第33話 黒龍
~ 東京湾上空・陸上自衛隊MV-22機内 ~
「いいんですか、Jアラートなんて出して」
「そんなの後で考えればいいだろ、桁違いのM値なんだ。何かが起きる、というかもう起きてるかもしれん。それより羽田管制は連絡取れたか?」
「はい、離陸運用は全て停止済み、十分以内に着陸できない機体は全てダイバートさせるそうです」
男は部下の報告を聞いて頷く。
「あとは何が起きるかだな」
「これで何も起きなかったら責任問題ですよ」
「そりゃいいや。早く帰れる」
耳をつんざく轟音の中での会話中、前方の操縦士が大声で割り込んできた。
「もうじき目的地上空です。どこに降りるつもりですか」
「そのへんに高校があるだろ、上空を旋回して、場合によってはそこの校庭に降りる」
「そんなことをしたら、エンジン排気で周りが吹き飛んじまいますよ」
「仕方ないだろ」
その時、今まで黙っていた搭乗員が窓の外を見て言葉を発した。
「目的地に何か光が見えますね」
「遅かったか?」
□ 穴之守高校 □
「おにいちゃん、私行ってくる――重力遮断、浮遊♪――」
「どこ行くんだ、萌萌?」
眼鏡を外した妹がなにかを謡い唱えると、ボブカットの髪がふわっと浮きあがった。次いで、制服に包まれたその華奢な体もまた、重力を無視して宙へと浮かび上がる。
「後でね、おにいちゃん」
そして萌萌は、三階の窓から校庭に向かって飛び出していった。
こうしちゃいられない。
僕も武器を取りに部室へと戻る。そしてメイスを掴むと息を切らせて校庭に出た。
夕闇迫るグラウンドの上、蒼白い光で描かれた二十メートルほどもある魔法陣からはダンジョンで見たオーク達が現れていた。
その群れに向かって紫色の雷が水平方向に走る。バシッと空気が裂ける大音量、網膜に残る眩い残像。
オーク達が黒い煙となり消えていくのが見える。
「萌萌、無事か!」
僕は走って稲妻の根元へと駆け寄る。
夕立の後のようなオゾン臭が鼻を刺す。
「なんとかね、おにいちゃん。どうやら向こうの世界と繋がっちゃったみたい」
萌萌はそう呟くと深呼吸をして集中力を高めている。
そして魔法陣からさらに現れたオークに視線を向け、詠唱を開始する。
「――雷よ、我に力を♪――」
言葉に呼応するかのように空気が震え、彼女の周りに紫色の電流が走り始める。次の瞬間、轟音と共に稲妻が放たれた。
オークの姿が雷撃に焼き尽くされて消えていく。
その時、妹がよろめいた。
「大丈夫か、萌萌!」
「ちょっと疲れちゃったかな……」
慌てて支えた妹の身体は僕の腕の中にすっぽり入るほどに小さかった。
「魔力切れってやつか。任せろ、おにいちゃんが代わってやる!」
僕は握ったメイスを構える。
目の前に一体のオークが魔法陣から現れてきた。こいつは僕が倒す。
棘の生えた武器を右手で振りかぶる。
「てやー!」
この世界にそれが踏み入れてくる瞬間を狙って思いきりメイスを叩き込んだ。
ゴリゴリと骨を砕く手ごたえ。
「よし、まずは一体。いくらでも来い!」
黒い煙となって消えるオークを見届けながらそう叫んだ瞬間、今度は十体を超えるオークの群れが魔法陣の上に現れ出てきた。
「いや……そういうんじゃなくて」
湧きだすように現れた一団の怪物は、牙を剥き眼を光らせ威嚇をしながらこちらへと迫ってくる。
「伏せて!」
凛とした声が耳に飛び込んできた。
背後から何かがオークの群れへと飛んでいく。とっさに地に伏せた次の刹那、爆発音が地に轟き空気を揺さぶってくる。
「大丈夫? 隆史君、萌萌ちゃん」
「部長!」
「二人とも、よく頑張ったわ」
