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姉曰く

テスト期間中以外は、部活の朝練のために六時台に家を出るタロちゃん。

通勤・通学ラッシュを避けるために七時台の電車に乗っているお父さん。

だからいつも決まって、私が最後に家を出る。

それは別に、私だけのんびり寝ている訳ではない。


世間のママさん達が、毎朝時間との戦いをしているのと同じように。

タロちゃんが出掛ける丁度一時間前に起きている私も、戦争を繰り広げるのだ。



まず、朝に洗いあがるように予約セットしておいた洗濯物を干さなければならない。

洗濯機の中にいつまでも入れておいたままだと、せっかく綺麗になったお洋服も臭くなってしまう。

ブンブン、パンパン、カチャカチャ。

振りさばいたり、叩いたりすることで皺を取った洗濯物をハンガーにかける。

そしてそれを干すわけだけれど――うん!

天気予報によると、今日一日は快晴。

太陽の日差しに当てられた洗濯物は、ふっくらと気持ちがよくなる。

心までが晴れやかになった私は、鼻歌を歌いながらお庭に置かれた物干し竿に洗濯物を掛ける。


それが終わると、洗濯機にまた違う衣類を放り込む。

というのも、洗濯表示によって洗い分けなければならないからだ。

洗い終わりは、約一時間後。

それまでに、他を済ませてしまわないと。

パタパタと小走りで台所へ向かう。



冷蔵庫の中から取り出したのは、いくつかのタッパーと卵、鶏肉、お豆腐、ほうれん草。

これらの材料で作る本日のお弁当は、ネギ入り出汁巻き卵、照り焼きチキン、ほうれん草の胡麻和え、人参のきんぴら、かぼちゃの煮付け、豆腐の和風ハンバーグ。

白いご飯の上には、大根の葉を鰹節と醤油で味付けしたふりかけを乗せる予定。


今から作ると言っても、昨夜、お弁当を含める今日一日分の下ごしらえは済ませてある。

その上、きんぴらとふりかけは常備菜だし、煮付けは完成済みだ。

最低限の調理で済むから、比較的短時間で作れるだろう。



ほうれん草をゆがくために、水を入れた小鍋を火にかける。

沸騰されるまでの時間も、勿論無駄にはしない。

片栗粉と、塩コショウだけというシンプルな下味が付いた鶏肉を、皮からフライパンへ入れる。

中火に当てられたことにより、鶏皮の脂の香ばしさが香ってくる。

そうしたタイミングで裏返すと、一面の綺麗な焼き色と、パリパリ食感が出来上がっている。

そこに酒を投入し、弱火にしてからフライパンに蓋をして暫く待つ。


さて、小鍋が沸騰してきたところか。

そこに塩を入れた後、ほうれん草が緑鮮やかになるまでサッと茹でる。

すぐに冷水にとり、水気を絞ってから適度な大きさに切り分けると。

後は味付けをするだけだ。

ゴマ・砂糖・醤油・アルコールを飛ばした酒とみりんを入れた、少し甘めの味付けは、お母さん直伝。


それから、出汁巻き卵の卵液には特製の出汁――といっても、冷水筒に水と乾物を入れて冷蔵庫で放置してあるだけのお手軽なものだが――を入れる。

クルクルと卵を巻き終わると、噛むとじんわり優しい出汁がにじみ出る出汁巻き卵が完成した。


再び鶏肉の様子を確認すると、いい感じ!

