りくるーと! 就職戦線異状あり
――就職戦線の戦友たちへ
快晴だった。
燦々と降り注ぐ午前の太陽に目を細め、アパートの前に立った雛崎昌喜は何とはなしに襟元に手を伸ばす。
指先に触れたのは、ネクタイの結び目。
大学四年生である昌喜には、普段からネクタイを結ぶ習慣はない。
だからだろうか。
息をするたび、僅かな違和感を覚える。
だが、心地よい違和感だと思う。
次に触れたのは前髪。
眉にかからない程度に梳いた髪は、先日美容院に行って整えたものだ。
ワックスもヘアスプレーも嫌味にならない程度に使い、清潔感と爽やかさを演出している。
普段はスニーカーの足元も、今日は革靴だ。こちらも入念に手入れを行い、光沢を放っている。
新調したばかりの紺のスーツは、企業戦士の戦闘服だ。
袖を通すと、不思議と背筋が伸びる。
身だしなみは完璧だ。
手提げカバンの中身もチェック。
会社案内に筆記用具。履歴書三枚。実家から送られてきたお守り。
こちらもパーフェクト。
一分の隙もない。
一通りの自己点検を済ませ、昌喜は満足げに頷いた。
それも当然。
彼は三時間も前に起床し、二回もシャワーを浴び、三回歯を磨き、朝食をとった後にまた三回歯を磨いた。
鏡の前には一時間以上も立ち、何度も何度も点検を繰り返した。
真面目かつインテリジェンスな雰囲気をかもし出すために伊達メガネも考えたが、属性過多な上、狙いすぎだと思われるのも嫌なので止める事にした。
そうして今に至る。
「っしゃあ。行くとしますか」
頬を叩いて気合いを入れると、昌喜は最初の一歩を踏み出す。
何ゆえ彼がこれほどまでに、己の姿に気を使うか。
それは――
「就職戦線へ!」
今日は昌喜が希望する会社の最終面接の日だった。
電子マネーの乗車カードを使い、スタイリッシュにバスに乗り込む。
まだ早い時間だというのに、バスはそれなりに混んでいた。
何となく乗客の視線を感じる気がする。
心地よい視線だ。
あのイケメンはどこの会社のエリート営業マンなのかしら。と、乗客たちは思っているのに違いない。
昌喜は空いていた席に、パンツの折り目を気にしながら腰掛けた。
膝の上にカバンを置くのも忘れない。
頭の中で、今日の面接をシミュレーション。
パターン1
「わが社を希望した動機は何ですか」
「はい。貴社の営業理念が、自分に合っていると感じたからです」
「そのヤル気や良し。来年の春からキミを使ってみる事にしよう」
(省略)
パターン156
「キミはどこの大学かね」
「はい。王城大学です」
「なに? 王城大学? 私も王大の出身なのだよ」
「え!? 本当ですか!? じゃあボクは後輩になるんですね」
「就職活動中の後輩を無下に追い出すわけにはいかん。どうだね。ここで働いてみないかね」
「はい! よろしくお願いします先輩」
「……よし。完璧」
バスに揺られながら、脳内で質疑応答を繰り返していた昌喜は拳をグッと握る。
シミュレーションとは言え、確かな手ごたえを感じる。
百六十にもわたる仮想面接官の仮想質問に答え、その全てから仮想内定を仮想的に勝ち取る事ができた。ちなみに仮想面接の難易度はMAXに設定してある。
万全だ。
これならどんな状況にも対応し、面接官の心を打つナイスな返答をする事ができる。
と、バス停に差し掛かり、バスが速度を緩め始めた。
乗り込んできたのは、大きな風呂敷包みを抱えた上品そうな老婦人だ。
だが、バスは満席。
誰も老婦人に席を譲ろうとはしない。
