第7話 追放者
火曜日はミステリー研が部室を使っているから、えすえふ研はお休みだ。
専用の部室があるといいなとはいつも思うけど、うっかりすると部活までなくなるところだったんだよな。
でもこんな四月中旬のポカポカ陽気の日は、まっすぐ家に帰るのもつまらない。
ということで、僕は学校の中庭にあるお気に入りの藤棚のベンチに座って短編のSF小説を読んでいた。
藤の花の季節にはまだ少し早いけれど、人も疎らでこれはこれで悪くない。
「あれ、おにいちゃんじゃない。どうしたの?」
文庫本に没頭していた僕に声を掛けてきたのは妹の萌萌だった。
眼鏡を掛けた制服姿で、耳は見えない。
「いや読書だけど。萌萌は何してるの?」
「んー、なんというか、落とし物を探してたっていうか……」
「なにか落としたの? 大事なもの? 一緒に探そうか」
「いや、大事というわけじゃないんだけど、こないだ失くしたみたいで、ちょっと気になって……」
妹は歯切れの悪い返事をしてくる。
プライベートな問題かもしれないからあまり踏み込まないほうがいいかな。
「そういえば、あれから眼鏡の調子は大丈夫?」
「うん、そっちはだいたい分かってきた。この学校、たまに魔素が強い場所があるからオーバーヒートしちゃったみたい」
「まそ?」
「いや、なんでもないよ。時々休ませれば大丈夫だから」
一瞬視線を逸らした萌萌は、口で微笑みながら首を傾げる。
「だったらさ、萌萌、昼休みも部室で休憩したらどう?」
「そうしようかな。おにいちゃんも来る?」
「もちろん! 一緒にお昼を食べようよ」
妹は嬉しそうに「うん」とうなずく。
しかしやっぱり、部室が週二日しか使えないのってもどかしいよな。
「お前ら何してるんだ?」
その時、突然、男の声が耳に飛び込んできた。
「何って……ん?」
近づいてきたのは髪を金髪にして逆立てた男子生徒だった。
なぜか見覚えがある気がするその彼は、僕の顔を見て親しげな表情を浮かべる。
「隆史じゃないか。何してるんだ、こんなところで」
「おにいちゃんになんの用ですか?」
横から萌萌に尋ねられた彼は、怪訝な表情でそっちを見ている。
その顔を見てようやく思い出した。
「座間君か、変わったな。こっちはうちの妹。えすえふ研の新入部員だよ」
「へー、あの部活に新入部員とか入るんだ。てっきり潰れたかと思ってたぜ」
「お前だって入ってたろ」
この座間君、前に会った時は、ごく普通の黒髪でシャイなオタクだったのだ。
こういう強面キャラじゃ全然なかったのに。
「あんな陰気な部活に入ったのは人生の痛恨というかなんかの間違いだった。隆史もファンタジー研に入れよ。俺が紹介してやろうか」
そう、彼は去年異世界転生ラノベを隠し持っているところを部長にバレて、えすえふ研を追放されてしまった例の元部員なのだ。
「いや、部活なら間に合ってるから」
「そうか、じゃ、気が変わったら言ってくれ。妹さんも」
そう言って片手を挙げて、座間君は去っていった。
「おにいちゃん、なんなのあの人?」
「えーと、元えすえふ研」
「ふーん」
興味なさげにうなずいた妹に、ふと僕は思い出した。
「ところで、さっきの落とし物だけど、やっぱり探しに行く?」
「もともと拾っただけだし、一応探したし、いいかなって気もしてるんだけど。うーん」
大事でないと言ってる割には気になってみたいだな。
うーん、そうだな。
「それじゃさ、おにいちゃんが代わりになんか買ってあげるよ」
「やったー!」
・ ・ ・
「ねぇねぇ、これなんかどうかな?」
「いいんじゃない、かわいいよ萌萌」
駅の近くの小さなアクセサリーショップ。
眼鏡を外した妹が、並んだイヤリングを耳に当てては何度も僕に見せてくる。
「おにいちゃん、さっきからそれしか言わないよね」
「だって本当だから」
鏡を覗き込みながら、妹は澄ました顔の向きを何度も変える。
さっきから、お店の人がちらちらと萌萌に目をやっているのが見える。さすがにガン見してこないのはプロなんだろう。やっぱり気になるよね普通。
「おにいちゃん、これにする!」
僕の妹が選んだのは、金色のシンプルなイヤリングだった。
「うん、いいね。よく似合う」
「えへっ」
・・・
夕食の後、リビングのソファーに深く座った僕の妹は、水色の背表紙の分厚い文庫本を熱心に読んでいる。
「どう、それ面白い?」
この間の猫の表紙のSFを気に入って、同じ作者の本が読みたいと萌萌が借りてきた一冊、そのタイトルは『月は無慈悲な夜の女王』
文庫本にしてはやたらに分厚い本のページから妹は目を離さない。緑色の瞳を素早く上下に動かしながら読み進めている。
「うん、面白いよ。おにいちゃん。SFっていいかも」
白く細い指が次々とページめくりを繰り返す。茶色い髪のボブカットがゆっくりと左右に動き、金色のイヤリングが揺れる。口の端が少しだけ微笑んでいる。
ところで、萌萌が部室から借りてきたこの小説はこんな話だ。
――――
地球連邦政府の圧政に耐えかねた月面都市で革命が勃発。地球からの独立を宣言する。圧倒的な地球軍の攻勢に対し、月面政府は質量兵器による地球への爆撃を開始した。
――――
どこかのリアルロボットアニメで見たことある感じだけど、これって六十年前の作品なのだ。つまりこっちが元ネタで、その内容は半世紀以上経っても古びていない。
「前の小説と作品の方向性は全然違うけど、同じ作者って感じがする。なんというか、科学へのロマンとか」
「あー、わかる」
そうなんだよな。特にこの時代のSFはロマンがあって僕も好きだ。
自分の妹がそれを分かってくれて、ちょっとニンマリしてしまう。
「それに未来の月面都市を舞台とするにもかかわらず、科学に対するロマンに人間性と政治が組み合わさったリアリティのあるドラマを構成しているのが秀逸かな。作者の社会に対する深い洞察力が感じ取れるっていうか」
「お、おう」
妹は話しながらも、ページをめくり続ける。
小説を読みふける妹から窓の外へと目をやると、そこには大きな満月が昇っていた。月っていいよな。やっぱりSFといえば宇宙だ。
四月の夜風はまだ冷たいけれど、上階から見る東京の夜景は煌めくおもちゃ箱のように輝いている。
僕はルーフバルコニーに出てその景色をぼんやりと眺めていた。
萌萌がうちに来るしばらく前、つまり父さんの再婚の少し前に、僕と父さんはおんぼろの公務員宿舎からこのマンションに引っ越してきた。
最初のうちはこの眺めに圧倒されたものだ。
そしてあの頃は、妹ができるだなんて思ってもみなかった。
「きれいだね、おにいちゃん」
僕はバルコニーの柵に寄りかかり、隣の妹とその景色を眺めている。
上空から静かに月が僕たち兄妹を照らす。
「そうだね」
街の明かりの煌めきはどこまでも続いている。
妹のしなやかな腕が僕の手に当たる。ひんやりした指が手のひらに触れてくる。
そして僕たちの背後では、少し大きくなった世界樹が、ゆっくりとした呼吸のように優しい光を放っていた。




