第九十話 賢者の食事と、王の執着
「…素晴らしい…素晴らしいぞ、『世界の器』よ…!」
ウィルナス王の、恍惚とした呟きが、死んだように静まり返った部屋に響いた。
床には、絶対防御を誇ったはずのアーティファクトが、ただの黒い砂となって、虚しく広がっている。
腰を抜かした老魔術師たちは、目の前で起きた、あまりにも静かで、あまりにも絶対的な『破壊』を、理解できずに、ただ、わなわなと震えていた。
ユウマは、自分が、また何か、とんでもないことをしでかしてしまったらしい、という、嫌な予感だけを感じていた。
「(…また、やったのか、俺…)」
その、絶望的な空気を、打ち破ったのは、ウィルナス王の、高らかな、宣言だった。
「―――実験は、終わりだ!」
彼は、満足げに、頷くと、ユウマに向かって、これまでで、最も、にこやかな(しかし、目は、全く笑っていない)笑顔を、向けた。
「見事だったぞ、賢者ユウマ。貴様の、その力の、片鱗、確かに、見せてもらった。…我が、生涯で、最も、有意義な、時間であったと言えよう」
王は、パン、と手を叩いた。
「腹が、減っただろう。さあ、食事にしようではないか。貴様を、歓迎するための、宴の、始まりだ」
有無を言わさぬ、その言葉。
気絶から、目覚めたばかりで、何も、食べていなかったユウマの腹が、ぐぅ、と、情けない音を立てた。
もはや、断るという、選択肢は、なかった。
やがて、一行が、通されたのは、王城の、壮麗な、食堂だった。
テーブルの上には、豪華絢爛な、料理の数々が、並べられている。
「おお! これぞ、王の食事!」
ガガルは、さっそく、巨大な肉の塊に、かぶりついている。
「まあ、美しい…。食べるのが、もったいないくらいですわ」
アリアは、芸術品のような、前菜を、うっとりと、眺めている。
「てか、このソース、ちょー美味くない!?」
アイは、すでに、夢中で、料理を、頬張っていた。
その、華やかな、食卓の中で、一つだけ、異質なものが、あった。
ユウマの、目の前にだけ、置かれた、一皿。
そこには、ただ、灰色の、サイコロ状に、切り分けられた、ゼリーのような、物体が、ぽつんと、置かれていた。
味も、匂いも、全くしない。
「…あの、これは…?」
ユウマが、おそるおそる、尋ねると、ウィルナス王は、にこやかに、答えた。
「ああ、それは、『マナ・キューブ』だ。我が国の、魔術師たちが、作り出した、完全栄養食だよ」
王は、ワイングラスを、傾けながら、説明する。
「あらゆる、栄養素を、完璧な、バランスで、含んでいる。だが、その代償として、『味』という、余分な概念を、完全に、削ぎ落としてある。…つまり、それは、ただの、栄養の塊だ。美味くも、不味くもない。ただ、『無味』だ」
(うわあ、絶対、食べたくないやつだ…)
ユウマが、顔を引きつらせる。
「まあ、そう、嫌な顔をするな」と、ウィルナスは、笑った。「これも、我が国の、最高技術の、結晶だ。一口だけでも、試してみては、どうかな?」
その、金色の瞳は、有無を言わせぬ、圧力を、放っていた。
ユウマは、観念して、銀の、スプーンで、その、灰色の、物体を、一匙、すくうと、意を決して、口へと、運んだ。
(…やっぱり、味が、しない…)
まるで、空気を、食べているかのようだ。栄養はあるのかもしれないが、食事としては、最悪だった。
ユウ-マは、他の仲間たちが、美味しそうに、食べている、普通の、温かい料理を、羨ましそうに、見つめた。
(いいなあ…。俺も、あっちの、肉が、食べたいな…。せめて、この、灰色のやつが、ただの、じゃがいもだったら、まだ、マシなのに…)
彼の、その、あまりにも、ささやかで、あまりにも、切実な、『食への渇望』。
それが、『概念誘導』を、発動させた。
【ユウマの『渇望(普通の飯が食いたい)』が、『マナ・キューブ』の『無味(特別な存在)』という概念に、上書きされる】
ユウマの、口の中で、奇跡が、起きた。
味が、しなかったはずの、灰色のゼリーが、次の瞬間、ほくほくとした、食感に、変わった。
そして、口の中に広がる、香ばしい、バターの風味と、絶妙な、塩加減。
それは、彼が、今、まさに、思い描いていた、完璧な、『じゃがバター』の、味だった。
「…あれ?」
ユウマは、思わず、声を、漏らした。
「…うまい…」
彼は、もう一度、灰色の物体を、口に運ぶ。
今度は、なぜか、前世で、よく食べた、コンビニの、塩むすびの、味がした。
もう一口。今度は、母親が、作ってくれた、懐かしい、卵焼きの味がした。
それは、ユウ-マが、「美味しい」と、思う、全ての味に、変化していたのだ。
ユウマは、夢中で、その、灰色の、奇跡の物体を、食べ進めた。
その、あまりにも、不可解な、光景を。
ウィルナス王は、頬杖をつきながら、その、金色の瞳を、恍惚と、細めて、観察していた。
(…やはり、な…)
彼の、脳裏で、戦慄と、歓喜が、渦を巻いていた。
(破壊だけではない…。創造…いや、『改変』か…。『無』に、『有』を、与えることができる…。『無味』という、絶対的な、概念を、『美味』という、主観的な、概念で、塗り替えてしまった…)
(なんと、いう…なんと、いう、観察しがいのある、存在だ…!)
ウィルナスは、決意した。
絶対に、この、歩く、概念兵器を、手放してはならない。
彼の、全てを、解明するまで。
食事を、終え、満足げな、顔をしている、ユウ-マに、ウィルナスは、王として、最終的な、決定を、告げた。
その声は、もはや、客人に、語りかけるものではなかった。
自らの、所有物を、前にした、絶対君主の、声だった。
「―――賢者ユウマよ。貴様の、我が国への、滞在を、無期限に、延長する」
「異論は、認めん」
ユウ-マは、美味しい、じゃがバター(?)の、余韻に、浸りながら。
自分が、この、好奇心旺盛な、覇王の、金色の鳥籠から、完全に、出られなくなったことを、まだ、理解していなかった。