鶏はふっくらと火が通っている。

そこに醤油や蜂蜜などを投入すると、ほどなくして照り焼きチキンが出来上がる。

タレが艶やかに輝いており、鼻に届く甘辛い香りが食欲をそそる。

何度も作っているレシピだけれど、やっぱりここは味見を……。

と、手を伸ばしかけた所で。


ピーッ

電子レンジが、温め終わったことを私に知らせた。


「危ない危ない…、食べちゃうところだった」


ブツブツ独り言を言いながら電子レンジから取り出したのは、お豆腐。

お豆腐の上に重しをしてチンすることで、水切りができるのだ。

出てきた水分をシンクに流し、豆腐を入れた器にお肉やネギ、調味料を入れる。

ちなみに私のハンバーグには、豆腐入りでもお肉100%でも、ナツメグが入っている。

それほど高いお肉を買えなかったとしても、お肉の臭みが取れて美味しく食べられるのだ。


よし、ハンバーグの成形も終わったことだし。

手に付いた粘つきを洗い流すついでに、フライパン等の食器も片付けてしまう。

放っておくとシンクに大量の洗い物が溜まる羽目になるし、何よりも、ハンバーグを焼くフライパンが欲しいのだ。


洗い立てのフライパンは温度が冷め切ってしまっているため、しっかりと温め直し。

適温になったところで、空気を抜いたハンバーグのタネを入れる。

じゅうっ!

お肉が焼ける心地よい音がする。

両面に焼き色を付けた後、これにもフライパンに蓋をする。

しっかりと火を通るまでの間に、和風ソース作っておく。


ハンバーグといったら、ジューシー!お肉!!というものをタロちゃんは求める。

運動部で成長期なのだから無理もない。

けれど、今日は鶏肉という別のメインもある。

つまり、メイン二品の豪華ダブル弁当。

出来上がったハンバーグはサッパリとしたものだけれど、タロちゃんの胃袋も満足するに違いない。


大きなタロちゃんのお弁当箱。

中くらいのお父さんのお弁当箱。

一番小さい私の弁当箱。

それぞれにおかずを詰め終えた私は、それを眺めながら一息つく。

野菜もお肉もたっぷり入っていて、おいしそう!


