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中学生。それは小学生という一つの枠を破り、次の成長段階へと足を踏み出したことを意味する。
身体はこれまで以上に成長し、精神も子供の殻を突き抜けようと、もがき、苦しみながらも一歩ずつ大人に向かって進んでいく。大人に対する反抗、わけのわからない不安感。そんなものを心の内に秘め、時に誰かと助け合い、時に自分の胸の中に閉まって一時の思い出として昇華する。
そんな多感な年頃になった少年少女のもっぱらの興味の対象は異性に関するものだった。
もちろん、それは私も例外ではなく、友達の会話に耳をすませて相槌を打っていた。
「やっぱり光一くんだよね~。見た? 昨日のバスケの試合。他の人たちとはレベルが違ったよー」
「確かに凄かったけどさ、光一くんはバスケ部なんだから上手くて当然じゃない? それよりも蓮くんのパス回しのほうが凄かったと思うな。サッカー部だっていうのにバスケもできるんだもん。やっぱりできる人はなんでもできちゃうんだろうね」
「で、でも……健ちゃんだって格好よかったよ?」
「あ~はい、はい。牧の彼氏も凄かったよー。まったく、牧は本当すぐに健二の話に持って行くんだから……」
「だ、だって……ホントに格好よかったんだから……」
「わかった、わかった……。また、帰る時にでもその惚気話しの相手になってあげるよ。で、秋は誰が一番気になった?」
友人の一人、佳菜子のそんな問いかけに適当に相槌を返していただけの私は言葉に詰まった。
「あっ、え~っと……」
そんな私の様子を見た遥は、またかと言わんばかりにため息をついた。
「なんだ、また聞いてなかったんだ。秋ってこういう話にまったく興味持たないよね。好きな人がいるって話しも聞いたことないし。もしかして私たちに内緒にしているだけで彼氏がいるとか?」
疑り深い眼差しで私をジッと見つめる遥。慌てた私は咄嗟に両手を顔の前でブンブンと何度も交差して否定する。
「違う、違う。もう、何度も言ってるけど私は好きな人なんていないんだってば!」
「え~。せっかくこれだけ可愛いのに持勿体無い。あたしが男だったら絶対に放っておかないけどな~」
そう言って佳菜子は私の身体を上から下まで見回した。
「スタイルも悪くないし、胸だってあたしたちの中で一番だし。ハッキリいうのはちょっとムカつくけど、男子たちの人気もこのクラスの女子で一番なのはあんたなんだよ」
「そ、そうなの?」
初めて聞くその事実に私は驚いた。
「この無自覚さ。これが勝者の余裕か……」
わざとらしく悔しそうに拳を震わせて周りからのツッコミを待つ佳菜子。放っておけばいつまでもそのままでいそうな彼女を放っておくわけにもいかないのか、面倒臭そうに遥が言葉を投げかける。
「はいはい、そうかもね。でも、確かに私も勿体無いと思うな~。引きて数多なんだから試しにでも付き合って見たらいいのに」
そんな遥の提案に牧も控えめに頷いた。
「もしかしたら、付き合ってみて好きになるなんてこともあるかもしれないよ? そうしてみるのも、いいんじゃないかな?」
これ以上この話が続くのはよくないと思った私は咄嗟に話題を変えた。
「そういえばさ、牧ちゃんは健二くんとどこまで進んだの? キスくらいはした?」
「えっ え~っと、それは……」
唐突に話題を振られた牧は言葉に詰まっていたが、それは何から話せばいいのか困っているように見えた。おそらくキスくらいはしているんだろう。
佳菜子と遥は急な話題転換に不満そうにしていたが、私にだって話したくないことがあるのだ。
これ以降はいつものように他愛ない雑談をして、私たちの休み時間は過ぎて行った。
「それじゃあ、また明日」
小さく手を振って分かれ道の一方へ進んでいく佳菜子。残された私と遥もまた手を振り、もう片方の道へと進んでいく。ちなみに、牧は健二を待つためにまだ学校に残っている。
「……で、ホントのところはどうなの?」
二人きりになったのを見計らってか、休み時間に話していた話題を遥が再び持ち出した。
「だから、ホントに誰も好きな人はいないし、付き合う気もないんだってば!」
さすがにしつこいと感じた私はムキになって否定した。そんな私を見て、遥は肩をすくめた。
「なんで、そんなにムキになるのよ」
「だって、遥ってばしつこいんだもん」
「それは、秋がそんなに可愛いのに恋してないのが勿体無いって思ったから……」
「その気持ちは嬉しいけど、私は今誰かと恋愛する気はないの! はい、この話お終い!」
少しだけ不機嫌になった私は遥を置いてズカズカと先に進んでいく。
「ちょっと待ってよ秋! ごめんってば~」
さすがにマズイと思ったのか、後ろから遥が必死に追いかけて来る。そんな彼女に私はクスリと微笑み後ろを振り返りながら追いつかれないよう前に進む。
「や~だっ。許してあげないよー」
追いかけ合いをする私と遥。でも、注意力散漫になっていたせいか、私は道の脇から現れた人影に気がつかなかった。
「あっ!」
と、声をあげた時には既に時は遅く、不意に現れた人にぶつかってしまっていた。
「ご、ごめんなさい……」
そう口にしてから私はその場に凍りついた。
そこにいたのは、眼鏡を掛けたあの人だったからだ。
「いや、こっちこそ。大丈夫? 怪我とかはしてない?」
昔と変わらない柔らかな雰囲気を纏いながら倒れた私を気遣う彼。その行動の一つ一つに目が離せなくて、緊張からか口は酷く渇いていた。
幸いというべきか、向こうは私のことに気がついていなかった。
「いえ、大丈夫です。本当にすみませんでした」
私は深く頭を下げてなるべく顔を見られないようにした。
「そっか、ならよかった。それじゃあ僕はこれで……」
そう言ってこの場を後にする彼。私はかつてと同じようにその背をただ見送っていた。
そんな私の隣にようやく追いついた遥がやって来る。
「ちょっと、大丈夫だった? 結構盛大にぶつかっていたけど」
「うん、平気……」
一見、平然とした様子でそう告げながらも、心の内はとても揺れていた。会わないように避けていた彼にほんの少し触れただけで、強く胸が締め付けられるような思いに駆られるのだ。
「……なるほどね~。彼が、そうなんだ」
そんな私の異変に気がついた遥は彼が私の想い人だと察したようで、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるのだった。
ここまできては私も否定するわけにもいかず……。
「内緒だよ」
と、言うことしかできなかった。
この日、彼との予期せぬ再会によって私の中で燻っていた恋心が再び炎を燃やし始めた。
未だ、彼との距離は遠く離れ、それでもまた彼に触れたい、好いて欲しいと願う気持ちが私に生まれた。