第2話 ファンタジー研の魔の手
真新しい紺の制服に身を包んだ萌萌と並んで駅へと歩く。
入学式なのに今日も父さんは仕事。いつものことだ。結局僕が保護者代わりだったりするんだけど、何をするわけでもないのに落ち着かない。
春の日差しの中、妹の姿はキラキラと輝くようで、僕は何度も視線を向けてしまう。
「おにいちゃん、この世界って木が少ないんだね」
萌萌は前に出ては振り返ったりしながら、物珍し気に辺りを見回していた。
僕たちの住んでいるマンションよりは背が低いものの、都内のこのエリアは敷地ぎりぎりに住宅が立ち並んでいる。
「このあたりはそうかな。萌萌の住んでたところはどんなところだったの?」
「うーんとね、私がいたのは森の中で、みんな木でできた家に住んでいて……」
こんな子と一緒に住んでるだなんて、まだ信じられないんだよな。
そういえば萌萌は僕をおにいちゃんと呼ぶようになった。やっぱりラノベみたいだ。
「学校には木は結構植わってるよ」
「へーそうなんだ、学校って楽しみ。アニメで見て行ってみたかったんだ」
「アニメ?」
「うん、資料で見せてもらった。それに本もいろいろ読んだし」
「そうか、萌萌は勉強熱心なんだな」
僕がそう言うと、妹はうれしそうな表情だ。
やっぱりどこか外国から来たのかも。それにしては日本語うまいけど。
「ところで萌萌の今日の予定は?」
「入学式の後はオリエンテーションだって。その後は部活紹介に行こうかなって」
妹の声は新しい学校生活への期待に弾んでいるみたいだ。
そういえば半年前、転入してすぐの僕もこんなワクワク感と感じていた。その時、僕はとある小さな部活に強引に勧誘されて、今ではすっかり日常の一部になっている。
「萌萌は入りたい部活とかあるの?」
「まだこれから。学校って初めてだし、いろいろ聞いてから考えようかなって」
「そうだね、よく考えた方がいいよ」
うちの高校は創文学園穴之守高校という名前で、その名のごとく文芸系部活が多いのだけど、所属している部活によって学校内でのヒエラルキーが決まってしまうという、少々変わったところがあるのだ。
それに変な部活もあるから、ちょっと心配なんだよな。
でも軽い足取りで歩いている妹を横目で見ていると、なんだか微笑ましい気持ちでいっぱいになってくる。
やがて駅が近づいてきた。僕はもう一度、横目で妹の整った横顔を見る。
控えめにほほ笑む澄ました顔。春風にさらりと揺れる、薄茶色したボブカットの髪。
そこから突き出た尖った耳がやっぱり気になる。
やっぱりなんだか心配になってきた。いじめられたりしないかな。
「あのさ萌萌。もし気を悪くしたら悪いんだけど。その耳、ちょっと目立つかも」
「それなら大丈夫!」
ぴょこんと前に出た萌萌は、振り返って口角を上げた。
そしてブレザーのポケットから黒縁の眼鏡を取り出すと、薄茶色の髪をかき分けて掛ける。一瞬、彼女の輪郭がぼやけ、姿が蜃気楼のように揺らいだ。
「うぁっと、あれ?」
いま目の前には、全般に地味な黒髪おかっぱ眼鏡っ子が立っている。
「どうですか? おにいちゃん」
「えっと、もしかして、萌萌?」
妹の声でその黒髪の子が話し掛けてくる。突き出ていた耳も目に入ってこない。
「すごいでしょ!」
「なにそれ、リアルVチューバーみたい。どういう原理なの?」
「この眼鏡はね、認識阻害の魔法が掛かってるの」
なんか魔法って聞こえた気がする。いや、そんなわけないよな。
「すごいね。でも学校ではそう言わない方がいいよ」
「うん大丈夫、おにいちゃん!」
☆ △ □
クラス替えを済ませたばかりの二年生の教室では、距離感を図り合う微妙な雰囲気が漂っている。そんな中、僕は黙ってカバーをかけた文庫本を読んでいた。
僕の通うこの創文学園穴之守高校は、作家志望の生徒が集まるユニークな高校で、文章力・構成力・ストーリー力に優れた生徒がハイカーストとして君臨する。
