第六十一話 沈黙の森と、水の誘い
風鳴りの山脈を、まるで王族の散歩のように、優雅な追い風に見送られて下山した一行。
ユウマは、ただ天候が回復しただけだと、幸運に感謝していたが、彼の仲間たちの、彼を見る目は、もはや、神を見るそれに、限りなく近づいていた。
「風を従えし、我が主君よ! 次なる目的地、東の森へ、いざ進軍いたしましょう!」
「ええ! 賢者様の歩む道は、常に、祝福されていますわ!」
「主サマ、マジ最強じゃん! 風も味方とか、ウケる!」
仲間たちの、あまりにも高いテンションに、若干、引き気味のユウマ。
彼は、腕の中で、風の祝福を受けて、ご機嫌に光る『チビすけ』を見つめ、静かに、ため息をついた。
(こいつの親じゃなかったら、今すぐ、逃げ出したい…)
一行は、シルフィードが示した通り、東へと、進路を取った。
岩だらけだった山岳地帯から、次第に、緑豊かな平原へと、景色は変わっていく。
そして、数日間、歩き続けた頃。
目の前の、空気が、変わった。
じっとりと、肌にまとわりつくような、湿った空気。
そして、それまで聞こえていた、鳥の声も、虫の音も、風の音さえも、ぷつり、と途絶えた。
世界から、音が、消えた。
目の前には、深い、深い、霧に覆われた、森が広がっていた。
木々は、奇妙な形でねじ曲がり、その枝からは、水滴を滴らせた、灰色の苔が、いくつも垂れ下がっている。
地面は、どこまでが道で、どこからが沼なのか、見分けがつかない。
「ここが…『沈黙の森』…」
アイが、ごくりと、喉を鳴らした。
「噂には聞いてたけど、マジで、何の音もしない…。やばい、超こわいんだけど…」
「フン。気味が悪いだけの森よ」
ガガルは、強がってはいるが、その目は、油断なく、周囲を警戒していた。
ユウマは、腕の中の、チビすけを、ぎゅっと、抱きしめた。
宝玉は、先ほどまでと同じように、一本の、翠色の光を放ち、この、不気味な森の、奥へと、一行を導いている。
一行は、光が示す、唯一の道を頼りに、音のない、不気味な森へと、足を踏み入れた。
聞こえるのは、自分たちの、水気を帯びた、足音だけ。
その、あまりにも、単調で、静かな環境は、人の、思考を、少しずつ、鈍らせていく。
「…なんだか…」
先頭を歩いていたガガルが、ふらり、と、足をもたつかせた。
「急に、身体が、重く…瞼が…」
「いけません…!」
アリアの、声も、どこか、呂律が回っていない。
「この静けさと、霧には、人の、意識を、眠りへと誘う、強力な、魔法が…」
ガクン、と、ガガルの巨大な身体が、膝から崩れ落ちそうになる。アイも、アリアも、その場に、へたり込んでしまった。
リリスでさえ、「あら…これは、ちょっと…厄介ね…」と、こめかみを押さえている。
「え、ちょ、みんな!?」
ユウマだけが、平然としていた。
彼には、魔力も、聖気もない。そのため、この森の、魔力を介した精神攻撃が、全く、効いていなかったのだ。
しかし、仲間たちが、全員、眠ってしまっては、元も子もない。
この、不気味な森に、一人、取り残される。
想像しただけで、ユウマは、背筋が凍った。
「だめだ! 寝るな! 起きろ!」
ユウマは、パニックになりながら、ガガルの肩を、必死に揺さぶった。
「起きろってば、ガガル! ここで寝たら、死ぬぞ! アリアさんも、アイさんも!」
それは、ただの、恐怖心から出た、必死の叫びだった。
しかし、その、ユウマの、切実な**『起きてほしい』という願い**。
それが、『概念誘導』を発動させた。
【ユウマの『覚醒(起きて)』を求める概念が、仲間たちの『信仰心』によって、『精神浄化の波動』の概念へと増幅・昇華される】
ユウマの声が、まるで、聖なる鐘の音のように、眠りに落ちかけていた、仲間たちの、魂に、直接、響き渡った。
彼らの意識を、縛り付けていた、霧のような睡魔が、一瞬にして、晴れ渡っていく。
「「「はっ!!」」」
三人は、同時に、目を覚ました。
「な、なんという…! 我が精神を蝕んでいた、呪いの霧が、ユウの‐マ様の、一喝で…!」
ガガルは、驚愕に、目を見開く。
「賢者様の、お言葉そのものが、我々の魂を、悪しき誘惑から、守ってくださったのですね…!」
アリアは、感謝の祈りを捧げた。
「うわ、マジで寝落ちするとこだった…。サンキュ、主サマ! やっぱ、頼りになるじゃん!」
アイが、ぺろり、と舌を出した。
(え、俺、ただ、叫んだだけなんだけど…)
ユウマは、またしても、自分の行動が、とんでもない奇跡として、解釈されてしまったことに、もはや、何の驚きも、感じなくなっていた。
睡魔の呪縛から、解放された一行は、再び、歩みを進める。
やがて、深く立ち込めていた霧が、ゆっくりと、晴れてきた。
彼らの目の前に、広大な、湖が、現れた。
風も、音もない、その湖は、まるで、巨大な、鏡のように、空のオーロラを、完璧に、映し出していた。
この世のものとは思えぬほど、静かで、美しい、光景。
そして、その、鏡のような、湖の中心。
水面に、浮かぶ、巨大な、蓮の花の上で。
一人の、美しい女性が、静かに、眠っていた。
その、穏やかな寝顔は、彼女が、何百年も、何千年も、そうして、眠り続けているかのように、見えた。
水の精霊、ウンディーネ。
彼女こそが、この森の、そして、この湖の、主だった。




