第四十二話 賢者の置き手紙と、秘密の旅立ち
「精霊の国へ…」
アイが示した、あまりにも幻想的な響きを持つ逃亡先。
ユウマは、藁にもすがる思いで、その提案に飛びついた。戦争が始まるこの国から、一刻も早く、遠くへ。それが彼の唯一の願いだった。
「よし、決まりだ! 俺たちは、精霊の国へ行く!」
ユウマの決意表明に、仲間たちは、それぞれの壮大な勘違いと共に、力強く頷いた。
こうして、一行の次なる目的地は、満場一致(の勘違い)で決定した。
しかし、問題は、どうやってこの塔から、この王城から、この国から、抜け出すかだ。
今や、ユウマは、戦争のシンボルであり、民衆の希望の星。彼が姿を消したと知られれば、国中が大パニックに陥るだろう。
「…ロデリックさん」
ユウマは、この塔で唯一、話が通じるかもしれない(そして、最も恐ろしい)執事長に、おそるおそる声をかけた。
「あの…僕たち、ここを、出ていこうと思うんです。その…精霊の国へ」
ユウマは、ロデリックが反対するか、あるいは、王や宰相に報告するのではないかと、身構えた。
しかし、老執事は、完璧なポーカーフェイスのまま、深く、恭しくお辞儀をした。
「かしこまりました、大賢者様」
その声には、驚きも、動揺も、一切含まれていなかった。
「確かに、これから始まる戦の喧騒は、大賢者様の深遠なる思索の妨げとなりましょう。中立地帯である『精霊の国』へ、一時的に拠点を移されるは、実に賢明なご判断かと存じます」
(…え、この人も、そういう解釈なの…?)
ユウマは、もはやツッコむ気力もなかった。
ロデリックの仕事は、そこからが本領発揮だった。
「ご出発は、今夜がよろしいでしょう。私が、人払いと、欺瞞工作を行なっておきます」
彼は、まず王城の各所に「大賢者様は、我が国の勝利を祈願するため、七日七晩の、誰にも邪魔されぬ瞑想に入られた」という偽情報を流した。
次に、どこからともなく、全員分の、フード付きの丈夫な旅人のマントと、長期の旅に耐えうる保存食、そして、詳細な地図を、完璧に用意してみせた。
「さて、大賢者様」
出発の準備が整った頃、ロデリックは、ユウマに、一枚の羊皮紙とペンを差し出した。
「国王陛下と、宰相閣下へ、置き手紙を一つ、おしたためになってはいかがでしょうか。貴方様の『お考え』を、記しておくのも、また、一手かと」
(お考え、なんてないんだけどな…)
ユウマは、罪悪感から、ペンを手に取った。王も、宰相も、色々勘違いはしていたが、自分に良くしてくれたのは事実だ。何も言わずに消えるのは、寝覚めが悪い。
彼は、正直な気持ちを、そのまま、紙に書きつけた。
『ごめんなさい。僕は、貴方たちが思うような人間じゃありません。
この戦争を、どうか、止めてください。
僕は、行きます。 ユウマ』
それを、ロデリックは、中身を見ることなく、丁重に預かった。
この、あまりにも率直な手紙が、後に「賢者は、我々に『答えを求めるな、自ら考えよ』という禅問答を残して旅立たれたのだ!」と解釈され、王と宰相を、さらなる奮起(と勘違い)に導くことを、ユウマはまだ知らない。
やがて、夜が更け、出発の刻が来た。
ロデリックは、一行を、塔の一階にある、巨大なタペストリーの前へと導いた。
「皆様。この先は、かつて、王家の者たちが、緊急時に使用した、秘密の通路にございます。王都の地下水路へと繋がり、そのまま、誰にも知られることなく、城壁の外へと出ることが叶いましょう」
彼が、壁の石に触れると、ゴゴゴ、と、重い音を立てて、タペストリーの裏に、闇へと続く通路が現れた。
「ロデリックさんは…一緒に行かないの?」
ユウマが、思わず尋ねた。
老執事は、初めて、その完璧な表情を、わずかに緩めた。
「私の役目は、ここでございます、大賢者様」
彼は、深く、深く、頭を下げた。
「この塔を守り、大賢者様が、今も、ここで瞑想を続けておられるという『事実』を、維持し続けること。それが、貴方様にお仕えする、私の最後の仕事にございます。…どうか、お気をつけて。そして、貴方様の偉大なる旅路の果てに、真の平穏が訪れんことを」
ユウマは、その言葉に、胸が熱くなるのを感じた。
彼は、この異世界に来て初めて、自分のことを、勘違いではなく、本当に案じてくれる存在に出会えた気がした。
「…ありがとう、ロデリックさん」
ユウマは、頭を下げると、意を決して、闇の通路へと足を踏み入れた。
ガガル、アリア、リリス、そしてアイが、その後に続く。
ゴゴゴゴ……。
石の扉が、ゆっくりと閉じていく。
最後に見たロデリックの姿は、完璧な、そして、どこか寂しげな、執事の礼だった。
こうして、ユウマ一行は、彼らに与えられた、王国最高の地位と、美しい牢獄を捨て、新たな目的地『精霊の国』へと、秘密裏に旅立った。
戦争へと突き進む王国を背に、彼らの、本当の意味での「異世界」の旅が、今、始まろうとしていた。