部長が肩に掛けた鞄から次々と爆弾を取り出して投げる。
オークの群れだった黒い煙が溶けるように消えていく。そして耳に飛び込んできたのは、妹の歓喜に溢れた声。
「おにいちゃん、通じた! ほら見て、あの光!」
細い指先が指さす方向には、見覚えのある優しい光が空へと広がっていた。
その光を背後に受けて三本足の樹々が歩き近付いてくる。
「世界樹の光……」
鞭のように枝をしならせながら校庭にたどり着いたSF世界の歩く樹々は、魔法陣から溢れてくるファンタジー世界の魔物達に接敵し、枝を振って闘いを始めた。
・・・
「ところで萌萌、さっき言ってた、向こうの世界に繋がったって、どういう意味?」
樹々に戦いを任せて、僕は気になっていたことを尋ねてみる。
「あのね、召喚サークルって普通は一回しか使えないはずなの。でもどうやら連続的にエネルギーが流れ込んでるみたい……」
「そんなことあるんだ」
「世界の法則が変わっちゃったのかも。この世界の多くの人が望めば、あるいはそういう事も……」
僕は前に萌萌から聞いた魔法の原理の話を思い出した。
――世界は人の認識で変わる。みんなが信じれば、魔法の力も強くなる――
「この学校ってファンタジー好きな人が多いじゃない。この数日、そんな人たちの想いが集まってくるのを感じるの」
「それって、もしかして投稿小説コンテストのこと?」
スマホを取り出して、あのコンのサイトを開こうとする。
その時、僕は心にゾクリと寒気を感じてスマホから顔を上げた。
「おにいちゃん…………」
妹が僕の腕に掴まり、震えるように握りしめてくる。
闘いの続く魔法陣の光の中心部に、大きな二本の黒い棘が突き出ている。
寒気はそれが発しているようだった。
「なんだ……あれは……」
校庭から宙へと伸びていく人ほどもある二本の大きな棘。
その根元には黒光りする大きな影が水面に浮かぶかのように現れてきていた。
影の形状はある種の爬虫類の頭部のようにも見える。
眼球があろう部分は膜に覆われている。とはいえ、車ほどもある大きさのそれが頭ならば、全長は大型の旅客機を超えるだろう。
続いて現れてきたのは、長く鋭い牙が覗く大きく裂けた口。
その存在は目を閉ざし、黒鱗に魔法陣の光を蒼白く照りかえしながら、この世へと現れ出ようとしている。
それは幻想小説の世界で地の底に棲まう、巨大なモンスターの姿。
「……黒龍……」
妹の呻くような声を聞いて、僕は我に返った。
僕らの眼前にゆっくり聳えていくのは、巨大な有角鰐の頭部だった。
姿を覆う黒鱗からはどんな生物でもありえない禍々しい瘴気が放たれている。
周囲の空気が凍り付き冷え込んでいく。
「なんだよ……ドラゴン……って」
呆然として立ちすくむ僕の前に萌萌が進み出る。
「……よくも、先生を、私の故郷を……この世界までも……世界樹、私に力を!」
少女の姿が世界樹と同じ淡く白い光に包まれる。
今までの謡う声ではない、魂の叫びの詠唱を乗せて妹が両手を突き出す。
「――これが、私の想い、雷鳴よ、私の言葉に答え、その力を放て。雷撃!――」
萌萌の身体にスパークが走り髪が逆立つ。風が渦巻き轟々と唸りを上げる。
その手から見たことのない輝きの紫の稲妻が放たれた。
至近距離で空気が割れる轟音。
電撃が眩い濁流となり黒龍に直撃し蛇のように絡みつく。
引き裂く雷鳴を放つ雷が四方に飛び散り、辺りを昼間よりも眩しく照らす。
やがてそのまばゆい光が収まってくる。
四散した火花の電流が儚く消えてしまうと、黒く厚い鱗には何の変化もなかった。
「そんな……」
悠然と眠る様に目を閉じていた暗黒の龍が、ゆっくりとその瞼を開いていく。
