第八十二話 賢者の沈黙と、新たなる枷
熱狂する民衆の海を、モーゼのように割りながら、一行は、王城へと、凱旋した。
ユウマは、馬車の中から、自分の名を叫び、涙を流して、ひれ伏す人々の姿を、ただ、呆然と、見つめていた。
それは、もはや、彼が、どうこうできる、規模の、熱狂ではなかった。
王城の、最も、格式高い、謁見の間。
そこに、通されたのは、ユウマとその仲間たち、そして、国王陛下と、宰相セイファート公爵、ギデオン将軍をはじめとする、国の、最高首脳部だけだった。
重々しい、沈黙が、場を、支配していた。
最初に、口を開いたのは、宰相、セイファート公爵だった。
彼は、ユウマの前に、深く、頭を下げると、震える声で、報告を始めた。
「…大賢者殿。貴方様の、『静寂の森』での、御業は、すでに、大陸中に、衝撃を、与えつつあります」
彼の言葉は、もはや、ただの報告ではなかった。神話の、語り部のようだった。
「解放された、帝国兵たちは、故郷へ帰り、『慈悲深き、聖者』の奇跡を、語り伝えております。帝国では、賢者様を、新たな、信仰の対象とする、民衆まで、現れ、国内は、大混乱に、陥っている、とのこと」
「ベルフェゴール侯爵の、反乱軍は、帝国の支援を失い、完全に、瓦解。…貴方様は、たった、一日で、内乱と、大国との戦争、その両方を、終わらせてしまわれたのです」
その、あまりにも、現実離れした、戦果報告。
ユウマは、もはや、他人事のように、それを、聞いていた。
やがて、玉座から、国王陛下が、ゆっくりと、立ち上がった。
その、老王の顔には、安堵と、そして、計り知れない、畏怖の色が、浮かんでいた。
「…賢者ユウマ殿」
王は、ユウマに、静かに、問いかけた。
「…我々は、おぬしを、どう、処遇すれば、よいのじゃろうか」
その声は、王としてではなく、一人の、無力な老人としての、響きを持っていた。
「おぬしは、もはや、我が国の、法や、秩序の、外におる。その、御名一つで、軍隊を動かし、その、御業一つで、戦争を、終わらせてしまう。…おぬしの、望みは、何じゃ? この国の、王位か? それとも、世界の、富か? …望むものを、言うてくれ。我らは、もはや、おぬしに、逆らうことなど、できぬのじゃから」
王も、宰相も、将軍も、固唾を飲んで、ユウマの、答えを待っていた。
彼らは、神の、ご宣託を、待つ、信徒のように、ユウマの、一言一句に、集中していた。
しかし、ユウマは、何も、答えなかった。
彼は、ただ、黙って、立ち尽くしていた。
(望み…?)
彼の心の中は、空っぽだった。
(俺の望みは、ただ、静かに、暮らすことだけだ。でも、もう、それは、絶対に、叶わない…)
(何を言っても、無駄だ。何をしても、勘違いされる。だったら、もう、俺は…)
ユウマは、全てを、諦めた。
彼の、心は、『無』だった。
その、あまりにも、純粋で、絶対的な、『沈黙』。
その、沈黙の、意味を、王と、宰相は、またしても、壮大に、勘違いした。
【ユウマの『完全な諦観(沈黙)』が、王たちの『神意への渇望』によって、『究極の無欲(無私)』の概念へと、反転・昇華される】
(…なんと…)
王と、宰相の、脳裏に、同じ、戦慄が、走った。
(この御方は…何も、望んでおられぬ…!)
(王位も、富も、名誉も、何一つ、要求されない…!)
(これほどの、力を、持ちながら、その、使い道すら、我らに、委ねられると、いうのか!)
(なんと、いう、無私! なんと、いう、慈悲! この御方は、ただ、この世界の、平穏だけを、望んでおられるのだ!)
ユウマの、完全な、思考停止は、彼らの目には、「全てを、世界に、委ねる」という、究極の、自己犠牲の、精神として、映ってしまった。
「……承知、つかまつった」
国王陛下は、震える声で、そう言うと、玉座の前で、深く、深く、頭を垂れた。
「…賢者殿の、その、あまりにも、気高き、御心、確かに、受け止めた」
王は、顔を上げ、その場で、高らかに、宣言した。
「全臣下に、告ぐ! これより、大賢者ユウマ様に、新たなる、地位を、授ける!」
「その地位は、『王国の守護者』!」
「守護者は、王権、神権、軍権、その、一切の、枠組みに、囚われることなく、ただ、その、御心のままに、この国を、そして、民を、お導きくださる!」
「守護者の、御前においては、国王たる、余でさえ、その、臣下の一人となる!」
それは、事実上、この国の、全ての権限を、ユウマ一人に、委ねるという、前代未聞の、宣言だった。
「「「ははーっ!!」」」
謁見の間の、全ての者が、ユウマに向かって、ひれ伏した。
ユウマは、目の前で、起こっている、現実を、もはや、理解することを、やめていた。
(王国の…守護者…?)
平穏を求めた、彼の旅は、ついに、彼を、一国の、最高権力者(という名の、生贄)の座に、祭り上げてしまった。
もう、彼に、自由はない。
彼の、一挙手一投足が、この国の、未来そのものとなってしまったのだから。
ユウマは、ただ、静かに、目を閉じた。
もはや、彼の人生は、彼のものでは、なくなった。




