第5話 センス・オブ・ワンダー
眼鏡っ子になった萌萌と一緒に電車に乗る。今日はいろいろあって疲れた。
しかし女の子と下校なんて現実感がない。澄まし顔で吊革に掴まっている妹に何度も視線を向けては、恥ずかしくなってつい目を逸らす。あ、そうだ。
「萌萌、帰りに夕ご飯の買い物していこうよ」
「うん。いいよ、おにいちゃん」
眼鏡を掛けて見かけの変わった妹は、変わらない声で答えてくる。
「萌萌は何が食べたい?」
「うーんそうね。食べたいものかー」
おかっぱ頭を左右に揺すりながら考える妹。
「私が好きなのはĸ¢¶£¶¢¡Θµなんだけど」
「それって料理の名前? それとも食材?」
「料理の名前。私の大好物」
その味を思い出したのか、口元が少しほころんだ。
「そういえば、こっちでも似たようなの見たことあるかも」
「へーそうなんだ」
そうなるとなんとかして食べさせてあげたい。
父さんとの二人暮らしが長いこともあり僕は料理が得意なのだ。さっそく頭の中に様々な料理を思い浮かべる。まずは……
「それって肉を使う料理?」
「うん」
「野菜も入ってる?」
「うん、そうだねおにいちゃん」
だいぶ絞られてきたぞ。
「水気が多い料理?」
「うん!」
どうやら何かを煮た料理っぽい。
「ご飯にあう?」
「とっても」
よし、あと三回で正解してやる!
「色は茶色?」
「そうかな」
「人参と玉ねぎが入ってる?」
「入ってるよ」
「ジャガイモは?」
「もちろん」
これでもう分かった。電車の中、僕は高らかに宣言する。
「よし、萌萌。おにいちゃんが作ってやるよ!」
・ ・ ・
「萌萌の食べたかったのは、これだろ!」
僕は夕食のテーブルの上に、湯気を立てる『肉じゃが』の鍋を置いた。
味付けは麵つゆだけど、これはこれでおいしいんだよな。
「えっ?」
「えっ?」
あれ、なんか違ったかな?
「いや、ちょっと辛味が少ないけど、これはこれでおいしいよ。おにいちゃんありがとう」
まあいいか。萌萌も気に入ってくれたみたいだし。
「でもさ、こうやって家族と夕食が食べられるとか、うれしいよ」
「そういえばだけど、お父さんっていつもこんなに遅いの?」
首をかしげて尋ねてくる萌萌。
「まあね。小さいころからこんな感じで、帰ってこないこともしょっちゅうだし」
「そっかーおにいちゃんも寂しかったんだね」
優しい表情をした妹と目が合う。ちょっとむずがゆさを感じて答える。
「いや、そんなことない、っていうか、友達? がいたから」
「友達?」
「そう、友達みたいなもの。萌萌も後で分かるよ」
・・・
「どう、読書は進んでる?」
「あともうちょっと」
リビングの焦げ茶のソファーに座った妹の緑色の瞳が、部室から借りてきた水色の背をした文庫本の文字を追いかけている。
僕が考えたニックネームの『萌萌』はこの眼の色から来ていたりする。
鮮やかな新緑のような緑から深い森のような翠色まで、ページを読み進める萌萌の瞳は様々に色を変えていく。僕は飽きずにそれを眺めていた。
「終わった! 面白かったー!」
文庫本を閉じた萌萌は、その場で猫のように小さく伸びをした。
膝に置かれた文庫本の表紙の上では、後ろ姿の猫が扉の向こう側を見つめている。その小説の名は『夏への扉』、作者はロバート・A・ハインライン。
「どうだった?」
「うん、面白かった。SFっていいかも」
正直ここで「どこが面白いの何なのこれ、おにいちゃん馬鹿じゃない?」とか言われないかちょっと不安だったのだ。
「だったら、もう萌萌の入部試験は大丈夫だよ」
「えー、一冊読んだだけなのに大丈夫かな?」
まだ心配そうな妹に、つい微笑んでしまう。
「大丈夫。僕が保証するから」
そう、萌萌の感じる将来の不安は、既に未来への好奇心に置き換わった。
それはつまり、
センス・オブ・ワンダー
僕の小さいころからの友達の名だ。
誰もいない家の中でも、辛い時も悲しい時でも、この友達と一緒にいれば僕は寂しくなんてなかった。
そして萌萌もまた、この同じ友達と巡り合った。
一人で異国に暮らして寂しいこともあるだろう。僕や父さんという家族がいたとしても、孤独に感じることもあるかもしれない。そんな時、一冊のSFが心を救ってくれると僕は知っている。
つまり彼女はもう、SF魂を持った一人のSF人なのだ。
「ちなみにどこがよかった?」
「猫とか」
「あー、その本だいたいみんなそう言うよね」
女の子っぽい感想が微笑ましい。
「それとね、コールドスリープとタイムトラベルをうまく組み合わせたストーリーが秀逸だし、技術的な説明と人間関係のテーマがバランスよく書かれた作品だよね。過去に戻って子供時代のヒロインを助ける展開が夢とロマンな感じだった。それに寿命の短い猫が主人公の愛を暗示してるのが印象的かな」
うちの妹、SFガチ勢の素養あったよ。
「あと思ったんだけどね、おにいちゃん」
「なに?」
膝の上の文庫本を手に取った妹が、猫の描かれた表紙を見返す。
「この主人公、大人になったヒロインを捨てて子供時代のヒロインを拾ってくるあたり、ガチのロリコンじゃない?」
「わりと身も蓋もないこと言うね」
☆ △ □
「今日の入部試験、大丈夫かなぁ」
「大丈夫だって萌萌」
週が明けての月曜日の部室、猫の表紙の文庫本を握りしめた萌萌がそわそわと部室の入口に目をやっている。
「部長さん、なかなか来ないね」
「早く来て欲しいの?」
「それはそれで心の準備が……」
さっきから突き出た耳が上下を繰り返していて、子犬みたいで愛らしい。
「あ、部長だ!」
「えっ!」
妹の耳がピョコンと上がる。
「違った」
「はうぅ」
耳がピヨンと垂れる。
萌萌は思いつめたような顔だ。
「いっそのことひと思いに魔法で……召喚、部長さん!」
ガラッ!
「いまファンタジーの話してなかった?」
「部長!」




