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またね、と言えた日  作者: あさなぎ


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2/5

出会い

 桜が散り始めた四月の放課後。新学期が始まってまだ間もない教室で、落とした消しゴムを、彼女が拾ってくれた。


「これ、白石さんのだよね?」


 私のことを呼ぶ声が、思ったよりも優しくて、胸がドキンと鳴った。


 どうしてだろう。

 前から同じクラスだったのに、彼女――橘 美咲とまともに話したのは、そのときが初めてだった気がする。

 今思えば、ただ消しゴムを返されただけ。些細なやりとり。

 でも、私にはその瞬間がずっと残ってしまった。


 彼女は笑って、私の机に消しゴムを置いた。

 その笑顔が、やけにまぶしかった。


 私の中で何かが動いた。

 きっと、これが始まりだった。

 でもそのときは「友達になれたらいいな」って、それくらいにしか思っていなかった。

 いや、そう思い込もうとしただけかもしれない。


 帰り道も、家に着いてからも、何度も思い出してしまった。

 声の響きも、表情も、消しゴムに触れた指先までも。


 ◇


 それからしばらくの間、私はただ、彼女のことを目で追うだけだった。

 授業中に窓の外を眺める横顔。体育の時間に髪を束ねて走る姿。誰かと楽しそうに笑っている表情。ほんの些細な仕草すら、私には特別に見えた。

 けれど、話しかける勇気はなかった。


 そんな私に、再び声をかけてきたのも彼女だった。

「ねえ、白石さんってノートきれいだよね。見せてもらっていい?」


 昼休み、授業の内容を整理していると、橘さんが当たり前のように椅子を引いて隣に座った。距離が近くて心臓が跳ね上がる。

「あ、うん……」

「ありがとう。私、黒板写すの遅いんだよね」

 彼女は私のノートを覗き込み、シャーペンを走らせる。横顔を見ないようにと思うほど、余計に目がそちらへ引き寄せられた。


 その日を境に、彼女と少しずつ言葉を交わすようになった。

 一緒に教科書を広げたり、図書室で本を借りたり。放課後に偶然を装って帰り道を合わせることもあった。

 けれど――彼女は誰に対しても同じように接しているように見えた。

 クラスの中心にいるわけではないけれど、自然と人が集まる。笑顔は分け隔てなく、声をかけられればすぐ応じる。私だけが特別扱いされているわけではないのだと、痛いほど分かってしまう。

 それでも。


 彼女と過ごす時間は、私にとって日常の小さな救いだった。

 それから少しずつ美咲と一緒に帰ることが増えていった。

 偶然とか、たまたまとか、そういう言葉でごまかせるくらいの小さな回数。

 でも、私にとっては大きなことだった。

 横に並んで歩くだけで嬉しかった。

 同じ方向を見ているだけで、心臓が落ち着かなくなった。

 たぶん美咲には伝わってなかったと思う。だって、美咲はいつも自然だったから。


「今日、寄り道して帰ろうよ」

 私がそう言うと、美咲は少し笑って、でも首を振った。

「ごめん。ちょっと用事があって」

 その「ごめん」の声がやさしくて、余計に胸が痛んだ。

 嫌われたわけじゃないって分かってる。分かってるのに、置いていかれたみたいに感じた。

 でも何度か同じことがあった。

 私が一歩近づこうとすると、美咲は一歩引く。

 話すときには、笑顔は向けてくれるのに、手を伸ばしたら届かない透明な壁があるようだった。

 それでも私は、一緒にいたかった。

 笑ってくれるだけで十分だと思った。

 十分だって、何度も自分に言い聞かせた。

 けれど、心の奥では()()()()を欲しがっている。

 笑顔を見たいだけじゃなくて、もっとそばにいたい。もっと触れたい。

 そんな気持ちがどんどん膨らんでいくのに、声にできなかった。

 もし伝えたら、美咲はどうするだろう。

 きっと、笑って受け流してしまうだろう。

 それが怖かった。


 だから私は、黙ったまま隣を歩くしかなかった。

 沈黙が長くなるほど、心臓の音が大きくなっていった。


 どうして言えないんだろう。

 どうしてこんなに簡単なことが、こんなに難しいんだろう。

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