昌喜はしばし考え、
「どうぞ。座ってくださいマダム」
淀みのない流麗な動きで、席を譲る昌喜。
老婦人は、目を丸くして昌喜を見上げる。
「まあ。こんな年寄りに席を譲るなんて、中々どうして慈愛に満ちた若者なのでしょうか。この世知辛い世の中に、まだ貴方のような人がいるなんて。地獄で仏様にお会いしたような心持でございます」
喜びの涙を浮かべて昌喜に手を合わせる老婦人に、昌喜はハンカチを差し出す。
「涙を拭いてくださいマダム。貴女のようなご婦人に涙は似合わない。なあに。私は次のバス停で降りるつもりだったので、丁度よい時に貴女が現れただけです」
言葉のとおり、昌喜は次のバス停で降りた。
本来、彼の降りるべきバス停はここの六つも先のバス停なのに。
「ふむ。時間には充分余裕があるし、歩いて行くか」
腕時計に目を落とし、昌喜は予定を確認。
こういう事態もあり得るかと、受付時刻の一時間前に到着出来るよう予定を組んでいたのだ。
歩いていっても充分間に合う。
次のバスをここで待つ、という考えも浮かんだが、気持ち的に一つの場所に留まるのはためらわれた。
アグレッシブに行け。と、大学の就職担当の先生は言っていた。
バスを待つよりも、歩いて行く方がアグレッシブな気がしたので、昌喜は改めて一歩を踏み出した。
天稜市と館浪町を分ける境界は、城ヶ咲の山から流れる音連川によって分かたれる。
この橋を渡れば、天稜市の中枢。目的地はすぐそこだ。
橋を渡ろうとしたその時、昌喜は女性の悲鳴を聞いた。
「誰か! 子供が溺れているんです! 誰か助けて!」
慌てて女性に駆け寄る昌喜。
身を乗り出して橋の下を見れば、六歳くらいの男の子が、溺れてもがいている。
昌喜は迷わなかった。
「待ってろ! 今行くぞ!」
ジャケットと靴を脱ぎ、ネクタイを緩めると、欄干に手をかけ勇敢に川へと飛び込んだのだ。
ワイシャツやパンツに水が染み込み、昌喜を縛るが、大きく手足を振り、男の子を救助する。
救助された男の子は、よほど怖かったのだろう。母親に抱き着き泣いた。
母親も息子の無事に安堵して泣きながら何度も昌喜に頭を下げる。
「ありがとうございます。ありがとうございます。ああ、なんという事でしょう。お召し物が濡れてしまいました」
すっかり濡れ鼠になってしまった昌喜は、気にせずにジャケットを着込む。
「いえ。どうかお気になさらずに。スーツはクリーニングすれば元に戻りますが、人の命はそう言う訳にはいきませんから」
「ああ、なんて立派なお方でしょう。お名前をお聞かせてください。そして私にどうかお礼をさせてくださいまし」
「お礼なんてそんな。名乗るほどの者ではありませんよ。それでは先を急ぎますので、失敬」
シュタッ、とニヒルに決めて、昌喜は親子に背を向けた。
頭に水草が乗っている事に昌喜が気付くのは、ここから七百メートルほど歩いた先での事である。
革靴を川の水でガバガバ言わせながら、ずぶ濡れの昌喜は企業ビルの群れを歩いていた。
すれ違う人々は、皆昌喜を見て何事かと振り返る。
正直、参ったと思う。
子供を助けた事には後悔が無いが、せっかくの一張羅が台無しになってしまった。
このまま面接を受ける訳にはいかない。
どこかにコインランドリーは無い物かと捜していると、
「うわあああ!」
昌喜の目の前にあった銀行から、目出し帽を被った五人組が飛び出してきた。
会社員を人質に取った彼らは、手に拳銃と、万札がはみ出したアタッシェケースを持っている。