そこに見えるのは、虚ろで巨大な瞳孔。
映っているものは、破壊と滅亡。人類には理解できない、純粋な、邪。
底知れぬ闇の淵を覗き込んでしまい、僕は全身の血液が凍りつき、呼吸をすることすら忘れてしまう。圧倒的な邪に身体はおろか感情さえ麻痺していく。
右手からメイスが滑り落ちて、地面にゴトリと落ちる音が遠くに聞こえる。
そして龍は、欠伸でもするかのようにその口を開いた。
さっきまでの寒気から一転し、目を開けていられないほどの熱気が押し寄せてくる。
「……うぉ、なん……なんだ…………」
鉄と硫黄の混ざった臭いが鼻腔を突き刺す。
牙の間に業火のうねりを渦巻かせ、鱗に覆われた頭を左右に振りながら、龍はこの世界へと入り込んできた。
黒い長大な首が魔法陣からゆっくりと伸びていく。
やがて四階建ての校舎の高さまで達したそれは、大きくのたうち大地を揺らがせて首を回し、魔法陣の上のオーク達を一口で呑み込んでしまう。
そしてオークと闘っていた樹々までも首の二振り三振りで平らげ、巨大な龍はまだ物足りないかのように、僕らの方を向いた。
僕は意志の力を振り絞り、右手で妹の身体を抱えようとする。
「萌萌……」
巨大な口から漏れ出てくる青白いエネルギーの奔流が肌を焦がす。どこかから、バタバタというヘリコプターのような音が聞こえてくる。
龍は新しい興味の対象を見つけかのように、その首を空へと向けた。
空間全体が震え、混沌とした咆哮が校庭に響き渡る。時間そのものがゆっくりと崩れ落ちるように、押し寄せる破滅的な力が龍の口から噴き上げていく。
ドギグォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!
黒龍は咆哮と共に膨大なエネルギーを夕空へと解放した。
空がプラズマの光に染まり、衝撃波が樹々を揺らし葉を散らす。校舎のガラスの割れる音が連続して響く。
僕ら兄妹は、至近距離で放たれたエネルギーの余波で吹き飛ばされた。
校庭を何度も転がる。
地面に叩きつけられ意識が飛びそうになる。そこでようやく金縛りが解けた。
「痛てぇっ……、大丈夫か萌萌、ここはひとまず逃げよう」
「おにいちゃん……逃げるところなんて、もうどこにも」
漆黒の龍の長大な首がのたくる校庭にはイオン化した物質の異臭が漂っていた。
蒼く光を放つ魔法陣からは翼の生えた胴体部分までが徐々に現れつつある。
「もういい。おにいちゃんは、私が守る! 世界樹、最後の力を私に!」
ボロボロの制服姿で立ち上がった妹は龍に向かって歩いて行こうとする。
慌てて手を伸ばして掴んで止める。
「待てよ萌萌。死ぬ気じゃないだろうな」
「だって、このままだとおにいちゃんが、それに、この世界が!」
「冷静になれよ萌萌。そういえば、さっきの話だけど、ファンタジーが好きな人たちの想いがってやつ」
ぼんやりとした思い付きの欠片が形を取り始めた。
「投稿小説コンテストのこと? 多分そう。みんなのファンタジーを好きだという想いがこの世界を変えてしまうの。モンスターが徘徊し、龍が飛ぶ世界に」
僕の頭の中で思い付きが形を作っていく。
「つまりそれってじゃあ、もし僕らがコンテストに勝てば?」
「そうなれば、召喚サークルへのエネルギーの流入が止まるはずだけど、でも……」
左手に奇跡的に持ったままだったスマホを見る。
顔認証のロックが外れる。さっき見ようとしていたあのコンのサイトが画面に映る。
チームランキングの一位はファンタジー研、二位は僕たちエンタメその他。
しかしその得点差は、なんとわずかあと一点!
