第七十八話 静寂の森の戦いと、賢者の涙
夜が、最も、深くなる刻。
『静寂の森』を見下ろす丘の上の、作戦司令部は、息を殺したような、緊張感に、包まれていた。
ユウマは、その中心で、ただ、ガタガタと、震えていた。腕の中のチビすけの、温かい光だけが、彼の、唯一の、支えだった。
「…来ました!」
斥候の一人が、叫んだ。
「敵影! 多数! 賢者様が、予言された通り、『静寂の森』の、西側から、侵入を開始!」
「よし…!」
ギデオン将軍の、目に、鋭い光が宿る。
「…まだだ。完全に、森の奥深くまで、引きずり込め…」
時間が、永遠のように、感じられた。
やがて、伝令が、再び、叫んだ。
「敵部隊、森の中央地点を、通過! 我が軍の、包囲網の、内側に、入りました!」
「…今だ!」
ギデオンは、天に、向かって、右手を、振り上げた。
「全軍、攻撃開始ィィィッ!!」
その号令を、待っていたかのように。
夜空を、切り裂き、月光を、その翼に浴びて、数十騎の、グリフォンが、空から、急降下した。
森の、木々の上からも、伏兵として、潜んでいた、王国軍の、兵士たちが、一斉に、矢の雨を、降らせる。
静寂の森は、一瞬にして、鉄と、炎と、絶叫が、渦巻く、地獄へと、姿を変えた。
「う…あ…」
ユウマは、丘の上から、その光景を、直視していた。
遠すぎて、一人一人の顔までは、見えない。
しかし、光の、明滅。響き渡る、断末魔。生命が、消えていく、気配。
その全てが、彼の、五感を、容赦なく、苛んだ。
吐き気が、こみ上げてくる。
(俺の、せいだ…俺の、せいで、人が、死んでいく…!)
その、ユウマの、動揺を、見逃さなかった、敵兵がいた。
包囲網を、突破した、手練れの、騎士たちが、一隊、この、司令部へと、突撃してきたのだ。
「本陣だ! 賢者の、首を取れ!」
「「「愚か者が!!」」」
しかし、その、決死の突撃は、ユウマに、届く前に、完全に、粉砕された。
「我が主君の、御前に、近づけると思うな!」
ガガルの、戦斧が、一閃。突撃してきた、騎士たちを、馬ごと、吹き飛ばす。
「そこまでよ」
アイの、矢が、後続の、指揮官の、兜を、正確に、射抜く。
「聖なる光の前に、ひれ伏しなさい」
アリアの、障壁が、敵の、魔法を、完全に、無効化する。
「あら、もう、終わり?」
リリスが、指を鳴らすと、最後の、一騎の、馬が、狂ったように、暴れだし、主を、振り落とした。
それは、もはや、戦闘ではなかった。
あまりにも、一方的な、蹂躙。
ギデオン将軍と、その幕僚たちは、ユウマの、従者たちの、人知を超えた、強さを、目の当たりにして、ただ、絶句していた。
しかし、ユウマの、苦しみは、終わらない。
丘の上の、戦いは、終わっても、森の中の、殺し合いは、まだ、続いている。
味方の、歓声。敵の、悲鳴。
その全てが、彼の、心を、抉っていく。
(もう、やめてくれ…)
彼の、唇から、声にならない、声が、漏れた。
(お願いだから…もう、誰も、死なないでくれ…!)
それは、勝利を、求める、祈りではなかった。
ただ、純粋に、これ以上の、殺戮が、終わることだけを、願う、悲痛な、叫びだった。
ユウマの**『平和への、渇望』。
それが、引き金だった。
彼を、『希望の旗印』として、見上げる、数千の兵士たちの『信仰』**と、共鳴し、『概念誘導』が、戦場という、舞台の上で、発動した。
ユウマの、身体から。彼の腕の中の、チビすけから。
穏やかで、しかし、抗いがたい、黄金色の、光が、溢れ出した。
光は、夜の闇を、優しく、照らし出し、戦場全体を、まるで、夕焼けのように、包み込んでいく。
その光は、武器を、破壊しない。
その光は、兵士を、傷つけない。
ただ、その光に、触れた、全ての、人間の心から、『敵意』と、『憎しみ』と、『恐怖』だけを、綺麗に、洗い流していった。
「…あれ…?」
敵兵の一人が、振り上げていた、剣を、下ろした。
(俺は、何を、していたんだ…?)
隣で、仲間が、血を流している。故郷では、家族が、待っている。
なぜ、自分は、こんな、場所で、人を、殺そうと、していたのか。
その、理由が、分からなくなった。
一人、また一人と、敵兵が、その場に、武器を、落としていく。
ある者は、その場に、へたり込み、
ある者は、故郷の、空を、見上げ、
また、ある者は、子供のように、声を上げて、泣き出した。
やがて、王国軍の、兵士たちも、攻撃の手を、止めた。
目の前の、敵が、もはや、敵意を、失っていることに、気づいたからだ。
静寂が、戦場に、戻ってきた。
それは、『沈黙の森』が、本来、持っていた、穏やかな、静寂だった。
やがて、敵の、指揮官が、一人、ゆっくりと、前に進み出ると、その剣を、地面に突き立て、ユウマがいる、丘に向かって、深く、深く、頭を下げた。
降伏だった。
戦いは、終わった。
王国軍の、圧倒的な、そして、完全な、勝利だった。
しかし、そこに、勝者の、雄叫びは、なかった。
ただ、誰もが、言葉を失い、丘の上で、黄金色の光を、放ち続ける、一人の、少年を、見上げていた。
その、光の中心で。
ユウマは、静かに、涙を、流していた。
それは、歓喜の涙ではない。
ただ、目の前で、繰り広げられた、あまりにも、悲惨で、そして、あまりにも、奇跡的な、光景の、重圧に、耐えきれず。
彼の、心が、こぼれ落とした、ただの、涙だった。




