第0話 彼女は月の生まれだった
月の北極近く、クレーターの底からさらに一キロメートル地下にある戦略指令室。
彼女が半ば強制的に連れてこられた薄暗いその場所は、赤茶けた地球の映像が映るモニターの光の中に重い雰囲気が立ち込めていた。
「あの、なんで私はここに……」
そう言い掛けた彼女を、壮年の男が遮ってくる。
報道でしか見たことのない月面評議会議長、つまり人類の最高指導者だ。
「時間がないので手短に説明させてもらおう。エルフランド計画は知っているだろう?」
「えぇとまあ、ニュースで見ました。過去に人を送り込むんですよね?」
彼女のぼそぼそとした返答に、男は頷く。
「三百年前、人類は二つの異世界同士の争いから手を引くことを選択した。その結果として一つの世界が滅んだわけだが、残念ながら今は我々が滅びつつある。いやこんなことは歴史学者の君は百も承知な事だったな」
十代後半な外見の黒髪の彼女は、釈然としない表情のまま目をぱちくりとさせる。
男は低い声で話を続ける。
「時間転移の理論が確立された段階で我々はこの計画を立案した。過去に干渉して人類の選択を覆し異世界の一つと手を結ぶというものだ。すでに地球上に確保した橋頭保において時間転移装置は完成している。だが……」
そこで彼は、一呼吸置いた。
「転移で送り込む予定の候補者は、なぜか、全員死亡してしまったのだ」
男は一旦、眼鏡を掛けた彼女の表情を観察するように言葉を区切った。
「事故、戦死、病死など原因はさまざまだが、死亡したのは予備人員含めて十二名全員だ。偶然とは思えないが死因を調べてもテロの可能性は薄い。我々の学者が言うには、歴史からの干渉ではないかと」
唐突な話に彼女は眉を顰める。
「歴史からの? 干渉?」
「君はタイムパラドックスという概念を知ってるか?」
突然、横から別の男が彼女に尋ねてきた。
こちらも見おぼえがある。
「えーっと、SF小説でよくあるやつですよね」
「まあ、そうだな」
頷いた男の顔を見て思い出す。天才物理学者と言われた科学アカデミーの主宰だ。
たしか名前はヌジャラマン。三十代に見えるインド系の男性。
もっともテロメアを細工して寿命の延びた人類にとって、外見にはさほどの意味はない。
「歴史、あるいは因果律の干渉といっていいかもしれない。確率として偶然ではありえない。歴史が修正を拒んでいるとしか考えられないのだ」
「で、なんで私はここに? 私は単なる二十世紀文学史の研究者なんですけど……」
降って沸いた状況に、さっきまでの資料と戯れていた時間が遠く思えてくる。
ヌジャラマンの話は一方的に続く。
「候補者の死亡状況を精査した結果、全てのケースが具体的なミッション・ブリーフィングの後なことが判明した。恐らくだが、歴史改変の蓋然性が高まると因果律に目を付けられて殺されるのではないか、我々はそう考えている」
「はぁ、そうですか」
まるでSFのような話だ。
憮然とした彼女に、物理学者は一瞬肩をすくめる。
「信じられないのも無理はない。とにかく我々はなんというか『ブリーフィングなしで過去に送り込める人間』を探すことにしたんだ。そしてその結果……君の論文を見つけたのだよ」
天才と呼ばれる男は、じっと彼女の目を覗き込んでくる。
そしておもむろに手を掴んできた。
「どうか地球に行って、過去に向かってもらいたい。君は唯一の希望なんだ」
「いや、っていうか、なんで私? 他にもっといい人がいますよね?」
物理学者は目を逸らさずに、ゆっくりと左右に首を振る。
掴んでいる手には絶対に放さない意思を感じる。
「君の他にはもう候補はいないんだ。我々はこのエルフランド計画に全てのリソースを使ってしまった。すでに動員は人類の七割に達している。計画に失敗したら、人類は滅びるか、太陽系から逃げるしかない。君には人類の未来が懸かっているんだ。頼む――――、かぐや君」
それは懇願ではあったが、事実上、拒否はできなかった。
・ ・ ・
彼女は星の瞬く空を見上げていた。
どうせならば青空というものを見てみたかったが、仕方がない。
それでも夜空の満月を見るのは新鮮な感動があった。
「来ちゃったよ……地球……」
呟きながら振り向くと、視界を覆いつくす巨大な球体が聳えていた。
その圧迫感に思わずよろめいてしまう。
「大丈夫かい、お嬢ちゃん」
「あ、はい」
出迎えてくれた司令官に連れられて、球体の元へと移動する。
慣れない1G環境だが、筋力強化は受けていたので歩くことは問題ない。
橋頭保という名のこの基地はかつてテキサスと呼ばれていた場所にある。
彼女から見えるだけで数百の人間が忙しく働いているが、もちろん基地の外は奴らのテリトリーであり、人類は存在しない。
過去に行ったとして、自分は何をすればいいのだろう?
