第九十二話 魔界の使者と、二人の王
「…呼ばれてもいないのに、来ちゃったみたいね。…魔界からの、お客様が」
リリスの、その言葉が、現実のものとなる。
王城の上空に、裂けた、黒い亀裂。それは、まるで、現実世界に、開いた、傷口のようだった。
そして、その傷口から、夥しい数の、異形の影が、まるで、膿のように、溢れ出してきたのだ。
ガーゴイル、インプ、ヘルハウンド…。低級ではあるが、その数は、千を、優に超えている。
ヴァロリアの、白銀の騎士団が、即座に、迎撃態勢に入るが、空からの、無限とも思える、物量攻撃に、街は、瞬く間に、混乱の渦へと、陥った。
しかし、それは、ただの、露払いに過ぎなかった。
亀裂の、最も、深い、闇の中から、一体の、巨大な、漆黒の、竜が、その姿を、現した。
そして、その、竜の背に、玉座に、腰掛けるかのように、傲岸不遜に、座る、一人の、男がいた。
美しい、銀の、長髪。血のように、赤い瞳。その、完璧なまでに、整った、顔には、この世界の、全てを、見下すかのような、絶対的な、傲慢さが、浮かんでいた。
「…ベルゼビュート…!」
ガガルが、憎々しげに、その名を、吐き捨てる。
「魔王様が、姿を消された後、真っ先に、玉座に、名乗りを上げた、七大公の、一人…! 魔界でも、指折りの、好戦派ぞ!」
その、魔将軍ベルゼビュートの、赤い瞳が、破壊された、玉座の間の、天井の穴から、まっすぐに、中を、見下ろした。
彼の、視線は、ウィルナス王にも、リリスにも、目もくれない。
ただ、一点。
その、全ての、混沌の中心で、呆然と、立ち尽くす、ユウマだけに、注がれていた。
『―――見つけたぞ』
その声は、物理的な、音波ではない。魂に、直接、響き渡る、威圧的な、念話だった。
漆黒の竜が、ゆっくりと、降下してくる。
『**『世界の器』**よ。その、矮小な、身体に、七つの理を、宿す、可能性。我が、新たな、魔王となるための、最後の、礎となれ』
ベルゼビュートは、ユウマを、手に入れることで、自らが、魔王となる、正統性を、得ようとしていたのだ。
その、あまりにも、傲慢で、一方的な、宣言。
それを、黙って、聞いている、人間界の、覇王ではなかった。
「―――面白い、冗談だ」
ウィルナス王が、静かに、一歩、前に出た。
その、金色の瞳には、自らの、研究対象を、横から、奪われようとしている、冷徹な、怒りの炎が、宿っていた。
「魔界の、ゴロツキが、我が国の、上空で、何を、喚いている。…その、『器』は、俺の、ものだ。貴様が、触れて、いい、代物では、ない」
『ほう?』
ベルゼビュートの、赤い瞳が、初めて、ウィルナスを、捉えた。
『…人間界の、王か。なるほど、貴様も、この、『器』の、価値に、気づいたか。…だが、遅い。それは、我ら、魔の者が、統べるべき、力だ』
「戯言を」
ウィルナスは、鼻で、笑った。
「その、ちっぽけな、頭で、理解できるか? 彼の、力の、本質は、貴様らが、考えるような、単純な、『支配』の、理ではない。…あれは、『観測』し、『解析』し、『理解』すべき、世界の、真理そのものなのだ」
二人の、王。
一人は、ユウマを、自らの、覇道の、ための、『礎』と、見なし、
一人は、ユウマを、自らの、知的好奇心を、満たすための、『真理』と、見なす。
その、どちらもが、ユウマの、人権を、完全に、無視している、という点において、同レベルだった。
(やめてくれ…!)
ユウマは、心の中で、絶叫した。
(俺の、取り合いで、喧嘩するな…! どっちも、嫌だ! もう、みんな、どっか、行ってくれ!)
その、あまりにも、切実な、**『現実からの、完全逃避』**の、願い。
それが、引き金だった。
【ユウマの『拒絶(関わらないで)』という概念が、二人の王の『独占欲』によって、『所有欲の、無限増幅』の概念へと、反転・昇華される】
ウィルナスと、ベルゼビュートの、瞳が、カッ、と、怪しい光を、宿した。
「…やはり、貴様には、理解できんようだな。彼の、価値は、俺だけが、引き出せる」
「…黙れ、人の子よ。その、至宝は、我が手にこそ、ふさわしい」
二人の、口調から、冷静さが、消え失せ、ただ、純粋な、子供のような、独占欲が、むき出しになっていく。
ユウマは、戦慄した。
自分の、願いが、またしても、最悪の形で、叶ってしまった。
彼らは、「どっかに行く」どころか、自分を、手に入れるためだけに、この場で、全てを、賭けた、戦いを、始めようとしていた。
二人の、王の、覇気が、衝突し、玉座の間の、空気が、ビリビリと、震える。
その、世界の、終わり、一歩手前の、光景の、ど真ん中で。
ユウマは、ただ、静かに、思った。
(もう、俺、どうなっても、知らない…)
彼の、平穏を求める旅は、ついに、二人の、王の、狂気的な、所有欲の、対象となるという、最も、面倒で、最も、危険な、ステージへと、突入してしまったのだった。




