第8話:英雄の寝室(カオス)
トリス村の英雄となったユウマは、祝宴の熱狂と、度重なる精神的疲労により、村長屋敷の最高級客室のベッドで泥のように眠っていた。
彼の安らかな寝息だけが、静かな部屋に響いている。……はずだった。
ユウマが眠りについて一時間後。
そっと部屋の扉を開け、忍び足で入ってくる者がいた。聖女候補、アリアだ。
彼女は眠るユウマの姿に敬虔な祈りを捧げると、持参した荷物から次々とアイテムを取り出し始めた。
(賢者様が、旅の疲れを癒し、安らかな眠りにつけるよう、この部屋を聖なる空間に整えなければ…)
アリアはまず、部屋の四隅に浄化の力を持つという岩塩を盛り、窓際には女神への祈りが彫られた銀の燭台を置いた。ベッドサイドには、安眠効果のある聖なるハーブを焚きしめる。部屋は徐々に、厳かな教会のようになっていった。
彼女が壁に聖印が描かれたタペストリーを掛けようとした、その時。
ギィ、と再び扉が開き、今度は巨漢の影――ガガルが入ってきた。彼もまた、眠るユウマに一礼すると、どこから持ってきたのか、禍々しいオーラを放つアイテムを部屋に運び込み始めた。
(我が魔王ユウマ様がお休みになる寝室が、これほどまでに無防備で平凡とは…。威厳ある魔王の間に作り変えねばなるまい)
ガガルはまず、部屋の隅にあった質素な椅子を叩き割り、代わりに黒曜石で作られた(ように見える)ゴツゴツした玉座を設置した。壁には巨大な魔物の頭蓋骨を飾り付け、床には獣の毛皮を敷き詰める。部屋はみるみるうちに、魔王軍の作戦司令室のようになっていった。
そして、二人はお互いの存在に気づいた。
「……貴様、何をしている」
ガガルが、アリアが設置した燭台を指差す。
「我が主の寝室に、そのような軟弱な飾り付けは不要だ」
「それはこちらの台詞です、ガガル」
アリアも、ガガルが持ち込んだ頭蓋骨を睨みつける。
「賢者様のお部屋に、そのような不浄なものを持ち込むなど、万死に値します」
「我が主は魔王であると言っている!」
「いいえ、聖なる賢者様です!」
言い争いは、やがて行動へとエスカレートする。
アリアが聖水を撒けば、ガガルが魔除けの呪印を上書きする。
ガガルが黒いカーテンを掛ければ、アリアがその上から純白のレースを重ねる。
「フフフ…」
そのカオスな光景を、いつの間にか部屋にいたリリスが、ユウマのベッドの隅に腰掛け、ワイングラスを片手に楽しげに眺めていた。
「やめなさい!」「そちらこそ!」
二人の声が大きくなり、ついにユウマが「んん……」と身じろぎをした。
ハッと我に返った二人は、慌てて口をつぐむ。
ユウマはゆっくりと目を開けた。
そして、自分の部屋が信じられない光景になっているのを目の当たりにする。
部屋の右半分は、聖水とハーブの香りが漂う神聖な祈りの間。
部屋の左半分は、獣の匂いと威圧感が漂う悪魔的な玉座の間。
そして、その境界線であるベッドの上では、アリアとガガルが「こっちへ来てください」「いや、こちらだ」と、ユウマの掛け布団を左右に引っ張り合っていた。
「…………。」
ユウマは、一言も発さなかった。
彼はただ、静かに寝返りをうつと、バサリ、と頭の先まで布団をかぶり、再び眠りにつこうと努力を始めた。
(もう…知らない…。俺は寝る…)
主のあまりに完璧な「現実逃避」を見て、リリスは声を殺して笑う。
アリアとガガルは、「賢者様(ユウマ様)は、我々の忠誠心の篤さを夢の中でお試しになっているのだ…!」と、さらなる勘違いを深めるのだった。
ユウマの安眠は、まだ遠い。




