第四十五話 精霊の森の夜と、焚き火の問答
幻惑の分かれ道を抜けてから、森の雰囲気は、さらに一変した。
木々は、天を突くほどの高さになり、その幹には、古代の文字のような文様が、淡い光を放ちながら浮かび上がっている。空気中の魔力は、もはや霧のように濃密で、呼吸をするだけで、身体の内側が清められていくような、不思議な感覚があった。
「すっご…。マジ、パワースポットって感じ?」
アイが、感嘆の声を漏らす。
「ウチも、この森の入り口までは来たことあったけど、奥はマジで別世界だわ」
「フン。心地よい気だ。我が魔力を、活性化させる」
ガガルも、まんざらではない様子だ。
「ええ。女神様の息吹を、すぐそばに感じます…」
アリアは、うっとりと目を閉じ、祈りを捧げている。
時間の感覚が、曖昧になっていく。
どれくらい歩いたのか、ユウマには、もはや分からなかった。
やがて、アイが、空を見上げる(巨木に覆われて、ほとんど見えなかったが)。
「ちょい、そろそろ暗くなってきたし。この辺で、キャンプしよっか」
彼女が指さしたのは、巨大な木の根元にできた、洞窟のような空間だった。
その夜の野営は、それぞれのキャラクター性が、くっきりと浮かび上がる、混沌としたものになった。
「薪集めなら任せろ!」
ガガルは、近くの枯れ木を、戦斧ではなく、拳の一撃で粉砕し、薪の山を築いた。
「この地を、聖別いたします」
アリアは、キャンプ地の周りに、聖水を撒き、邪悪なものが近づかないよう、結界を張った。
「うーん、湿気が多いわね。肌に悪いわ」
リリスは、一切手伝うことなく、ガガルが持ってきた大きな岩に、女王のように腰掛け、優雅に髪をすいている。
そして、ユウマは。
「うわっ!」
木の根に足を引っかけて、盛大にすっ転んでいた。
彼は、都会育ちの、完全なるインドア派だった。
結局、火起こしから、食料の調達まで、全てをこなしたのは、アイだった。
彼女は、手際よく火を起こすと、そこらへんに生えていた、発光するキノコや、香りの良い木の実を採ってきて、あっという間に、温かいスープを作り上げてしまった。
「ほい、できたよ。主サマも、どーぞ」
「あ、ありがとう…。すごいね、アイさんは…」
「アイでいーって。てか、サバイバルとか、基本だし」
アイが作った、具沢山のスープ。
それは、公爵邸で食べた、どんな高級料理よりも、ユウマの冷えた身体と、疲弊した心に、温かく染み渡った。
焚き火の光が、仲間たちの顔を照らす。王都での、あの息が詰まるような日々が、嘘のようだ。
ユウマは、久しぶりに、心の底から「美味しい」と感じていた。
食事が終わり、静かな時間が流れる。
焚き火の火の粉が、夜の闇に、キラキラと舞い上がっていた。
ふと、アイが、ユウマに問いかけた。
「ねえ、主サマ。ずっと気になってたんだけどさ」
彼女は、ユウマの懐を指さす。
「その宝玉って、マジで、どんな感じなの? やっぱ、なんか、話しかけてきたりとか、すんの?」
その、あまりにも純粋な質問に、ユウマは、ドキリとした。
(やばい、どう答えよう…)
「別に、何も…」と答えれば、この場の雰囲気を壊してしまうかもしれない。
ユウマは、必死に、それっぽい答えを探した。
そして、焚き火の炎を見つめながら、ごまかすように、ぽつりと呟いた。
「…言葉で、話してくるわけじゃないんだ」
「…うん」
「なんていうか…感覚、かな…。ただ、こう…分かる、っていうか…」
それは、中身のない、あまりにも曖撮で、抽象的な答えだった。
しかし、その言葉は、仲間たちの、それぞれの**『信仰』と『期待』**によって、究極の真理へと、変換されてしまった。
アイの目が、尊敬の光で、キラキラと輝いた。
「感覚で…分かる…。やば…。超クールじゃん! やっぱ、伝説の通り、宝玉と主サマの魂って、ガチでリンクしてんだ!」
「素晴らしいですわ、賢者様」
アリアが、うっとりとため息をつく。
「神聖な存在との対話は、言葉ではなく、魂で行われるもの。なんと、美しい響きでしょう」
「フン! 我が主君と、その力の源が、常人と同じように、言葉で会話などするものか! 感覚で理解し合う。当然よ!」
ガガルも、なぜか、誇らしげだ。
リリスは、そんな仲間たちの反応と、困り顔のユウマを見比べ、くつくつと、喉の奥で笑っていた。
(『感覚で分かる』ねえ。あんた、本当に、詐欺師の才能あるんじゃないの?)
ユウマは、またしても、自分の適当な言葉が、壮大な勘違いを生んでしまったことに、内心、頭を抱えた。
その、時だった。
パキッ。
森の奥で、乾いた小枝が折れる音がした。
それは、獣の立てる音ではなかった。
アイの、ギャル風の砕けた雰囲気が、一瞬で消え去る。彼女は、音もなく立ち上がると、鋭い、狩人の目つきで、闇の向こうを睨みつけた。
「…静かに」
彼女は、囁くように言った。
「誰か、いる」
焚き火の周りの、和やかな空気は、一瞬にして、張り詰めたものへと変わった。
森の闇の奥で、何者かが、彼らのことを、じっと、うかがっている。
精霊の森は、彼らに、安らかな夜を、過ごさせてはくれないようだった。




