第八十六話 覇王の試練と、賢者の気絶
「―――よく来たな、『世界の器』よ」
「…思ったより、早かったな」
「俺が、王だ」
ウィルナス王の、その言葉には、絶対的な自信と、そして、目の前の惨状に対する、わずかな呆れが、滲んでいた。
玉座の間は、天井に大穴が開き、粉塵が舞い、およそ、人間界の頂点に立つ、覇王の謁見の間とは思えぬ、カオスな有様だった。
「…ご、ごほんっ!」
ユウマは、粉塵を吸い込み、激しくむせながら、なんとか、四つん這いの姿勢から、立ち上がろうとした。しかし、三分間の、暴風旅行は、彼の三半規管を、完全に、破壊していた。世界が、まだ、ぐるぐると回っている。
「全員、下がれ」
ウィルナス王が、静かに、しかし、有無を言わせぬ声で、命じた。
抜刀しかけていた、白銀の騎士たち、そして、悲鳴を上げていた、大臣たちが、その一言で、凍りついたように動きを止め、一礼すると、足早に、玉座の間から、退出していく。
あっという間に、巨大な広間に残されたのは、ユウマ一行と、玉座に座る、ウィルナス王、ただ一人となった。
王の、金色の瞳が、まず、天井の穴から、ひょっこり、顔を覗かせている、シルフィードを、射抜いた。
「風の精霊か。余は、貴様を、呼んだ覚えはないが?」
「ふん! あんたに、呼ばれる筋合いなんて、ないわよ!」
シルフィードは、王の覇気にも、臆することなく、言い返した。
「あたしは、あたしのライバルが、心配で、来ただけ! …もう、用は済んだから、帰るわよ!」
彼女は、ユウマを一瞥すると、「…変な男に、負けるんじゃないわよ」と、小さな声で、悪態をつき、再び、風と共に、天井の穴から、消えていった。
嵐のような、精霊が去り、再び、静寂が訪れる。
ウィルナス王は、やれやれ、と首を振ると、その視線を、ようやく、立ち上がった、ユウマたちへと、戻した。
「さて」
王は、玉座の上で、頬杖をついた。
「噂は、色々と、聞いている。森の病を、癒し、戦を、終わらせた、聖者。魔族と、天使を、従える、賢者。世界の理を、書き換える、『器』…」
彼の、金色の瞳が、値踏みするように、細められる。
「…だが、言葉は、所詮、言葉だ。この目で、見るまでは、信じられん」
王は、立ち上がった。
そして、ゆっくりと、玉座から、降りてくると、ユウマの、目の前に、立った。
その、圧倒的な、威圧感に、ユウマは、後ずさりしそうになる。
「見せてみろ」
王は、静かに、しかし、絶対的な、命令として、言った。
「貴様の、その『力』とやらを。この、俺に」
それは、あまりにも、無慈悲で、あまりにも、絶望的な、要求だった。
ユウマに、見せられるような、力など、何一つ、ない。
あるのは、勘違いと、偶然と、そして、仲間たちの、勝手な、活躍だけだ。
(力…? 無理だ…! 何も、できない…!)
ユウマの、頭の中が、真っ白になった。
シルフィードの、無茶苦茶な、飛行で、揺さぶられ続けた、身体。
そして、この、人間界の、覇王と、対峙する、極度の、緊張。
彼の、心と、身体の、許容量は、完全に、限界を、超えていた。
「どうした? できないのか?」
ウィルナスが、冷徹に、問い詰める。
その、最後の一言が、引き金だった。
ユウマの、視界が、ぐにゃり、と歪む。
「……あ…」
ぷつん。
彼の、意識の糸が、切れた。
ユウマは、ウィルナス王の、目の前で、何の、前触れもなく、白目を剥くと、そのまま、糸の切れた、人形のように、ばたり、と、後ろへ、倒れた。
―――彼は、気絶したのだ。
「「「ユウマ様(主サマ)!!」」」
仲間たちの、悲鳴が、響く。
ウィルナスは、目の前で、突然、倒れた、少年に、一瞬、呆気に取られた。
(…気絶…だと…? この、俺を前にして、緊張のあまり…?)
くだらない、と、彼が、嘲笑しようとした、その、瞬間。
ゴオオオオオオオオッ!!
気絶した、ユウマの身体から、何の、魔力の輝きも、オーラも、伴わない、ただ、純粋な、『圧力』の、津波が、爆発的に、放たれた!
【ユウマの『完全な意識の喪失(気絶)』が、ウィルナス王の『力の開示要求』によって、『無意識の、全能力解放』の概念へと、反転・昇華される】
それは、音もなく、色もなく、しかし、空間そのものを、捻じ曲げるかのような、絶対的な、存在感の、奔流だった。
玉座の間の、壁に、亀裂が走り、天井から、さらに、瓦礫が、降り注ぐ。
ウィルナス王でさえ、その、未知の、圧力の前に、思わず、一歩、後ずさっていた。
彼の、背後の、玉座が、ミシミシと、軋む音を、立てている。
そして、数秒後。
その、圧倒的な、圧力は、まるで、何も、なかったかのように、すうっ、と、消え去った。
後に残されたのは、静寂と、床に、大の字で、気絶している、ユウマの、無防備な、寝顔だけ。
「……………」
ウィルナスは、言葉を、失っていた。
(…なんだ、今のは…)
彼は、ユウマが、気絶したふりを、しているのだと、一瞬、思った。
だが、違う。あの、圧力は、本物だ。
そして、その、圧力の、あまりの、規格外さに、彼の、魂は、震えていた。
(…試練に、対し、力で、応えるのではなく。自らの、意識を、断ち切ることで、その、存在の、『重さ』そのものを、世界に、解き放った、というのか…)
(…そして、その、力を、見せつけた後、完全に、無防備な、姿を、晒すことで、『俺は、お前に、敵意はない』と、示している…?)
それは、あまりにも、高度で、あまりにも、傲岸不遜な、王と、王の、対話。
ウィルナスは、ユウマの、その、常軌を逸した、答えに、生まれて初めて、敗北感にも、似た、感情を、味わっていた。
彼は、床に、転がる、少年を、見下ろした。
その、金色の、瞳には、もはや、侮りの色は、なかった。
ただ、計り知れない、巨大な、謎と、そして、獰猛なまでの、好奇心が、炎のように、宿っていた。
「…面白い」
ウィルナスは、静かに、呟いた。
「…面白いじゃないか、『世界の器』よ」
ユウマは、ただ、気絶しただけだった。
しかし、その、人生で、最も、情けない、失態は、この、人間界の、最も、傲慢な、覇王の、心を、完全に、鷲掴みにしてしまったのだった。