銀行強盗だ。
強盗は周囲の人たちを銃で牽制しながら、止めてあったワゴン車に乗り込もうとし――
またも迷い無く昌喜は駆け出していた。
昌喜に気付いた強盗たちが、銃を発砲。
悲鳴が上がる中、昌喜は放たれた銃弾を手提げカバンで弾き返し、間合いを詰める。
驚愕する強盗の手を掴んで捻り上げ、延髄にチョップ。
一撃で強盗は気を失った。
昌喜は他の四人の反撃を許さない。
そこから先は、まさに昌喜オンステージだった。
「破!」
昌喜パンチが強盗をダウンさせ。
「ふん!」
昌喜クロスシザースが強盗の腕をなんか有り得ない感じにへし折り。
「ほぉあたぁあっ!」
昌喜キックは強盗を香港映画みたいに十メートルは吹き飛ばし、強盗は何故か積み上げてあったダンボール箱に突き刺さった。
「とやああああっ!」
最後の一人に、雛崎家に伝わる三つの技の一つ、ワイヤーアクションを駆使した昌喜インフェルノをきめた。強盗ははす向かいの証券会社の八階の壁に踵まで刺さった。
「ふぅうはああああああ……」
ぶち倒し、積み上げた強盗の上で呼吸を整える昌喜に、人質だった会社員は、ひたすらに礼を告げた。
「ありがとうございます。また部長に叱られるところでした」
「いえ礼には及びません。ただ、悪が許せなかっただけです」
言いつつ、昌喜は腕時計の時間を確認し、
「……やばい」
青ざめた。
約束の時間はとっくに過ぎていた。
「――まったく最近の若いもんは。社会人になるという自覚が欠けておる」
通された会議室で担当部長の言葉を聞きながら、昌喜はひたすらに頭を下げていた。
遅刻した上に、ずぶ濡れの格好でやって来たのだから、どこの会社に面接に行っても十中八九ダメだろう。
むしろ、受付で追い返されずに面会を許された事に感謝するべきだったのかもしれない。
道中何が起きたかの釈明は出来るのだから。
しかし、昌喜の口は固く結ばれたまま、ひたすらに下げた頭を上げようとはしなかった。
大きな溜息をこぼし、担当部長が、
「キミ。王城大の雛崎昌喜くんだったかね。今日のところは」
言いかけた言葉は、会議室のドアを開けた音に断ち切られる。
「部長! 融資の件ですが」
「なんだ騒々しい。今は面接の途中なのだがね。まったくキミといい、この学生といい、今日日の若いもんはどうなっとるんだ」
「あ、はい! すいませ……あーっ!」
唐突にあがった奇声に何事かと思い、ようやく昌喜は顔を上げた。
そこにいたのは……
「なんだね。薮から棒に大きな声を出して」
「い、いえ部長。実は先ほど、銀行に行った際、銀行強盗に遭いまして」
「なんだと?」
「はい。人質にとられていたところを彼に助けてもらったのです」
さっき昌喜が救出した会社員だった。
「アナタ!」
「パパ!」
次に会議室に飛び込んで来たのは、女性と男の子だった。
「あ、貴方は……!」
「お兄ちゃん! さっきはありがとう!」
「なんだなんだ。今度はなんなんだ?」
畳み掛けるような事態の変動に混乱気味の部長を尻目に、昌喜は驚いていた。
なんと、現れたのは先ほど昌喜が音連川に飛び込んで助けた男の子と母親だったのだ。
「おやおや。何やら騒々しいようですが一体何の騒ぎです? おやま。貴方は確か」
そう言って会議室に顔を出したのは、バスで昌喜が席を譲った老婦人だった。
部長はもう訳が分からないといった風に天を仰いだ。
「……ああ、一体何が何やら……。部下、ワイフ、一人息子と続いて会長まで……」
会長?
