第六十五話 嘆きの大地と、引きこもりの土精
ウンディーネが作り出した、魔法の水路の旅は、あっという間に終わった。
一行が、蓮の葉から降り立った場所。そこは、先ほどまでの、瑞々しい森とは、まるで正反対の、荒涼とした大地だった。
どこまでも続く、ひび割れた赤茶けた大地。
生命の気配はなく、時折、乾いた風が、奇妙な形に削れた岩の間を、悲しげな音を立てて、吹き抜けていく。
「ここが、『嘆きの大地』…。土の精霊、ノームの領域ね」
リリスが、うんざりしたように、呟いた。
「マジ、テンション下がるんだけど…」
アイが、靴の裏についた、乾いた土を、払いながら、ぼやく。
「てか、主サマの婚約者? 超ワガママじゃん。こんな何もないとこに、うちらを放置とか、ありえないし」
「(婚約者じゃない…!)」
ユウマは、心の中で、必死に、訂正した。
「フン! 嘆きの大地か! 我が主君が、この地を踏まれたからには、今日から、ここは、『歓喜の大地』となるであろう!」
ガガルだけが、相変わらず、ポジティブだった。
ユウマの腕の中では、『チビすけ』が、宝玉から、一本の、光の道筋を、示している。
その光は、荒野の、さらに、中心部へと、一行を導いていた。
どれくらい、歩いただろうか。
やがて、一行は、大地が、巨大な口を開けたかのような、巨大な渓谷の底へと、たどり着いた。
そして、その、洞窟の奥に、その『主』は、いた。
洞窟の最も奥に、岩をくり抜いたような、玉座が置かれている。
そこに、膝を抱えて、座り込んでいる、小柄な少女の姿があった。
全身を、くすんだ茶色のローブで覆い、顔も、深く被ったフードで隠されている。
土の精霊、ノームだった。
「…何の用?」
ノームは、顔を上げることもなく、しかし、地鳴りのような、ぶっきらぼうな声で、言った。
「見ての通り、この大地は、もう、死んでる。与えるものも、祝福も、何もない。さっさと、立ち去って」
「そうはいかないんだって、アンタ!」
アイが、一歩前に出る。
「うちら、この子の、祝福をもらいに来たの! あんた、四大精霊の一人なんでしょ! さっさと、仕事しなよ!」
「…祝福…?」
ノームは、フードの奥で、わずかに顔を上げた。その瞳は、まるで、輝きを失った、ただの石ころのようだった。
「…無意味。何かを生み出すことなんて、全部、無意味。どうせ、いつかは、風化し、崩れ、塵になる。…創造なんて、虚しいだけ…」
その声は、あまりにも、虚無的で、少女のそれとは思えぬほど、疲れ切っていた。
彼女は、創造への情熱を、完全に、失ってしまっていたのだ。
「何を、腑抜けたことを!」
ガガルが、怒鳴る。
「ならば、その、腐った根性、俺が、叩き直してくれる!」
「やめなさい、ガガルさん」
アリアが、静かに、ガガルを制した。
彼女は、ノームの前に進み出ると、優しく、語りかけた。
「大地の精霊よ。創造の喜びを、お忘れになったのですね。ですが、思い出してください。貴女が、その手で、生み出した、鉱石の輝きを。貴女が、育んだ、大地の温もりを…」
しかし、ノームは、再び、膝を抱え、フードの中に、顔を埋めてしまった。
仲間たちの、熱い言葉も、優しい言葉も、彼女の、固く、冷たい、岩の心には、届かない。
その、重苦しい、沈黙の中。
ユウマは、一人、洞窟の中を、きょろきょろと、見回していた。
洞窟の壁には、作りかけのまま、放置された、鳥や、獣の、見事な、石の彫刻が、いくつも、並んでいた。どれも、今にも、動き出しそうなほど、生命力に、溢れている。
(…すごいな、この子。本当は、ものを作るのが、大好きなんだろうな…)
ユウマは、ふと、彫刻の足元に、小さな、ノミと、金槌が、落ちているのに、気づいた。
彼は、ほとんど、無意識に、それを、拾い上げた。
そして、近くにあった、ただの、丸い石を、目の前に、置いた。
(…なんで、やめちゃったんだろうな…)
彼は、ただ、目の前の、頑固な、そして、どこか、寂しそうな、少女を、元気づけられないか、と思った。
自分に、できることなんて、何もないけれど。
ユウマは、金槌を振り上げ、ノミの先に、こん、と、軽く、当ててみた。
カキン!
それは、洞窟の中に響き渡るには、あまりにも、小さく、拙い音だった。
ユウマが、石に付けた傷は、ただの、白い、引っかき傷にしか、見えなかった。
しかし。
その音が、響いた、瞬間。
膝を抱えていた、ノームの身体が、びくん!と、大きく、震えた。
【ユウマの『ただの、何気ない一打』が、ノームの『失われた、創造への情熱』によって、『創造主の、最初の一撃』の概念へと、反転・昇華される】
ノームの脳裏に、遥か、太古の、世界の始まりの記憶が、稲妻のように、蘇っていた。
混沌の中に、最初に生まれた、ただ、一点の、輝き。
無意味の中に、最初に生まれた、ただ、一つの、意味。
全ての創造は、たった、一つの、一打から、始まる。
「…この、音は…」
ノームは、ゆっくりと、フードから、顔を上げた。
その、死んでいたはずの、石ころの瞳が、内側から、マグマのような、赤い輝きを、取り戻していく。
彼女は、ユウマが、石につけた、ただの、小さな傷を見つめていた。
しかし、彼女の目には、その傷が、無限の可能性を秘めた、宇宙そのものに、見えていた。
「…喜びだ…」
ノームの、岩の唇が、震えた。
「…何かを、生み出す、喜び…。忘れてた…。私、この、喜びを、忘れてたんだ…!」
ゴゴゴゴゴ…!
ノームは、数百年ぶりに、その、小柄な身体を、玉座から、立ち上がらせた。
その身体からは、もはや、虚無の気配は、消え失せ、大地そのものを、揺るがすほどの、凄まじい、創造へのエネルギーが、溢れ出していた。
「…あ、あの…」
ノームは、ユウマに向かって、一歩、踏み出した。
その瞳は、もはや、師を、あるいは、神を、見るかのように、ギラギラと、輝いていた。
「…もう一度、教えて…! 『創る』って、どういうことか…!」
ユウマは、目の前の、いきなり、やる気満々になった、岩の少女を、ただ、呆然と、見つめることしか、できなかった。
彼が、ただ、何気なく、石を叩いただけの、その一撃が、一人の、引きこもり少女の、創作意欲に、火をつけてしまったということに、彼は、全く、気づいていなかった。




