第九十七話 魂の官庁と、秩序の番人
ユウマの意識が、浮上した。
最後に感じたのは、抗いがたい力で、地の底へと引きずり込まれる、絶望的な感覚。
目を開けると、そこは、彼の知る、どんな場所とも、違っていた。
空は、どこまでも、灰色。
太陽も、月も、星もない。ただ、均一な、鉛色の光が、世界を、淡々と、照らしている。
目の前には、巨大な、川が、ゆっくりと、流れていた。しかし、その水もまた、灰色で、よどみ、一切の、生命の気配を感じさせない。
そして、その川の向こう岸には、地平線の、彼方まで、続く、巨大な、巨大な、城壁と、無数の、同じ形をした、塔が、そびえ立っていた。
そこは、まるで、巨大な、官庁街だった。
「…ここが…冥界…」
ユウマの、呆然とした、呟き。
彼が、立っていたのは、川岸に設けられた、巨大な、受付窓口のような、場所だった。
彼の、周りには、生前の姿を、ぼんやりと、残した、半透明の、魂たちが、まるで、銀行の、順番待ちのように、静かに、長い、長い、列を、作っていた。
その、あまりにも、無機質で、あまりにも、事務的な、光景に、ユウマは、恐怖よりも、むしろ、場違いな、違和感を、覚えていた。
「―――次の方」
冷たく、感情の、一切ない声。
気づくと、ユウマの目の前に、灰色の、ローブを纏った、のっぺらぼうのような、顔をした、存在が、立っていた。
『魂の受付係』とでも、言うべき、冥界の、役人だった。
役人は、手にした、分厚い、帳簿を、ぱらぱらと、めくると、ユウマの、顔を、じろり、と見た。
「…生身…? 肉体を持ったままの、越境は、管轄外です。…ああ、召喚状が出ていますね」
役人は、淡々と、続けた。
「特級案件、『佐藤 優馬』。秩序紊乱の、重要参考人として、冥王エンマ様が、直接、事情聴取を、行う、とのこと。…こちらの、待合室で、お待ちください」
役人が、指さしたのは、ただ、灰色の、長椅子が、延々と、並べられただけの、だだっ広い、空間だった。そこにも、すでに、何百という魂が、自分の、順番を、待っていた。
「ま、待ってください!」
ユウマは、必死に、声を上げた。
「ガガルさんは!? 俺と、一緒にいた、獣人の魂は、どこですか!?」
「ガガル…」
役人は、再び、帳簿を、めくった。
「…ああ、魔界からの、干渉により、緊急受理された、魂ですね。現在、第7査定課にて、生前の、功罪の、仕分け作業中です。面会は、手続きが、全て、終了してからに、なります」
「いつ、終わるんですか!?」
「さあ? 案件の、混み具合によりますが、早ければ、百年。遅ければ、千年ほどかと」
「(せんねん!?)」
ユウマは、絶句した。
ここは、そういう、時間感覚の、世界なのだ。
ユウマは、なすすべもなく、待合室の、長椅子に、座らされた。
腕の中の、チビすけが、きゅるる、と、不安げに、鳴いている。この、生命の気配のない、灰色の世界が、よほど、居心地が、悪いらしい。
ユウマは、途方に暮れた。
このまま、ここで、何百年も、待っていられるわけがない。
どうにかして、ここを、抜け出して、ガガルさんを、探さないと…。
ユウマの**『友を救いたい』という、焦燥感**。
腕の中の、チビすけの**『生命力そのもの』**。
それが、この、完璧に、管理された、死の世界の、秩序に、微細な、バグを、生じさせた。
ユウマの、足元から。
灰色の、砂利だらけだったはずの、地面に、ぽつり、と、一本の、小さな、緑色の、双葉が、芽を出した。
「……?」
それは、この、灰色の世界に、生まれた、たった、一点の、色彩だった。
その、あまりにも、ありえない、現象に、最初に、気づいたのは、近くにいた、冥界の、役人だった。
「…異常発生。コード99。生命活動の、痕跡を、確認」
役人は、感情のない声で、そう言うと、その双葉を、足で、踏み潰そうとした。
しかし、役人の足は、双葉に、届かなかった。
ユウマの、周りの、空間だけが、まるで、陽炎のように、歪み、役人の、動きを、拒絶している。
双葉は、瞬く間に、成長し、美しい、白い花を、咲かせた。
その、花の香りが、広がった、瞬間。
待合室で、静かに、並んでいた、魂たちが、ざわめき始めた。
彼らが、忘れていた、生前の、温かい記憶が、その香りによって、呼び覚まされたのだ。
「…異常拡大。コード999。秩序の、崩壊を、確認。…原因は、特級案件、『佐藤 優馬』。…もはや、標準手続きでは、対応、不可能」
役人は、淡々と、そう、結論づけると、どこからか、取り出した、角笛を、静かに、吹いた。
音のない、音が、響き渡る。
次の瞬間、ユウマの、周りの空間が、完全に、切り取られた。
「―――冥王様が、お呼びです」
「直ちに、玉座へ」
ユウマは、自分が、この、完璧な、お役所仕事の世界で、最も、厄介な、クレーマーとして、認識されてしまったことを、まだ、理解していなかった。
彼は、ただ、ガガルを、救いたい。その、一心で。
図らずも、死の国の、絶対的な、王の元へと、その歩みを、進めることになったのだった。