そんな満足げな私の耳に届くのは、時間を知らせる音声だった。


「――次は占いのコーナーです。今日の一位は――…」

「もうこんな時間!あと十分でタロちゃんを起こさなきゃ!」


朝のニューステレビ番組は、いつも決まったものをつけている。

このコーナーは何時から始まる…ということを自然と覚えてしまった私は、タロちゃんの起床時刻に近づいていることを知り、焦りだす。


コンロで鮭を焼くのと同時進行で、味噌汁を作る。

だし汁を火にかけ、一度沸騰させたら火を弱め、味噌を溶き入れてからワカメを入れる。

あとは、納豆と漬物、冷奴、サラダ、があれば十分か。

全ての準備を済ませ、食器をテーブルに並べ終えたのは、時間ギリギリだった。


慌ててタロちゃんの部屋の扉を叩きに行くが、丁度タロちゃんのスマートフォンも鳴り響き、朝を知らせている最中だった。


「タロちゃーん、朝だよ、起きて」


トントントントン、と一定のリズムでノックする。

木製の扉のため、鈍い音しか発しないけれど、しつこく続けると効果がある。

長らく続いたデジタル音が止んだと思うと、「起きた、ありがとう」という眠そうな声が聞こえてくる。


眠りが深いタロちゃんは、目覚まし音にも気付かないことがままある。

だからこうしてお越しに行っているわけだけれど、意外にも、一度目が覚めると二度寝はしない。

ほっとした私は、タロちゃんの部屋の隣にある自分の部屋へ入ると、身支度を済ませる。

エプロンはあるけれど、袖などに脂が飛び散ってしまいかねない。

出来る限り、制服を着ての家事は避けたいという想いの表れだった。


パジャマから制服――私の高校は、黒色のセーラー服だ――に着替え。

校則に則って、髪を耳の下で二つにきゅっと結ぶ。

鏡の前でくるりと一回転し、全身をチェックすると、私はにっこり笑う。


「よし、オッケー!」


そうこうしている間に、お父さんも起き始める時間だ。

お父さんの部屋の扉をタロちゃんの時と同じように叩く。

タロちゃんの眠り方は、お父さんによく似てしまっているようだ。


「おはよう、ありがとう」

「もうご飯出来ているからね」

「分かった」


階下へ降りると、制服姿になったタロちゃんがダイニングにいる。

私がいつもの席に座ると同時に、お父さんが上から降りてくる。

タロちゃんとお父さんがおはようの挨拶を交わしている間に、お味噌汁を器に注ぐ。

それを見たタロちゃんは、私の代わりにお茶碗にご飯をよそってくれた。


全員揃っていただきますをすると、間もなく二人が感想を言ってくれる。


「姉ちゃん、今日もおいしいよ」

「本当。世界一だ」

「二人がおいしそうに食べてくれるから、作り甲斐があるよ」


二人が嬉しそうにしてくれるから、私はもっと作ろうと思えた。

そして、お料理が大好きになった。


温かな気持ちになった私は、自然と笑みを浮かべていた。





------------------


お弁当とスクールバッグを忘れずに持って、玄関の鍵を掛けた所までは覚えている。

それからの記憶は曖昧だけれど、確か、一度瞬きをすると、次の瞬間森にいたのだと思う。


いくつもの大木の葉が茂っており、かろうじて昼間であることは感じ取れても、光の温かさは届かない。

湿り気を帯びた土と苔が、ローファーを汚す。

寂しく静まり返った空間に、私以外の生き物が動く気配はない。


「……なに?」


ぽつりと呟いた筈の言葉は、思いの外大きく響いた。

それに驚いた私は、助けを求めるように鞄からスマートフォンを取り出す。

助けて、タロちゃん、お父さん。

けれど、画面に表示されていたのは圏外の文字。


願いが叶わないことを知り、唐突に恐怖が湧き上がる。

癒しの対象であるはずの木々が不気味に感じられ、逃げたくて仕方がなかった。

我欲の赴くままに、私はその場から歩き出す。



だけれど、それを後悔するのは間もなくだった。

舗装された道路しか普段歩かない私が、ぬかるんだ土を踏み、草木を避けてまともに歩けるはずがない。


「あっ!……痛い」


木の根につまずいた私は、地面にこけてしまう。

身体のあちこちに泥が付き、膝には血が滲んでいる。

傷がずきずきと痛むのにつれて、私の目にも涙が浮かぶ。


どうしてこんな所にいるの?

痛いよ。

怖いよ。

家に帰りたい。


目から涙が溢れ出て、頬を濡らす。

次第に息が詰まってきて、口で呼吸するようになると、嗚咽が混じりだす。

それが森によってこだまされ、私の耳に届くと、自分の声なのか森の声なのか判断がつかなくなる。

泣き声がだんだんと大きくなってしまうのも、仕方がないことだった。




どれ程の時間が経ったのか。

泣き疲れて、涙も途切れ途切れになるけれど、状況は相変わらずで、誰も助けには来てくれない。

きゅっと唇を噛み締めながら立ち上がった私は、再び歩き出す。


私がいないことに気付いたら、タロちゃんもお父さんも心配するよね。

それに、きっと私のことを見守ってくれているお母さんも、私がこんな風だったらいつまでも安心できない筈。

出来る限り、自分で頑張らないと。

ほら、人間って飲まず食わずでも一週間は生き残れるって言うし、お弁当とお茶があるのだから一日や二日歩くことくらい訳がない。


活気づいた私は、ずんずんと進んだ。

けれど、いつまで経っても森を抜けることは出来ず、お弁当とお茶がなくなってから三日が経とうとしていた。




もう、一歩も動けない。

木の根に全身をもたれかけた私は、葉が揺れ動く様子をぼんやりと眺めていた。


私、どうしてこんな所にいるんだろう。

お水、飲みたいな。

二人とも、泣いているかな。


「タロちゃん、お父さん」と呼んだ筈が、かさついた唇が微かに動いただけで、何の音も発されない。

視界のかすみが酷くなり、次第に瞼が重くなる。

意識が遠くなる私の耳に、誰かの足音が聞こえた気がした。






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