第八十一話 勝利の帰還と、新たな伝説
『静寂の森』の朝は、あまりにも、静かだった。
憎しみも、剣戟の音も、うめき声も、もはや、どこにもない。
ただ、朝日を浴びて、生まれ変わった、森の木々が、きらきらと、輝いているだけだった。
解放された、帝国軍の兵士たちは、王国軍から、分け与えられた、水と、食料を手に、故郷への、帰路についた。
その、一人一人が、出発の前に、ユウマがいる、丘の方向に向かって、深く、深く、頭を下げていった。
それは、もはや、敵国の、賢者に対する、敬意ではない。
自分たちの、命を、そして、魂を、救ってくれた、聖者への、信仰の祈りだった。
「…行かれましたな」
ギデオン将軍は、その光景を、静かに、見届けていた。
そして、ユウマの元へと、歩み寄った。
「我らも、帰りましょうぞ、大賢者殿。貴方様の、凱旋を、王都で、待つ、民の元へ」
王都への、帰り道。
ユウマは、馬車の中で、ぐったりと、眠っていた。
この、数日間の、出来事は、彼の、精神と、肉体を、完全に、限界まで、すり減らしていた。
その、穏やかな、寝顔を、見守りながら、仲間たちは、静かに、言葉を、交わしていた。
「しかし、見事であったな! 敵兵を、一人も、殺すことなく、その戦意を、完全に、打ち砕く! これぞ、真の、覇王が、行う、戦よ!」
ガガルは、未だ、興奮冷めやらぬ、様子だった。
「ええ。賢者様は、憎しみは、憎しみしか、生まないことを、その、御身をもって、お示しになられたのです。あれは、勝利ではなく、『救済』でしたわ」
アリアは、うっとりと、微笑んでいる。
「てか、あの帝国兵たち、国に帰って、どうすんだろね? 『敵の賢者が、神様でした』とか、言っちゃうわけ? 超ウケるんだけど」
アイが、素朴な、しかし、核心を突いた、疑問を、口にする。
「…面白いことになるわよ」
リリスが、静かに、答えた。
「あの子は、ただ、戦いを、終わらせただけじゃない。敵国の、内側に、決して、消すことのできない、自分への『信仰』という、爆弾を、仕掛けて、帰したのよ。…あの国は、いずれ、内側から、崩れるわ」
仲間たちが、それぞれの、壮大な解釈で、盛り上がる中、ユウマだけが、全ての、混沌から、解放され、穏やかな、眠りの中にいた。
やがて、一行の、馬車が、王都の、城門に、さしかかった、その時。
ユウマは、地鳴りのような、歓声で、目を覚ました。
「「「うおおおおおおお!!!」」」
「賢者様が、お戻りになられたぞ!」
「我らが、救世主の、ご帰還だ!」
目の前には、信じられない、光景が、広がっていた。
城門から、王城へと続く、大通りが、完全に、民衆で、埋め尽くされている。
人々は、熱狂し、涙を流し、ユウマの名を、絶叫していた。
道には、花びらが、舞い、空には、祝福の、魔法の光が、打ち上げられている。
それは、もはや、歓迎ではなく、国家的な、祝祭だった。
『静寂の森の奇跡』。
その、おとぎ話のような、勝利の報せは、すでに、王都の、隅々にまで、行き渡っていたのだ。
そして、その、民衆の、海の、向こう。
城門の前には、国王陛下、その人、自らが、宰相セイファート公爵をはじめとする、全ての、重臣たちを、引き連れて、一行を、出迎えていた。
ユウマが、呆然と、馬車の窓から、外を、眺めていると、馬車の扉が、静かに、開かれた。
そこに立っていたのは、宰相、セイファート公爵だった。
その、『古狐』と呼ばれた、老獪な男の顔には、もはや、ユウマを、試すような、色は、なかった。
ただ、計り知れない、何かを、前にした、畏怖と、そして、わずかな、恐怖だけが、浮かんでいた。
「…お戻りなさいませ、大賢者殿」
宰相は、深く、深く、頭を下げた。
「貴方様の、常軌を逸した、勝利の報告は、届いております。…どうやら、貴方様は、我々が、考えていた以上に、この世界の、理そのものを、書き換える、お方らしい」
彼は、顔を上げ、ユウマを、真っ直ぐに、見つめた。
「…少し、お話が、ございます。この国の、いえ、この世界の、これからについて」
ユウマは、熱狂する、民衆の、声と、目の前の、国のトップの、あまりにも、重すぎる、言葉に、挟まれながら。
自分が、もはや、絶対に、引き返すことのできない、場所まで、来てしまったことを、改めて、悟るしかなかった。
彼の、平穏な、ニート生活への道は、完全に、断たれた。




