は私の身長を追い越して立派になったね。」
「やめてくれ、昔の話は。でも、ありがとう。正直最後に顔を、それも笑顔を見せてくれて。かなり元気出たよ。」
「そっかぁ、うん。いつでも帰っておいでよ?遠慮なんかする必要ないからね?」
「ああ、勿論。昨日の夜もそれは言っただろ?必ず帰ってくるからさ。次帰ってくるときはさ、………………。」
「うん?何?」
「……いや、何でもない。次に帰ってきたら、今言いそびれたことを言うよ。」
「何よ?内緒話はやめてよ?」
「いや、内緒話なんて大それたもんじゃないよ。…………それじゃ、そろそろ行くよ。あんまりここで立ち話してたら、折角早起きして準備したのに意味がなくなる。」
「……………………ねぇ、必ず帰ってくるのよ?約束だからね?」
「わかってる。もし帰らないにしても、ファン姉みたいに手紙を送るからさ。」
「駄目。必ず顔を見せに来なさい。」
「はいはい、ハルカさんには敵わないな。じゃあ、行ってきます。」
「行ってらっしゃい。気をつけてね。」
ひとしきり会話をした後、少年は旅立っていった。その足取りはしっかりしており、自信と希望に満ちあふれたものを感じさせる足取りだった。
「…………行ってらっしゃい、バカ。何で言ってくれないのよ………………。」
ただ一人、見送りに立っている少女の呟きは誰にも聞こえぬまま。
少年は旅路に着き、少女は密かに涙を流した。