一般生徒も多くは人気のある小説の部活に群がっている。今も教室のそこここからある特定ジャンルの話題が聞こえてくる。
「やっぱり、チートは無双が醍醐味だから……」
「……異世界転生と転移を比べると……」
学内は猫も杓子も魔法やダンジョンの話ばかり。追放やざまぁという言葉が日常に飛び交うこの学校では、ファンタジー以外は人にあらず的な風潮すらある。
ちなみに僕も基礎教養として少しは嗜んではいるものの、クラスでは黙っている。話の合う相手もいないし、というか、話が合うとそれはそれで面倒だ。
今日の午前中は入学式で、午後もホームルームだけで終わった。
僕はそそくさと校舎を出て部室へと向かう。
それにしても萌萌はクラスで上手くやっているだろうか。僕みたいに浮いてないかな。
やっぱりちょっと心配だ。
高校生なのに過保護かもしれないけど、中庭を歩きながらもそんな思いが頭をかすめてくる。
薄曇りの空、ピンク色に緑の葉が混ざる大きな桜の木の脇を抜ける。地面に落ちた花びらが風に舞う。
お気に入りのベンチのある緑の藤棚を抜けると古い部室のある建物が見えてくる。
「どこだー、探せー」
「捕まえろー」
そんな時、どこからか叫び声が聞こえてきた。なんだろう、いや、関わり合いになりたくないし、別にいいんだけど。
などと考えている僕の耳に、気になる単語が飛び込んだ。
「探せ! あのエルフは、我々ファンタジー研のものだ!」
心臓がドキンとした。
ていうか、いま『エルフ』って言ったよな?
僕の胸の中にヤバい予感がしてきた。
ファンタジー研はこの学校で最大勢力、生徒の半分以上を支配する文芸系の部活だ。
そしてその実態は、弱い部活をいじめ、気に入らない相手は徹底的に潰す、人気と数の力を笠に着たやりたい放題の無法者集団。
傍若無人なその行いを、他の生徒たちは見て見ぬふり。とはいう僕も、彼らにはなるべく関わらないようにしていたんだけど……
「エルフはいたかー」
聞こえてくる声に焦燥感が沸き上がる。
朝の澄ました妹の顔、髪から突き出た尖った耳が脳裏に思い浮かぶ。
もし萌萌のことだったらどうしよう。つい叫んでしまう。
「萌萌!」
あのファンタジー研に捕まったとしたら何をされてしまうかも分からない。とにかくそういう暴虐非道な奴らなのだ。
「萌萌! もえ! もえー」
僕の妹、大事な家族、たった一人のきょうだい。
まずい、これは何としても僕が先に妹を見つけないと!
周り中の生徒の注目を浴びつつ、妹の名を叫びながら、僕は放課後の校内を全速力で駆けまわり始めた。
・・・
「萌萌ぇー! どこだー! もえーもえー」
校内と校庭を一周したけれど見つからない。雨すらポツポツと降ってきた。心の中に不安が膨らむ。拷問されたり解剖されたりとか、そんな光景すら頭にちらついてしまう。
「萌萌…… 萌萌……」
「……おにぃちゃん……」
藤棚の近く、植え込みの低木がガサッと動いた。
「萌萌?」
植え込みをかき分ける。眼鏡をしていない緑の瞳。薄茶色の髪には桜の花びらが絡んでいて、見覚えのある尖った耳が目に入る。
「萌萌、無事だったか……大丈夫か……」
「おにいちゃん!」
妹は疲れた様子だけど、ほっとした表情でうなずいた。
膝の力が抜けて地面にへたり込んでしまう。
心臓がドキドキする。手のひらに冷たい草の感触。こんなに走ったのは久しぶりだな。そういえば、
「ところで萌萌、朝の眼鏡はどうしたんだ?」
「あるけど、動かなくなっちゃったみたい」
周りからは、ファンタジー研の奴らが叫ぶ「探せー」という声が聞こえてきている。
「ここは危ない。一旦うちの部室に避難しよう」
・・・
萌萌を後ろに庇いながら小走りに急ぎ、ようやくいつもの部室にたどり着いた。
鍵を開けて引き戸をガラリと開く。
この部活には僕と部長の二人しか在籍していないので、まだ誰もいない。
「ここは大丈夫だから、萌萌」
