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○もう一度、落ち着いて冷静に考えなければならない。
ゆっくり。少しづつでも前に進まねばならない。確実に一歩づつ。
僕には確かな武器がある。言葉。
確実なもの最初で最後のもの、これ以上はないもの。
前へ前へ、道はきっと開かれる。
確かにネズミが部屋へ入って来てしゃべり始めたのには驚いた。
まいった。正直に書いておく。びっくりした。でもそこまで。
なんで直接姿を現さない?なぜ、わざわざ動物を使う?
ドアが開いた。横に開いた。ドアがあるとは思ってもみなかった。
誰か入ってくるそう思ったが、誰も入ってこなかった。かわりにネズミがチョロチョロ。
何の冗談?そいつがしゃべるなんて。
しみかと思ってたがドアの取っ手。触るとあいた。出入り自由。
信じられない。監禁されてる訳ではないらしい。
出ると、牛がいやがった。「案内しますよ」だって?
仕方がなかった。他に何ができる?
俺はネズミに聞いた。いや、ネズミじゃない。ネズミ男にだ。女か?どうでもいい。
ここはどこだ?どうして俺はこんな所にいる?どうなってこうなったんだ?
「やれやれ」。やれやれだと?人間様に向かって、やれやれだって?
ふんづけてやろうか。
全部ちゃんと正確に説明しろ、わかりやすく、簡潔に。何も答えない。
質問には答えず一方的にしゃべり出した。小さい声。自信がないからに決まってる。
最後にこう言う。「早く人間ドックに戻ってはどうですか」
拒否。当たり前だ。
「言葉をもたない。これこそしあわせです」
「お前のしゃべってるそれ、言葉だろうが?」
「ちがいます」
やりきれないとはこのことだ。こいつとしゃべってるってこと自体がおかしい。
なんでこいつの話しを信じなきゃならない?
「そろそろもどりませんか」いまいましい。思い出してもイライラする。
戻るだと?どこへ戻る?ふざけやがって。
人間ドックとやらに入って、夢を見る?望む人生をおくれるだって?
「そこに入ってる奴らは夢を現実だと思ってるのか?」
「ゆめもげんじつもおなじでしょう。じぶんひとりでみる」
言葉一つ一つにいちいち反応していては話が進まない。いらだつばかり。
「そんな所に入ることをみんなが納得するなんて信じられない」
「学校にはいるのとおなじです」
同じ訳がない。教育を受ける権利は、人類の長い歴史経て到達したものなんだ。
同じであるはずがない。
「みんな違う夢を見てるのか?」
「人間の望むものなんてそんなにちがいはありません」
人にはそれぞれ個性がある、人格があり尊厳があり、権利がある。夢がある。
世界にひとつしかない花だ。同じものなんてない。あるはずがない。
「こんなとこに入って生きてるって言えるのか?」
「これがいきるってことです」
思い出してもむかつく。
「俺は会社に行くため電車に乗った、気がつくと砂漠。空から何かが降ってきて、気がつくとここ。
一体どうなってる?何が起こった?」
「電車にのってきがつくとさばくにいた、意味がわからない」
「俺だってわからないよ!」
「あなたにわからないものが、どうしてわたしにわかるんです」
じゃあ、誰がわかってるんだ?天井裏に隠れてる奴か。
「でもわかります」
「何が?」
「電車にのってるあなたをカメラがうつす。砂漠にいるあなたをカメラがうつす。
そのふたつをつなげた映像をあなたがみればいい」
「映画をみた訳じゃない、現実だったんだ!」
「その映像をげんじつだとあなたがおもったんです」
「妻や子供はどうしてる?友人や上司や近所のひとは?俺が死んだと思ってるのか?」
「あなたの頭のなかにしかいません」