第三十七話 暗殺者の夜と、完璧な迎撃
王都の鐘が、真夜中を告げる最後の音を響かせ終えた。
それを合図に、十数名の黒い影が、星見の塔に、音もなく取り付いた。
『黒蠍団』。その一人一人が、一国を傾けるほどの技を持つ、伝説の暗殺者たち。彼らは、蜘蛛のように壁を駆け上がり、守りの薄い窓から、あるいは魔法で解錠した扉から、次々と塔の内部へと侵入していく。
作戦は完璧なはずだった。
最初の犠牲者は、南の窓から侵入しようとした男だった。
(よし、内部に侵入…ぐあっ!?)
窓枠に指をかけた瞬間、そこに描かれていた銀色の魔法陣が閃光を発した。男は、聖なる炎に焼かれ、悲鳴と共に塔の外へと弾き飛ばされた。下で待機していた仲間が、黒焦げになった彼を見て絶句する。
「馬鹿な!? なぜ、賢者の塔に、これほど強力な神聖結界が!?」
アリアの祈りが、最初の侵入者を退けていた。
次の犠牲者は、正面扉から侵入した二人組だった。
彼らは、扉に仕掛けられた巧妙な魔力探知の罠を、完璧な技術で解除する。
(フン、子供騙しの罠を…)
一人が、嘲笑うように一歩足を踏み出した、その瞬間。
彼の足元の床が、轟音と共に抜け落ちた。
「なっ…!?」
「落とし穴だと!? なぜ、こんな古典的な罠が!」
一人が穴に落ち、もう一人が驚きに硬直したその頭上を、巨大な丸太が、凄まじい勢いでスイングした。
ガガルの、脳筋トラップが、二人の暗殺者をまとめて無力化していた。
塔の中層。影から影へと、完璧な隠密行動で進んでいた一人の女。彼女は、団の中でも最も俊敏な斥候だった。
(下の連中はしくじったようだが、私は違う…)
彼女が、新たな影に足を踏み入れた、その時。
足元の影が、まるで生きているかのように、彼女の足に絡みついた。
「きゃっ!?」
影の触手は、瞬く間に彼女の全身を拘束し、逆さ吊りにして宙へと持ち上げる。
「あら、かわいい蠍さんが、一匹かかったわね」
闇の中から、リリスが、楽しそうな笑みと共に姿を現した。
侵入から、わずか数分。
黒蠍団の団員たちは、塔のあちこちで、物理的に、聖法的に、あるいは魔術的に、次々と撃退、あるいは捕縛されていった。
その頃、黒蠍団の団長は、部下たちの失態に舌打ちしながらも、一人、塔の最上階へと到達していた。
(使えぬ奴らめ。だが、それだけだ。目標の首さえ取れば、我々の勝利だ)
彼は、全ての罠を潜り抜け、主寝室の扉の前に立っていた。中からは、微かに、何かが震える音がする。
(いる…!)
団長は、音もなく扉を開け、毒を塗った短剣を抜き放ち、ベッドで布団を被って震える塊――ユウマへと、滑るように接近した。
「終わりだ、偽賢者!」
彼が、布団ごと心臓を突き刺そうと、短剣を振り上げた、その瞬間。
パチン、と、部屋の明かりが灯った。
ベッドと団長の間に、いつの間にか、一人の老人が立っていた。銀髪の、完璧な執事服に身を包んだ、ロデリックだった。その手には、銀の盆と、湯気の立つ紅茶が一杯。
「誰だ、貴様は!?」
団長は、そのあまりにも場違いな存在に、驚愕する。
「私は、執事長のロデリックと申します」
老執事は、完璧な礼儀作法で、しかし一切の隙を見せずに言った。
「まことに申し訳ございませんが、大賢者様は、ただいまお休み中です。面会は、完全予約制となっておりますので、日を改めて、正面玄関からお越しいただけますかな?」
「ふざけるな!」
団長は、ロデリックをただの老人と判断し、その脇をすり抜け、ユウマへと襲いかかった。
次の瞬間、団長は、自分が床に倒れていることに気づいた。
何が起こったのか、理解できなかった。ただ、老執事が、盆の上の紅茶を一滴もこぼさずに、自分とすれ違い、その足で、自分の足を完璧なタイミングで払いのけたことだけが、辛うじて認識できた。短剣は、遥か彼方に転がっている。
「お客様」
ロデリックは、倒れた団長を、静かに見下ろした。
「当館では、アポイントメントのないお客様の、夜間のご訪問は、固くお断りしております」
その声は、あくまで丁寧だったが、その瞳は、絶対零度の光を宿していた。
その時、ガタガタと震える音を立てて、ユウマがベッドの中から顔を覗かせた。
彼の目に映ったのは、床に転がる黒装束の男と、その前に立ちはだかる、鬼神の如き仲間たち、そして、紅茶を片手に完璧な姿勢で佇む執事の姿だった。
床に倒れた団長もまた、その光景を見ていた。
圧倒的な覇気を放つ魔族。
神々しいまでの聖気を放つ聖職者。
深淵の闇を纏う魔性の女。
そして、その全てを統べるかのような、人間離れした老執事。
その全員が、ベッドの上で、子犬のように震えている、ただの少年に、傅いている。
団長の脳裏に、一つの結論が浮かんだ。
(…情報が、違いすぎる…!)
偽賢者などではない。ここは、人間の住まうべき場所ではない。
ここは、この世の理から外れた、魔王か、あるいは神が住まう、魔境そのものだ。
「ひっ…!」
伝説の暗殺者集団の長は、短い悲鳴を上げると、そのまま恐怖のあまり、気を失った。
ユウマは、人生で最も長い夜を、布団の中から一歩も出ることなく、生き延びたのだった。




