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第29話 現実への帰還

 薄暗がりに伸びる廊下にはさっきの奴らの姿は見えない。

 高熱の夢の中を思わせる歪んだ夜の学校のような光景が続いている。


「ここはね、世界と世界の間なの。ダンジョンと呼ばれている場所」


 背後から萌萌の声がした。


「ダンジョンって、ファンタジー研の?」

「ううん、昔からここにあった異世界へと繋がる穴」


 妹はロッカーから出てくると、辺りを見回しながら僕に目を合わせずにそう答えた。


「でも学校っぽくないここ?」

「ダンジョンは繋がってる場所の影響を受けるの。ほらこの辺とか」


 僕から目を逸らしたままで、彼女は掃除ロッカーを指す。


「萌萌、どうかしたの?」

「あとさっきのは向こうの世界の住人。あなた達はオークって呼んでる」


 目を合わせない妹は、さっきから早口で喋っている。


「こういうダンジョンは他にもいくつかあって、私はその一つから来たの、それで、」

「いや、だからさ、萌萌」

「巻き込んじゃってごめんなさい。隆史兄さん……」

「何言ってるんだよ萌萌。ごめんなさいとか言うなよ」


 妹の腕を掴む。

 僕の顔を見ないように避けていた緑の瞳と目が合う。


「これは隆史兄さんとは関係ないことなの!」

「萌萌に関係あることなら、僕にだって関係あるだろ」

「このダンジョンは魔王軍の世界に繋がってるの。私はそれを知ってここに来たの。あなたのお父さんにお願いしてね」

「萌萌……」

「だからね、全部嘘なの。私はあなたの妹なんかじゃないの。それなのに、それなのに……おにいちゃんを巻き込んじゃって、こんなところまで……ごめん……なさい……」


 妹の大きな目から、涙が溢れこぼれ落ちてきた。


「そんなの、いいんだよ」


 僕は背を屈めて妹と頭の高さを合わせ、視線を逸らされないように正面から見つめる。


「だって……」

「ほらこれ、落とし物だよ」


 ポケットから二つの金色のイヤリングを取り出して、妹の小さな手の上に置く。


「言ったじゃないか。僕たちは家族だって」


 ふんわりとした茶色の髪の上から、妹の頭をポンポンと叩く。


「僕は萌萌のおにいちゃんなんだから」

「でも……」

「だからさ、頼ってくれていいんだって」


 思いを言葉に出して伝え、精一杯に微笑みかける。


「……おにいちゃん……」


 制服姿の萌萌の身体が、ゆらりと揺れた。

 倒れそうになった細い身体を慌てて支え、すがりついて泣く妹の華奢な背中を、棍棒を持つ右手でそっと抱きしめる。


「おにいちゃん、おにいちゃん……」

「頑張ったな。萌萌」


 妹が落ち着くまでしばらく、僕は痛む左手で柔らかな髪をそっと撫で続けた。



 ・・・



「ところで、萌萌はどっちに行ったら帰れると思う?」

「いまオーク達があっちに行ったし……そうだ、ちょっと待って」


 妹は両手を合わせ、祈るようなポーズを取った。


「向こうの方から世界樹を感じる」


 その指は、オーク達がやって来た通路の方向を指している。


「反対側行くと、さっきのやつらが帰ってくるかもだしな」

「うん、早く行こう、おにいちゃん」


 闇の中へと続いている学校のような廊下。見慣れた内装とその質感が、逆に猛烈な違和感を誘ってくる。

 自分の心臓の脈打つ音を頭の中に感じてしまう。

 そして僕は妹を守るように、棍棒を右手に構えて歩き始めた。


 妹の上履きが、静かな廊下にペタペタと小さな音を立てる。緊張で耳の奥がツンとなってくる。汗ばむ手で棍棒を握りしめ慎重に足を進める。

 それなのに顔に笑みが浮かんでくるのが不思議だった。


「そういえば、おにいちゃん、そのメイスどうしたの?」

「メイスって、これ?」


 右手を掲げて見せると、萌萌がうなずいた。


「さっき落ちてきた時に拾った、っていうか分捕った」

「へー、おにいちゃん、やるじゃない」

「へへっ、そうかな」


 妹は目に尊敬を浮かべて僕を見て頷く。

 ちょっと恥ずかしい。


「萌萌もほら、魔法だっけ、あれでなんとかならないの?」

「逃げる間に魔力切れで、今日はもう……」

「そうなんだ。ところで、その、魔法ってのは何なの?」


 話題を変えようと、興味本位で尋ねてみる。


「んーちょっと難しいけど説明するね。先生に教わったんだけど、」

「うん」

「誰もいない森の中で木が倒れた時に音はするのか? って話、知ってる?」


 萌萌は少し得意げな表情で僕を見てきた。


「倒れたことも分からないんじゃないの? 誰もいないんだよね?」

「じゃあさおにいちゃん。後になって誰かが倒れた木を見つけたら、どうなる?」

「えーとーどうなんだ?」

「魔法の原理だとね、その瞬間に過去から世界が全部変わるの」


 僕の妹はニヤリとした表情をした。


「そういうもん?」

「うん。つまりね、誰も見てないときに何かをこっそりしておくじゃない。それが誰かに認識された瞬間に現実が変わって追随するの。それが魔法」

「へー」


 分からないけど、とりあえずうなずく。


「世界というのは人の認識で変わるの。だからみんなが信じれば魔法の力も強くなるし、おにいちゃんの世界みたいなところだと魔法は効きにくくなるって、先生にそう教わったんだ」

