第四十四話 古代の森と、賢者の選択
宝玉が示す、古代樹の森。
一行がそこに足を踏み入れた瞬間、背後で感じていた王都の喧騒は、嘘のように掻き消えた。
天を突くほどの巨木が、幾重にも重なって空を覆い尽くし、昼間だというのに、森の中は、まるで夜のように薄暗い。地面には、淡い光を放つ苔やキノコが自生しており、幻想的な雰囲気を醸し出している。
しかし、その美しさとは裏腹に、空気は、濃密な魔力で満たされ、肌をぴりぴりと刺すようだった。
「す、すげえ…。なんだ、この森は…」
ユウマが、その圧倒的な光景に、息を呑む。
「『エルヘイムの大森林』。神代の時代から、人の手が一切入っていない、精霊たちの聖域よ」
アイが、どこか誇らしげに言った。ここでは、彼女が絶対的な専門家だ。
「そこらの魔物なんかより、この森そのものが、一番ヤバいかんね。普通の人間なら、一歩入っただけで、方向感覚狂って、二度と出られないし」
「フン! 我が主君の進む道を、ただの木々が阻むことなどできぬわ!」
ガガルが、自信満々に胸を張る。
アイは、そんなガガルを、鼻で笑った。
「まあ、見てななって。この森の、本当のヤバさを、すぐ思い知るから」
宝玉の光を頼りに、一行は、獣道すらない森の奥深くへと進んでいく。
数時間、歩き続いただろうか。
やがて、彼らの目の前に、二つの分かれ道が現れた。
一つは、木漏れ日が差し込み、美しい花々が咲き乱れる、広く、開けた道。心地よい風が、甘い香りを運んでくる。
もう一つは、茨が絡みつき、ぬかるんだ地面が続く、見るからに険しく、不気味な道。
そして、ユウマの手の中にある『精霊の宝玉』が放つ光は、寸分の迷いもなく、後者の、不気味な道を指し示していた。
「……こっち、か」
ユウマが、げんなりとした顔で呟く。
その選択に、ガガルが、待ったをかけた。
「お待ちください、ユウマ様! これは、どう見ても罠ですぞ! 明らかに、あちらの開けた道が、正解にございます!」
「そうですわ、賢者様」
アリアも、不安げに顔を曇らせる。
「これほど強い魔力に満ちた森です。宝玉の光が、何らかの幻術で、惑わされているのかもしれません…」
「いや、でも、石はこっちだって…」
ユウマが、弱々しく反論するが、二人の剣幕に、声が小さくなる。
どうしよう。もし、本当に宝玉がバグってたら…。こっちの道を進んで、とんでもないことになったら、俺のせいに…。
ユウマの**『決断への恐怖』と『ただ石の言う通りにしてほしいという願い』。
そして、アイの『主のナビは絶対』という揺るぎない信仰**。
それらが、ガガルとアリアの**『賢者に正しい道を選んでほしい』という期待**をトリガーとして、『概念誘導』を発動させた。
ユウマは、パニックのあまり、ただ、宝玉が指し示す、不気味な道を、震える指で、指さした。
「…こっちだ!」
彼が、そう叫んだ、瞬間だった。
広く、美しいはずだった、もう一方の道。
その空間が、一瞬、ぐにゃり、と歪んだ。
咲き乱れていた美しい花々は、人を喰らう巨大な食人植物の顎へと姿を変え、心地よかったはずの風は、魂を凍らせるような、怨嗟の呻き声へと変わった。
それは、一瞬だけ見えた、強力な幻惑魔法の、真の姿だった。
「「なっ…!?」」
ガガルとアリアは、今、自分たちの目の前で起こった、ありえない光景に、絶句した。
幻は、すぐに元の美しい光景に戻った。しかし、二人の額には、脂汗が滲んでいた。もし、あちらの道を選んでいたら、今頃…。
「…も、申し訳ございません、ユウマ様!」
ガガルが、その場にひれ伏した。
「このガガルの浅はかな目では、森が仕掛けた幻術を見抜けませんでした! 全てを見通しておられた、ユウマ様の慧眼、恐れ入ります!」
「わ、わたくしもです…!」
アリアもまた、恥じ入るように、頭を下げた。
アイは、そんな二人を見て、「だから言ったじゃん」と、得意げに鼻を鳴らした。
「主サマのナビは、絶対なんだって。うちらみたいなハンパ者が、口出すとか、マジありえないから」
(…え? 俺、なんかした?)
ユウマは、ただ、石が指した方を、指さしただけだった。
幻が見えたわけでも、見抜いたわけでもない。
しかし、結果として、彼は、またしても、仲間たちの絶対的な信頼を、その身に集めてしまった。
彼は、自分が、とんでもなく幸運な(あるいは、不運な)体質であることに、まだ、気づいていなかった。
一行は、ユウマの(全くの無自覚な)ファインプレーによって、再び、正しい道へと、足を進める。
大森林の試練は、まだ、始まったばかりだった。