妹は部室の中を、珍しげにキョロキョロと見ている。
あまり広くない部屋の中央部は、大きな古い木のテーブルが占めていて、それを学校の廃棄備品から拾ってきた椅子が囲む。
そして壁面は本棚で埋め尽くされていた。並んでいるのは半分がSFの文庫本。残りの半分はミステリー。古い本の放つ匂いが心地よい。
「座って。疲れたよね、なんか飲む? お茶でいい?」
「うん、ありがとう」
カップ二つにティーバッグを放り込む。
ポットの水量を確認してお湯を沸かしながら、僕は妹に話しかける。
「それにしても危なかったな」
「ビックリしちゃった」
「萌萌が無事でよかった」
あのファンタジー研に捕まったら、本当に何をされるか分からないところだった。
部長からも奴らには気をつけろといつも言われている。
「ところでおにいちゃん、ここは何の部活なの?」
一息ついた萌萌が尋ねてきた。そういえば言ってなかったっけ。
「えーっと見てわかる様に、ここは」
「ミステリー研?」
「ち・が・う!」
「でもミステリーの本がいっぱいあるけど」
「うちの本棚はこっち!」
僕はちょっと自慢げに、水色の背表紙が並んだ本棚を指さす。
「なんだろう……S、F?」
「そう、えすえふ研」
向かいに座った妹はもう一度周りを見回し、可憐な顔をゆっくりと傾ける。
緑色の瞳には所在なさげな色が浮かんでいる。
「えっと、おにいちゃん、SFってなーに?」
「それ聞いちゃう? まあ、いいけど」
聞かれたからには説明しないといけないよな。
初心者は大事にしないといけないって部長も言ってたし。
緑茶の香りの漂う熱いカップを妹に渡し、僕は自分のカップを手にその向かいの椅子にストンと腰を下ろす。
こういう説明するのって初めてだから緊張するな。
「いいか萌萌。一言で言うと、SFっていうのはセンスオブワンダーなんだよ」
「?? なにそれ、おにいちゃん」
「うーん、僕も部長にそう言われただけなんで、改めて訊かれるとなんとも……」
あの時はすっかり腹落ちして感銘を受けたんだけど、自分で説明するとなると意外と難しいものだ。そうだ、ここは人類の英知に頼るとしよう。
僕はスマホを取り出して、ポチポチと『センスオブワンダー』を検索してみた。
「wikipediaによると『SF小説等を鑑賞した際に生じる、ある種の不思議な感覚のこと』だって」
「おにいちゃん、それって説明が回ってない?」
「確かに」
いろいろ端折りすぎたな。しっかりと定義から入るべきだった。
「SFとはサイエンスフィクションの略だから、つまり科学に基づいた小説ってことだね」
「例えばどういうの?」
「宇宙人とか、未来人とか、超能力者とか」
「んー、おにいちゃん、それって科学なの?」
思ってもないツッコミが入った。宇宙人って科学じゃないの?
言われて考えてみると意外と難しい。どうも定義とか厳密すぎたのが良くなかったようだ。
もっと、ふわっとしたところから考えてみよう。
「ざっくり言うと小説なんだけど、純文学とか恋愛じゃなくて……なんというか……もっとフィクション性が強くてエンタメ的なやつ」
「冒険小説とかハードボイルド的な?」
「ちょっと違う。空想世界を冒険する小説だと思ってくれたらいいかも」
「あーはいはいはい」
首をひねっていた萌萌は、ようやくうなずいてくれた。
「うん、分かった。例えば指輪物語とかね」
「それはいけない!!」
「ふぇっ?」
つい思わず立ち上がって大声で叫んでしまった。
妹はお茶のカップを手に驚いた顔で硬直している。
ガラッ!
その瞬間、部室の入り口の引き戸が大きな音を立てて開いた。
長い黒髪を揺らしながら、すらりとした女子生徒が入ってくる。
「いま、誰かファンタジーの話してなかった?」
背が高く、大きな胸元には赤い紐のリボンが揺れる三年生。
眼鏡の奥の鋭い瞳が僕を見ている。
「えーっと……遅かったですね部長」
やばい、聞かれちゃったかな。