地球に降下するカプセルの中で、彼女は途方に暮れながらも考えていた。
自分の専門である二十世紀は、人類がエルフやオークと遭遇するよりもずっと前の時代だ。普通に考えればこの戦争とは関係がない。
しかし彼女は以前に書いた論文で、二十世紀のファンタジー小説と実際の異世界の類似について指摘していた。つまり、二十世紀に異世界からの小規模な侵入があった可能性と、それが小説に与えた影響を論じていたのだ。
恐らくは、その論文が関係しているのだと思うのだが……
「来たか、かぐや君。これが時間転移装置だ」
先に来ていたヌジャラマンの隣に立ち、頭上に聳える巨大な球体を見上げる。
もはや視界のすべてを占めるそれは、直径数百メートルはあるだろう。
大きすぎて全貌を把握することすらできない。
「大きいですね。これ、何人用なんですか?」
「元々は六人だった。しかし君には当初計画よりさらに過去に行ってもらうことになる。計算では君一人が限界でそれでもギリギリなんだ」
「さらに過去?」
「AD1950年プラスマイナス5年。不確定性原理のためそれ以上絞り込めない」
専門である二十世紀の文化に触れられるのかと、一瞬、心が踊った。
とはいえ、自分が何をするのかいまだ見当がつかない。
「なお、この時代の物は持ち出せない。因果律に干渉する可能性を減らしたいんだ。衣類は当時の物を用意した」
「この眼鏡もいい? 二十世紀の骨董品なの」
「まあ、それならいいが」
ビ―― ビ―― ビ――
その時突然、基地に警報が鳴り響いた。
スピーカーから戦闘配置の声が流れる。
「さあ、やつらと競争だな」
天才と言われた物理学者は息を吐くようにそう言って、コンソールに向かった。
・ ・ ・
基地の外ではレールガンの加速音、そして爆発音が何度も鳴り響く。
時折、衛星軌道上からレーザーが撃ち込まれ、電離した空気がプラズマに輝く。
やがて空が徐々に明るくなってきた。
かぐやの周囲では集まった技術者たちが最終点検を続けている。
「そろそろ準備が終わる。かぐや君はもう乗り込んでくれ」
「あの……」
彼女は見上げるようにヌジャラマンの顔を見る。
「……それで結局、私は、なにをすれば?」
「それは言えないんだ。とにかく、どうしたら人類を救えるかを考えてほしい。もしかしたら、逆に考えてもいいかもしれないな」
物理学者はいたずらっぽく微笑んだ。
その時、凍るような蒼白い光が夜空に現れてきた。巨大な魔法陣が宙に描かれる。
地上のオークやオーガも照らされ浮かび上がってくる。
そして蒼い光の中央からは、漆黒の長い首がのっそりと伸びてきていた。
「ボスのお出ましか。まあいい、まとめて吹っ飛ばしてやる」
「そういえば……皆さんは、どうやってここから逃げるのですか?」
かぐやの質問に、ヌジャラマンは軽く首を振る。
「時間転移装置の起動には七百四十発の核爆弾を使用する。半径五十キロメートルは全て蒸発するんだ。逃げようがない。ま、奴らも道ずれだ」
「そんなの、駄目です!!」
数十のレーザー光条が上空から黒い龍へと降り注ぐ。
しかし龍はプラズマの咆哮をあげて軌道上の衛星を薙ぎ払う。
「いいかかぐや君。この場所を確保するだけで既に人類の三分の一が犠牲になったんだ。もう時間がない」
見回すと、作業を終えた技術者たちが彼女の顔を見て頷いていた。
「そんな……」
「早く、行け!」
立ちすくむ彼女の姿は、押されるようによろけて装置のハッチに呑み込まれる。
ベリリウムで覆った劣化ウランの扉が閉じる重い音が響く。
装置の内部からも、ロック済みの信号が次々と伝わってくる。
コンソールは全て緑色となった。
空を見ると、巨大な黒龍がこちらを向いたところだった。
その口に燃える炎に、物理学者はニヤリと笑いかける。
「人類を、舐めるな!」
ナノ秒にも満たない時間、ヌジャラマンの理論の通りに装置は動作した。
プランク秒の間だけ時空に穴が開く。
北米と呼ばれた地上に、月面からも見える巨大な火球が広がっていく。
そして彼女は、過去へと送り出された。
・ ・ ・
気が付くと空の端が明るくなってきていた。そちらが東なのだろう。
地面は冷えていたが、土の匂いがした。
ゆっくりと吹き抜ける風に、背の高い草がさらさらと音を立てる。
ここが、過去の地球なのか?
人間がいる気配がない。
もしかしたら違う時代に着いてしまったのかもしれない。
そう思いながらも、彼女は手を伸ばして土の感触を味わっていた。
振り返ると、地平の近くに満月が沈みつつあった。
月面からみた地球よりも遥かに小さな天体を、彼女はしばらく見つめる。
その時、ふと思いついた。
もしかして、あの論文の因果関係は、逆だったのではないだろうか?
異世界からの侵入が小説に影響を与えたのではなく、逆にファンタジー小説の隆盛がこの世界に異世界を呼び込んでしまった可能性があるのではと。
頭の中の年表を思い返す。
すべての源であっただろうファンタジー小説の名が頭に浮かんでくる。
『指輪物語』
初版発行は1954年、7月。
作者は、J・R・R・トールキン。
果たして自分は、本当に歴史を変えることなどできるのか?
座ったまま、地平線に沈む月を見送る。
祈るような表情で自分を見ていた、一人一人の顔を思い出す。
やがて彼女は立ちあがった。
西の空に背を向けると、持ってきた眼鏡をかける。
そして照りつけてきた日差しの中、青空の下を一人歩き始めた。
第0話 彼女は月の生まれだった FIN
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