第六話 組合の戸口(一)
芦屋の町は、入るのに銭を取る。
僕が出くわした順のまま、いきなり、口を開けたままの僕ごと、お伝えする。朝一番の日と一緒に高台を下り、荷車と駄馬の列のあいだを縫って大手の門へ──屋根つきの木の櫓が二本、そのあいだに、治郎じいさんの家がまるごと通る大門──そして人の流れに運ばれかけたところで、茶色い上っ張りの、休み明けの顔をした男が、僕の胸に手のひらを当てた。
「門銭。ひとり銅貨一枚」
その手を見た。隣の番小屋を見た。もうひとりの茶色い上っ張りが、通る者みんなから取っていた。徒歩は銅貨一枚、荷を積んだ獣は三枚、荷車は五枚。櫓に打ちつけた札を見た。数字が描いてあって、読める者にはきっかりそう書いてあった。
そして僕は、笑い出した。大きくはなく、内側へ、だが笑った。とんでもないことが、たったいま分かったからだ。町では、地面にまで値段がある。踏むのに、銭がかかる。そしてどこかに、大人になったどこかのヨウタが、あの門が一日に呑み込むぶんを銅貨一枚ずつ書きつけている、ぶあつい帳面があるはずなのだ。その帳面に会いたいという、筋の通らない欲が湧いた。
「なにを笑ってる、おたまじゃくし。ひとり一枚」
手持ちは銅貨二枚だった。きっかり二枚。カットの石の二枚。遠征の手箱まるごと、二軒の家の、換金済みの全財産。
大事なものを払うときの格式で払った。ひとりに一枚ずつ。上っ張りの男は見もせずに箱の中で鳴らし、こうして帝陽太と花田語里は、銭の集まる町・芦屋に入った。──銅貨一枚も持たずに。
そして僕らのすぐ後ろで、もうひとつのことが起きた。書いておく。あれから頭を離れないからだ。痩せた男が、薪の束を肩に門へ来て、帯を探り、もう一度探り、銅貨が、無かった。茶色い上っ張りは、怒鳴りもしなければ、押しもしなかった。顎をしゃくった。道の外へ。蠅を払うのと同じ退屈さで。男は行った。薪ごと。来た道を。
「あの人、これからどうするの」カットが、遠ざかる背中を見ながら訊いた。手は四番目のポケットに、癖で、突っ込まれていた。四番目のポケットには、もう、あげられるものが残っていないのに。
「門の外で薪を売るさ。出てくる人たちに」と僕は言った。「安くね。外なら、地面代を払わなくていいから」
早口で言った。答えを持っている者の声で。だが門をくぐりながら、僕はあの男の顔を考え続けていた。怒りの顔ではなかった。慣れの顔だった。そして分かった。僕らにはカットのきれいな石──銅貨二枚に化けたあれ──の値段だったあの門が、別の誰かには、一日まるごとの値段なのだ。門はみんなから同じ額を取る。変わるのは、その一枚が、誰にどれだけ痛いかだ。この勘定も、誰も教えてくれない。
その夜の帳面には、こう載った。
五日目。支出:銅貨二枚(門銭)。手箱:ゼロ。所見:稼ぐつもりで来た場所に、入るために払った。これは途方もない間抜けか、さもなくば外の世界の第一法則である。──蒔くのは、タダではない。どちらかは、夕飯のときに決める。
◆ ◆ ◆
芦屋の中は、数えるものではない。生き延びるものである。
七つの橋脚の石橋を、口を開けたまま渡った。下の川は喫水線まで積んだ川舟だらけで、どの舟にも棹を突く男がいて、みんなどこかへ向かっていて、誰も挨拶を交わさない。芦屋で挨拶をすると時間がかかるからで、そして時間は──もう学びはじめていた──この町で誰もタダではくれない、唯一の通貨なのだ。大通りは区間ごとに匂った。割り振ってあるみたいに。十歩は魚、十歩は向かいの歩道から鼻にきた香辛料、十歩は新しい革、十歩は墨と紙──ここは僕がカットに引っぱられた区間だ。次の菓子の区間ではカットが僕に引っぱられたから、貸し借り無しである。どの店にも文字の染め抜かれた布がさがり、水売りが水を売っていた。水を、売って、いた。元村の水は小川のもので、みんなのものだ。歩き書きの曲がった字で「要研究」と書いた。角には、小声で手紙を読み上げてもらうのに銭を払う人がいた。そして何より、急ぎがあった。濃い、町ぐるみの、蜂の巣の急ぎ。行き先を知らなくても、通りの下手へ押し流されるやつだ。
