第三十三話 魔術師の誓いと魔神の問い
「師よ! どうか、この愚かな老いぼれを、弟子にしてください!」
王国魔術師ギルドの頂点に立つ男が、目の前でひれ伏している。
その異常な光景に、ユウマは完全に思考が追いついていなかった。
(弟子…? 俺が、このいかにも凄そうな爺さんの、師匠…?)
胃が、再びきりりと痛んだ。
「い、いやいやいや! 無理です、絶対に無理です!」
ユウマは、ブンブンと両手を大きく横に振って、必死に否定した。
「俺、魔法なんて使えませんし! 何も教えられることなんてありませんから! 本当に!」
その、心の底からの、誠実な(そして、事実に基づいた)拒絶。
しかし、天啓を得たばかりの老魔術師の耳には、その言葉こそが、次なる天啓として響いた。
「……なんと」
アリステアは、ゆっくりと顔を上げた。その瞳は、絶望ではなく、さらなる感動にキラキラと輝いていた。
「そうか…! そうでしたな! 『教えることは何もない』! これこそが、貴公の示された『道』の、真髄!」
「へ?」
「真理とは、師から弟子へと手渡される知識ではない! 自らが探求し、自らが掴み取るもの! 貴公は、弟子を取らぬというその姿勢によって、私に『真の探求のあり方』を示してくださっておるのだな!」
アリステアは、勝手に納得し、勝手に感動し、一人で立ち上がった。
もはや、彼の脳内では、ユウマの否定は、究極の肯定へと変換されてしまっている。
「分かりました、大賢者殿! いや…我が師よ!」
アリステアは、ユウマに向かって、深く、深く、心の底からの敬意を込めて、お辞儀をした。
「貴公に、これ以上愚かな問いかけはいたしませぬ。このアリステア、本日より、我がギルドの全てをあげて、師が示された『万象を単純化する』という大いなる真理の研究に、この身を捧げる所存!」
そして彼は、テーブルの上に、小さな水晶を一つ置いた。
「これは、念話の石。もし、我がギルドの力が、師の『実験』に必要になりましたら、いつでも、この石に私の名をお呼びください。一瞬で駆けつけますゆえ」
「い、いや、だから俺は…!」
ユウマの最後の抵抗も虚しく、アリステアは、悟りを開いた聖者のような、晴れやかな顔で、塔を去っていった。
こうして、宰相、司教に続き、王都魔術師ギルドまでもが、ユウマの(全く意図しない)影響下に置かれた。
国の政治、宗教、そして魔法。その全てが、今や、一人の元コンビニ店員の、無自覚な言動に振り回されようとしていた。
「フン! 賢明な判断だ、あの魔術師め!」
「ええ。賢者様のお導きが、ついに魔法の世界にも…!」
ガガルとアリアが、いつものように感心しきっている。ユウマは、もはやツッコむ気力もなく、椅子に崩れ落ちた。
その、時だった。
「…ねえ」
静かな、しかし有無を言わせぬ声が、すぐそばから聞こえた。
見ると、リリスが、いつものような面白半分の笑みを消し、真剣な、そして底の知れない瞳で、ユウマのことをじっと見つめていた。
「茶番は、もう終わりよ。ガガルやアリア、あのジジイどもは、みんなあんたの言葉や奇跡に夢中だけど」
彼女は、ユウマの目の前に、すっと顔を寄せた。その美しい顔は、まるで獲物を品定めする捕食者のように、冷徹だった。
「私は、違う」
リリスの声は、囁くように静かだったが、その場の空気を凍りつかせた。
「宰相を言いくるめるのも、司教を煙に巻くのも、魔術師を勘違いさせるのも、まあ、できるかもしれないわ。でもね」
彼女の視線が、先ほどまでクロノス・スフィアがあった空間に向けられる。
「因果律の塊を、指で突っついて、消滅させる。その上で、その反動を一切受けずに、平然と立っている。…そんな芸当、神々でもやらないわよ。それはもう、『奇跡』や『勘違い』の領域じゃない」
リリスは、ユウマの瞳を、魂の奥底まで覗き込むように、真っ直ぐに見つめた。
「正直に答えなさい、ユウマ」
その声には、一切の冗談も、からかいも含まれていなかった。
純粋な、知的好奇心と、ほんのわずかな恐怖。
「あんた、本当は…一体、何なの?」
それは、ユウマがこの世界に来て、初めて突きつけられた、勘違いではない、本質を問う、鋭すぎる質問だった。
ごまかしのきかない、魔神の女からの、絶対的な問い。
ユウマは、その瞳から、逃れることができなかった。