「そうか、だから部長にはあの眼鏡効かなかったのか」

「うん。部長は魔法とかカケラも信じなさそうだしね」


 妹の緑の目に一瞬、懐かしそうな色が浮かんだ。


 そんな話をしながら、深夜の学校のようなダンジョンを二人で進む。

 重く静かな気配に押し潰されそうになってくる。

 一人だったら耐えられなかったかもしれない。


「そうだ、誰かに連絡を」


 スマホを取り出してみるけれど、当然アンテナは立っていなかった。


「やっぱり圏外か……」


 ズボンのポケットにスマホを戻しながら、ダンジョンで配信とかリアリティないよな、とか真面目に考えてしまう。つい笑いが込み上げてしまった。


「どうしたのおにいちゃん、思い出し笑いなんかして」

「いやさ、ダンジョン配信がファンタジーかっていう話を思い出して」

「そういえば、おにいちゃんとそんな話したっけ」

「懐かしいなー」


 ほんの一週間前の事なのに、遠い昔のような気がする。

 それどころか、今朝のことですら現実感がない。


 朝起きて、妹と一緒に朝食を食べて登校して。そんないつも同じ生活は、本当にあったのだろうか。


「萌萌さ、帰ったらご飯なに食べたい?」

「おにいちゃんの得意なあれがいいな」

「肉じゃがか、任しとけ。おにいちゃんが作ってやるから」

「楽しみだなー。えへへ」


 やがてダンジョンの終点が、暗闇の中に見えてきた。

 行き止まりになったところに、左右に開く大きな扉がある。


「あそこを通ったら、出口かな」

「だといいよね、おにいちゃん」


 湧き上がる不安を押さえ込むように、僕は妹と目を合わせてうなずきあう。


「行くか!」



 ・・・



 扉の中は、小ホールほどもある大きな部屋だった。


 反対側の遠い壁には、ぽっかりと口を開いた通路が見えている。

 そして部屋の床、中央辺りには、円型に文字と幾何学模様が書き込まれた図形が碧く淡い光を放っていた。

 それはまるでファンタジーのアニメで見る魔法陣のよう。


「なんだろう、これ?」

「……召喚サークル……!」


 突如辺りが蒼い光の色に染まった。

 眩く輝きを増す床の魔法陣から大きな人型の姿が盛り上がり現れてきた。

 聳えてくるその巨大な頭部には、赤い眼と鋭い牙が見えている。

 萌萌の喉から悲鳴が漏れた。


「なぜ、オーガが、どうして……」


 獰猛な咆哮を上げて、分厚い鋼のような巨体が立ち上がる。聳え立つ人の十倍はあろう質量に僕はただ威圧されてしまう。それは萌萌も同様らしい。


「おにいちゃん、駄目、魔法なしじゃ勝てない!」

「引き返そう、いや、」


 振り返ったダンジョンの奥からも迫りくるいくつもの姿が見えた。

 暗がりの中で武器や鎧の金属がちらちらと光を反射している。


「駄目だ、後ろの奴らも来てる!」


 考えろ。ここにいては挟み撃ちだ。となると、


「僕が注意を引き付けるから、前の通路に逃げ込め」


 いかに強そうとは言え、前方のオーガは一体しかいない。


「でも、おにいちゃん……」

「萌萌、行くんだ!」


 そう叫ぶと僕はメイスを振りかざして躍り出た。

 視野の隅で走り出した妹を確認し、さらに足を一歩踏み出す。上履きでダンジョンを走る音が聞こえる。


 その瞬間、オーガの巨体が跳んだ。

 萌萌を押しつぶさんとする巨躯が宙を舞う。


「危ない! 避けろ!」


 思わず叫んでしまった。逃げようとする妹に向けてオーガの巨大な棍棒が打ち降ろされ地響きを立てる。

 躱そうとしたぎりぎりを掠めて、彼女は弾き飛ばされた。