そしてそのまっただ中で、カットは苦しんでいた。
口には出さない。カットは、大事なことでは弱音を吐かない。だが僕には見えた。町は「何かをあげたい人」で満ちていた──戸口で、節くれた指で銅貨を数える年寄り。ひっぱたかれたばかりの頬の小僧。二人分の荷をひとりで担ぐ女の人──そしてカットは、生まれて初めて、どこから始めていいかさえ分からないほど手が足りず、ポケットはほとんど空で、空のポケットは、満杯のときより重かった。七つポケットの前掛けは、二百十二人の谷のために設計されている。芦屋は、前掛けには大きすぎた。カットは角を曲がるたびにそれを思い知らされていて、僕には、それを見るのが痛かった。通りを数えられない僕自身と、同じだけ。町に呑まれるにも、人それぞれの呑まれ方があるのだ。
やってみたことは、記録しておく。通りを数えようとした。通りは枝分かれした。大通りの店を数えようとして、二つ目の区画で数を失った。芦屋の店はじっとしていないのだ。品物を通りへ出し、引っ込め、値を叫び、札を掛け替える。人を数えようとして、目が回った。元村では、二百十二人を、名前と稼業と借金と歩き方で知っている。ここでは通りひとつで二百十二人とすれ違い、その誰ひとり、僕がいることを知らず、誰ひとり、気にしなかった。
馬子とすれ違ったとき、値引きなしの「おはよう」は丸パン二つより重いと言った。町の「誰でもなさ」は、あれと同じものの、桁違いで一日じゅう続くやつだ。誰もおまえの音量を下げない……誰も、何も上げてくれないからだ。音量も、パンも、仕事も。自由というものには、朝飯がついてこない。
それが、あの朝の発見その二だった。町では、仕事を売り込む十二歳は、珍しくもなんともない。足の生えた邪魔である。
方法立てて、通りごとに、ぜんぶ試した。大市場では店の勘定持ちを売り込んだ。笑いがふたつ、「どきな、坊主」がひとつ、それと、僕の帳面を買おうとした婆さんがひとり(「いい紙だね。銅貨一枚出すよ」──ばあさん、商談にどれだけ近づいたか、知らないだろう)。湊では、頭にやったのと同じ荷数えを売り込んだ。人夫頭がひとり、悪気なしに、刻みの入った物差しと、釘に掛かった算盤板を見せてくれた。「ここじゃもう数えとるんだ、坊主。芦屋だからな」。反物屋では、検算係は要りませんかと訊いて、手代に、髪型の検算でも売り込んだかの目で見られた。そして大通りの両替屋──格子の奥の机、精密な天秤、指の速い男──では、口を開くことすらできなかった。両替屋は目も上げず、手で僕を払った。それでも戦利品は持ち帰った。格子の上に、その日の相場の黒板があって、追い払われながら、二度、全部読んだのだ。銅貨十枚、青銅貨一枚。青銅貨十枚、銀貨一枚。銀貨十枚、金貨一枚。他国銭、目方にて査定。僕が生まれてからずっと使ってきた換算表の、銭の都の黒板による、公式の裏づけである。授業料の値打ちがある追い払われ方というものがある。
昼までの成果。銅貨、ゼロ。仕事、ゼロ。飯、ゼロ。それと、荷物より重くなりはじめた自尊心がひとつ。
そしてそのとき、いつものように──栗林のように、農家のように、旅籠のように──僕の数字が開けられなかった戸を、カットが、戸があったことにも気づかずに、開けた。