今、部長は老婦人を会長と呼んだか。
昌喜の視線を受けて、老婦人は上品に微笑んだ。
「ほほほ。お察しの通り、わたくしは、この会社の会長です。企業面接に行くとは思っておりましたが、まさか我が社でしたとは。縁とは妙なものですねぇ」
確かに、漁師が溺れかけたオッサン助けたら、その人が社長で、建設会社に就職する事になった元暴走族破天荒サラリーマンの話や、とある釣りバカ社員が釣りで社長と仲良くなり、「スーさん」「ハマちゃん」と親しく呼び合って二人でドタバタする話を昌喜も聞いた事がある。
しかし、バスで席を譲った老婦人が会長だったとは。
「……会長。雛崎くんの就職の件ですが……」
部長は汗を拭きながら会長に裁可を委ねる事にしたようだった。
老婦人、いや会長は「ほほ」と上品に笑うと、
「わたくしは常々から、彼のように穏やかな心を持ちながらも激しい怒りによって目覚めた伝説の企業戦士が必要だと思っておりました。どうでしょうか? ここはわたくしの責任を持ち、彼を採用するというのは」
鶴の一声とはまさにこの事だった。
「いや、まったく会長の仰るとおり!」
部長が懐から『日本一』と書かれた扇子を取り出した。
「おめでとう雛崎昌喜くん。我が社は君を採用する!」
会議室に歓声があがったその頃。
天稜市に隣接する鬼哭町に、二つのボール型小型宇宙船が建築物をなぎ倒して降り立った。
クレーターの中心には二人の宇宙人。
ハゲでヒゲでデカイ方が、地面に触ってこう言ったとか言ってないとか。
「良い土だ。良いサラリーマンが育つぜ」と。
……………………………
「で、寝坊した上、面接には行ってない、と?」
ここは昌喜のアパート。
ベッドに腰掛けた昌喜の恋人、皆間真奈美が、カーペットで項垂れる昌喜に言った。
「バカじゃない?」
昌喜はグウの音も出ない。
「ぐぅ」
いや、出たが。
真奈美は呆れ顔で、
「緊張しすぎて眠れなくて、準備だけしこたましといて寝坊なんて、バカ過ぎ」
「あ、あ、でもさ真奈美。スゲーいい夢見たんだよ。バスで席譲ったおバーちゃんが会社の会長でさ、就職決まんの。途中からナッパとか出てきて訳分かんなくなるけど」
「一生夢見てなさい」
コン、と真奈美は昌喜の頭を小突いた。
「お、俺だってさあ……」
へなへなと萎びていく恋人を見ながら、真奈美はため息を一つ。
まったく。どうしてこんなパッとしない男と付き合い始めたのか。
当の真奈美にも分からない。
きっと、のび太との結婚を決意したときのシズカちゃんも同じ気持ちだったに違いない。
要は危なっかしくて放っておけないのだ。
見て無い所でどんなヘマをやらかすか分からない。
女が覚悟と言うか腹を括った時の強さを、神々しさを何と表現すれば良いのか。
「まあ良いわ。私の方は就職決まったし、しばらく養ってあげるわ。ダメ男を」
ヒモ昌喜は思わず真奈美を拝んでいた。
「うわー! 真奈美頼もしい! あーもう! 幸せにしてね!」
「でも、ちゃんとハロワには行ってね。就職支援サイトにも登録しとく事。ホントに私に頼りっぱなしはダメだからね」
「…………頑張りまふ」
時代は就職氷河期時代。
春は遠いし来ないかもしれない。
それでも、だ。
種は植えればいつか必ず芽吹いて花が咲く。
手間隙はかかるが、それも人生のスパイスだ。
職を得て食い扶持を稼いで幸せを築くために、とりあえず昌喜は種を植える事にした。
「……あのさ、真奈美。支援サイトの登録の仕方教えて」
「アンタ、ホントに登録してなかったの……?」
就職活動はお早めに。
「つーか昌喜、卒論は? 私終わったけど」
「ぐげー!」
卒論の製作もお早めに。
『 りくるーと! 』 END
06年に書いた作品です。
当時私は就職活動の真っ最中だったわけですが、大学四年で就職活動を始めるのは遅いのだと、面接に落ちて骨身に染みました。
それでも、なんとかなったので、まだどうにかなる時代だったのかな、と。
後輩たちの就職活動は本当にしんどそうでした。




