第三十九話 後始末と、宰相への報告
「…もう、無理だ…」
宰相が去り、自らの名前を冠した政治粛清が始まろうとしている現実を前に、ユウマの心は、ついに限界を迎えた。
彼は、ガタッと椅子から立ち上がると、決意を固めた顔で仲間たちに宣言した。
「俺は…飲みに行く!」
「「「は?」」」
仲間たちの、素っ頓狂な声が揃う。
「もう、こんな豪華な食事も、訳の分からない政治の話も、うんざりだ! 俺は、普通の居酒屋で、普通の焼き鳥を食って、普通の酒を飲むんだ!」
それは、彼の魂からの、あまりにも切実な叫びだった。
この、あまりにも庶民的な宣言を、しかし、彼の仲間たちは、いつものように壮大に勘違いして解釈した。
「なるほど! 『民を知るには、まず民の食を知れ』と! ユウマ様は、自ら庶民の輪に入り、彼らの生活を肌で感じようというのですね! なんという、王者の鑑!」
ガガルは、心底感銘を受けている。
「ええ! 豪華な塔の中から民を救うのではなく、民と同じ目線にまで下りてきてくださる…。これぞ、真の賢者様のお姿ですわ!」
アリアは、目に涙を浮かべている。
「へえ、面白いじゃない。たまには、泥臭い酒場の空気も悪くないわね」
リリスは、楽しそうに唇を舐めた。
こうして、ユウマの「現実逃避」は、仲間たちの間では「高潔なる民情視察」へと変換され、一行は、夜の王都へと繰り出すことになった。
もちろん、その顔のままでは街を歩けないため、執事長のロデリックが、どこからか調達してきた、完璧な「庶民の服」へと着替えて。
たどり着いたのは、王都の裏路地にひっそりと佇む、赤提灯が目印の居酒屋だった。
木の扉を開けると、中には、仕事終わりの衛兵や、荒くれ者の冒険者たちが、酒を酌み交わし、騒々しい活気に満ちていた。
その、煙草と酒と、美味そうな料理の匂いが混じった空気を吸い込んだ瞬間、ユウマは、心の底から安堵のため息をついた。
(これだ…! 俺が求めていたのは、これなんだ…!)
一行は、カウンターの隅に席を取る。
ユウマは、メニューにあった鳥の串焼きと、エールを注文し、久しぶりの「普通の食事」に、感涙しながら舌鼓を打った。
その、至福の時間は、しかし、長くは続かなかった。
「…ひっく…。どこにあるのよぉ…『森の至宝』…」
隣の席から、そんな、ひどく落ち込んだ声が聞こえてきた。
見ると、長い耳を持つ、絶世の美女――エルフの女性が一人、カウンターに突伏し、ぐでんぐでんに酔っ払っていた。その周りには、空になった酒瓶が、何本も転がっている。
「うぅ…もう、何年も探してるのに…手がかり一つないなんて…あたしの人生、なんなのよぉ…」
エルフは、誰に言うでもなく、涙声で自分の運命を嘆いている。
彼女の名は、アイ。エルフの里に伝わる伝説の『精霊の宝玉』を探し出すという使命を帯び、たった一人で、長い長い旅を続けていた。しかし、あまりにも見つからない現実に、ついに心が折れ、やけ酒を飲んでいるのだった。
ユウマが、少し同情的な気持ちで見ていると、そのエルフ、アイが、ふらり、とこちらを向いた。その焦点の合っていない瞳が、ユウマを捉える。
そして、次の瞬間。アイの瞳が、カッと見開かれた。
彼女の、エルフ特有の鋭敏な感覚が、ユウマの懐から放たれる、微かだが、しかし間違いようのない、聖なる気配を捉えたのだ。
「……あった」
アイは、震える声で呟くと、千鳥足でユウマの隣にやってきた。そして、まるで宝物を確かめるかのように、ユウマの胸元に、すんすんと鼻を近づけた。
「ちょ、ちょっと、あなた!?」
突然の奇行に、ユウマは完全にフリーズする。
「ある…! あるわ! この匂い…! 間違いない! 『精霊の宝玉』の気配よ!」
アイは、ユウマの胸倉を掴むと、涙目で叫んだ。
「なんであんたが持ってるのよ! それを、それを探して、あたしは…あたしは…うわああああん!」
アイは、ついに感情のダムが決壊したのか、ユウマの胸に顔をうずめて、子供のように泣きじゃくり始めた。長年の苦労が、報われた安堵と、なぜこんな平凡な男が、という理不尽さで、感情がぐちゃぐちゃになっていた。
(精霊の宝玉!? ああ、あの村で手に入れた、村長を吹き飛ばしたヤツか!)
ユウマは、ようやく事態を理解した。この人は、あのヤバい石を探していたのか。
(可哀想に…。そんなに大事なものだったのか…)
ユウマの心に、ごく自然な、同情の気持ちが湧き上がった。
彼は、泣きじゃくるアイの背中を、あやすように、ぽんぽんと軽く叩いてやった。
「わ、分かりましたから、泣かないで…。そんなに大事なものなら…」
ユウマの、そのごくささやかな**『善意と、同情』。
それが、長年の探求で心身ともに疲弊しきっていたエルフ、アイの『宝玉への渇望と、運命への絶望』**をトリガーとして、『概念誘導』を、彼女の魂の奥底で発動させた。
【ユウマの『同情(可哀想に)』という概念が、アイの『渇望(見つけた!)』によって、『運命の啓示(この人こそが!)』の概念へと反転・昇華される】
アイの脳裏に、まるで天啓のように、一つの真理が閃いた。
(…そうか…そういうことだったのね…)
宝玉は、ただ見つければいいというものではなかった。
宝玉が、自ら『主』として認めた人物。その者にしか、真の力を扱うことはできない。
この男こそが、宝玉に選ばれた、運命の人…!
そして、私の長きにわたる旅は、この宝玉を見つけるためではなく、この『主』に巡り会うためにあったのだ!
アイは、ゆっくりと顔を上げた。その瞳からは、酔いも涙も消え去り、聖なる騎士が主君を見出すかのような、澄み切った輝きが宿っていた。
彼女は、ユウマの手を取り、その場に、恭しく片膝をついた。
「…我が、主よ」
「……はい?」
「ようやく、お会いできました。このアイ、我が半生を懸けた旅の終着点にて、貴方様という『答え』に巡り会えたこと、我が魂、歓喜に打ち震えております」
アイは、恍惚とした表情で、ユウ...マを見上げた。
「どうか、このアイを、貴方様の剣として、お側に」
ユウマは、目の前で騎士の誓いを立てる、絶世の美女と、それを見てさらに自分への信仰を深めている仲間たちを、交互に見比べた。
彼はただ、酔っ払いを介抱して、厄介な石を譲ってあげようと思っただけなのに。
その結果、彼は、また一人、新たな『信者』を、それも、この世界で最も使命感に燃える、運命の騎士(と思い込んでいる女)を、無意識のうちに作ってしまったのだった。