「大丈夫か、萌萌!」


 慌てて駆け寄り、妹を抱きとめる。


「……大丈夫、掠っただけ」


 そうか分かった。

 注意を引こうだなんて、甘かったんだ。


「僕が攻撃を受けるから、萌萌はその間に行け!」

「だめ、おにいちゃん」

「行くんだ!」

「だって、足をくじいて歩けない……」


 妹の泣きそうな声。駄目か。いや、ここで諦められるかよ。

 聳えるオーガが身を屈め頭を寄せてきた。

 牙の生えた口から、吐く息が生臭く感じられてくる。


 動けない妹を背に、僕はメイスを掲げ持ち正面から向き合う。

 まるで小説か映画みたいだ。剣も魔法もないけど。


「これじゃファンタジーだよな。萌萌」

「せめて魔法が使えてれば……」

「ステータスオープンとか言ったら使えたり……しないか」


 もちろんそんなことはない。

 オーガが地響きを立てて踏み込んできた。


 巨大な棍棒がはるか頭上へと振り上げられる。邪悪に笑う赤い眼を睨みつけるが、無力感に体が震える。

 でも最後まで諦めるな。どこかに隙は無いか、思考を振り絞る。世界がゆっくりと動く。


 ――その時、


 白い光の尾を引いて飛来した炎の弾が、オーガの胸部へと突き刺さった。


 衝撃波が広がり、炎と火花が飛び散る。オーガの巨躯が大きく仰け反り、巨大な棍棒が落下して床に重い音を立て、そして、


「いまファンタジーの話してなかった?」


 馴染みのある声が耳に飛び込んできた。

 反射的に声の方を見る。

 奥の通路から電磁投射砲(レールガン)を構えた制服姿の女子学生が進み出てくる。


 光学照準器(ダットサイト)越しにオーガを狙うその姿は、いつも見慣れた長い黒髪眼鏡の美人。


「部長!」


 電磁誘導によって加速された二発目の超音速の弾丸(プロジェクタイル)は、白いプラズマの尾を引いてオーガの今度は頭に直撃した。


 緑色の血しぶきをまき散らし、オーガの巨体が轟音と共に倒れ、地面を激しく揺らす。電気的なチャージ音が、ギュィーンと辺りに甲高く響く。


「……やっぱり、SFだったみたいです」

「ならいいでしょう」


 異形の怪物であった黒い煙が、光の消えた魔法陣に吸い込まれて消えていく。

 口元に微笑みを浮かべた部長が振り向いて三発目の弾丸を放つ。

 部屋の入口まで来ていたオークが、一体爆散した。


「二人とも早く逃げなさい!」

「はい。萌萌は僕の背中に乗って。部長も早く」


 僕は妹を背負い、奥の通路に入り込む。

 部長の声がする。


「私はもう少し時間を稼ぐから」

「一緒に逃げましょう!」

「だってほら」


 彼女は電磁投射砲から伸びる太い電源コードを目で指している。その先端は通路の壁のコンセントに繋がっていた。


「私は後で合流するから。萌萌ちゃんを早く逃がして」


 そう言って部長はオークに砲身の狙いをつける。

 衝撃波が空気と身体を揺さぶり、コンデンサーへのチャージ音が甲高く響く。


「でも……」

「部室で会いましょう」


 その眼鏡の奥の瞳は、きっと微笑んでいる。


「ちゃんと小説を書くのよ。SF魂を忘れないで。早く行きなさい!」


 そして部長は更にトリガーを引く。

 発射音が轟き、白炎が燃え上がり、超音速の残響がダンジョンを満たす。

 僕はもう振り返らない。


「行くぞ、萌萌」


次回からいよいよ最終章。

みなさま是非★★★★★での応援をよろしくお願いいたします!

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