「まじかよ!」
そういう話はもっと早く言って欲しかった。
いや言われても困るけど。
「もしかして、なんとかなってないか? えい!」
リロードを押してみると表示が変わる。
なんとファンタジー研に追加で一点が入っていた。
「いや、そっちじゃなくて! どうしたら……」
「やっぱり私が……」
「だから! 萌萌!」
「どうもファンタジーは好きじゃないのよね」
「部長!」
後ろから重そうな鞄を抱えた部長が現れた。
そして泥だらけのきれいな顔で微笑む。
「大丈夫よ、私が時間を稼ぐから。隆史君も頑張って」
「部長……」
「SFを舐めるなぁぁぁあ!」
僕たちの部長は、叫び声を上げて校庭の龍に向かって突き進んでいった。
「頑張ってとか言われても、どうしたら……」
手に持っていたスマホの画面をもう一度見て、ブラウザのリロードを押す。
ランキングは変わらず……あと二点、足りない。
「おにいちゃん……部長が……」
部長の投げる爆弾の音が空気を震わせてくる。
世界を飽和させるような龍の雄たけびが、それをかき消して響き渡る。
地震のように地面が揺れている。
妹が泣きそうな目で僕の顔を見ていた。
ふんわりとしていた茶色の髪は汗で額に貼りつき、髪から突き出た尖った耳は弱った子犬のように折れ曲がっている。
その時、何かの記憶がふと頭をかすめた。
「いや、ちょっと待てよ」
僕は妹の顔を見ながら、頭の中の記憶をたどる。そうだ……
「そういえば、二日目、僕はファンタジー研の小説に投票したはず」
あのコンのサイトから投票履歴の画面を開いた。
二日目の★を長押ししてみる。
▽ 投票を取り消しますか? △
『はい』を押すと確定の表示。これであと一点差。
急いでブクマを開く。
一瞬の読み込みの後、妹が二日目に書いた小説がスマホの画面に現れてきた。
確かこの日のお題は、スローライフ、ダンジョン、魔法使い。
――――
文明崩壊後の世界をのんびりと旅をする兄と妹の二人。二人はダンジョンと呼ばれる廃墟を探検し、その最奥でmagiという名のAIと出会う……。
――――
震える指で画面をスクロールして投票ボタンへと移動。
「読んだ! 面白かった! ★!」
画面の中央に大きく表示される★の印。
その下には『投票確定』の文字が浮かぶ。
凍り付いたように感じる時間の流れの中で、僕はランキングと書かれたリンクの文字を押す。画面が読み込まれる……どうだ……頼む……
~ チームランキング ~
1位 エンタメその他
2位 ファンタジー研
3位 恋愛脳
魔法陣の蒼い光が、校庭からゆっくりと消えていった。
この世界に現れ出でようとしていた暗黒の龍が、空中に溶けて静かに消滅する。
見慣れた校庭が戻ってきた。
夕暮れの薄明りが、辺りをほんのりと照らしている。
僕は脱力して動く事ができない。
立ちすくむ僕の背中に、華奢で柔らかな身体が強く押し付けられている。
耳元で愛する妹がささやいてくる。
彼女の両手が僕を抱きしめて離さない。
「……おにいちゃん、勝ったよ、おにいちゃん、おにいちゃん……」
「……萌萌……やったな……萌萌……」
唐突に静かになった校庭には、上空を飛ぶ大きな飛行機のプロペラ音がまだバタバタと鳴り響いていた。
~ 東京都内上空・陸上自衛隊MV-22機内 ~
だしぬけに揺れが収まった機内で、男は部下と顔を見合わせた。
「なんだったんだ、さっきのは」
「M値、測定限界以下に落ちました。どうします?」
男は機体の観測窓から残照と街灯りを眺める。
ついさっき機体を掠めて猛烈に揺らし、成層圏へと突き抜けていった眩い光の痕跡は、もうどこにもない。
地上を照らしていた夕日もすっかり暮れようとしている。
紫がかった西の空も、夜へと変わりつつある。
「どうって、帰るしかないだろ」
「始末書じゃすまないですよ」
「だろうな」
早く帰れるようになったら子供たちも喜んでくれるだろう。いっそのこと、昔からの夢だった作家になるのもいいかもしれない。
男は苦笑して口元をゆがませた。




