第五十五話 賢者の不貞腐れと、砕けた忠誠
翌朝、ユウマは、久しぶりに、すっきりとした気分で目を覚ました。
泉での壮絶な体験の記憶は、まだ、悪夢のようにこびりついていたが、丸一日眠り続けたことで、肉体的な疲労は、かなり回復していた。
(…あれ? なんか、部屋、めちゃくちゃじゃないか…?)
ベッドから起き上がったユウマは、部屋の惨状に、首を傾げた。棚はひしゃげ、床には、よく分からないガラクタや、炭化したキノコの残骸が散らばっている。
「おはよう、主サマ! やっと起きたんだ!」
アイが、心配そうな顔で、駆け寄ってきた。
「おはよう…。一体、何があったんだ、これ?」
ユウマが尋ねると、アイは、少し、言いにくそうに、部屋の隅を指さした。
その隅には、体育座りよりも、さらに体を小さく丸め、壁に向かって、ぶつぶつと何かを呟いている、巨大な緑色の塊――ガガルの姿があった。その背中からは、この世の終わりのような、絶望的なオーラが立ち上っている。
「ガガルさん? どうしたんだ、あれ?」
ユウマが、不思議そうに尋ねると、アリアが、神妙な顔で、口を開いた。
「…賢者様。昨夜、貴方様が、眠りながらにして、彼に、天罰を下されたのです」
「天罰…?」
「うん」と、アイが頷く。「主サマがさ、『ガガル、嫌い』って、マジはっきり言ったから。あいつ、あれから、ずっと、あんな感じ」
「俺が!?」
ユウマは、絶叫した。
全く、覚えていない。寝言で、そんなことを言ってしまったのか。
どうりで、部屋がめちゃくちゃなわけだ。きっと、ガガルが、ショックで暴れたに違いない。
「ち、違う! あれは、寝言だ! 何の意味もないんだって!」
ユウマは、慌てて、弁解した。
しかし、その言葉は、またしても、仲間たちの、ポジティブすぎる(そして、ユウマにとってはネガティブすぎる)勘違いフィルターを、通って解釈された。
「まあ…!」
アリアが、感動に、胸を押さえた。
「一度は、厳しく天罰を下し、その罪を認めさせた上で、今度は、『あれは夢だった』と、慈悲をおかけになる…! なんという、深いお考え! これぞ、アメとムチ…!」
「へえ。なかなか、やるじゃない」
リリスが、感心したように、ユウマを見た。
「部下の心を、完全に掌握する気ね。一度、絶望の淵に叩き落としてから、救いの手を差し伸べる。…あんた、本当に、魔王の素質あるわよ」
「違うんだってば!!」
ユウマの叫びも、もはや、誰にも届かない。
自分の、無意識の寝言ですら、深遠なる策略だと解釈されてしまう。
自分の、必死の弁解ですら、さらなる勘違いを、上塗りしてしまう。
(…もう、いい…)
ユウマの心の中で、何かが、完全に、折れた。
もう、何を言っても、無駄だ。
こいつらに、何を説明しても、無駄なんだ。
ユウマは、ふい、と、仲間たちから顔を背けると、部屋の隅へと、とぼとぼと歩いていった。
そして、絶望の淵にいるガガルの隣で、同じように、体育座りをして、壁に向かって、座り込んだ。
「…主サマ!?」
「け、賢者様!?」
仲間たちの、戸惑う声が聞こえる。
しかし、ユウマは、一切、反応しなかった。
口を、真一文字に結び、腕を組み、ただ、じっと、目の前の壁を、睨みつける。
そう、彼は、ふてくされたのだ。
(もう、知らない。勝手にしろ。俺は、もう、何もしゃべらない。何もしない。ただの、置物になってやる)
それは、彼の、ささやかで、あまりにも子供じみた、最後の抵抗だった。
「や、やば…。主サマ、マジで、ヘソ曲げちゃった…」
「ど、どうしましょう…。賢者様が、世を儚んで、沈黙の行に、入られてしまいました…!」
「あらあら。今度は、だんまり作戦? 面白いじゃない」
星見の塔ならぬ、アイの家は、最悪の空気に包まれた。
一人は、絶望のあまり、自己嫌悪の塊と化し、
一人は、絶望のあまり、完全な不貞腐れモードに突入。
残された三人の女性陣は、どうすることもできず、ただ、オロオロするだけだった。
その、救いようのない、膠着状態を破ったのは、のんびりとした、老人の声だった。
「ふぉっふぉっふぉ。なんとも、賑やかなことじゃのう」
いつの間にか、精霊王ファーンが、家の入り口に立っていた。
彼は、壁に向かって、同じポーズで固まっている、巨大な魔族と、小柄な人間を、交互に見比べると、面白そうに、その白髭を、撫でた。
「さて、大賢者殿。いつまでも、そうしてはおられんぞい」
精霊王は、ユウマの背中に、優しく、語りかけた。
「おぬしに、見せたいものが、ある」




