第24話:美食の盤上と賢者の献立
セイファート公爵邸の晩餐室は、さながら大聖堂のように荘厳だった。
天井からは巨大な水晶のシャンデリアが下がり、磨き上げられた長いテーブルには、寸分の狂いもなく銀食器が並べられている。ユウマは、目の前に置かれた十数本にも及ぶナイフとフォークを前に、どれから使えばいいのか分からず、完全に石化していた。
やがて、音もなく最初の皿が運ばれてくる。皿の中央に、芸術品のように鎮座するのは、一口で食べられそうな量の魚料理だった。
(これだけ…!?)
ユウマが内心愕然とする中、セイファート公爵は、手にしたワイングラスをゆっくりと回しながら、本題を切り出した。
「さて、賢者殿。先ほど、我が国が抱える『病』について、ご意見を伺いたいと申しましたな」
公爵の目が、鋭くユウマを捉える。
「単刀直入に申し上げよう。今、この国では、モノの流れが滞っておる。特に、南の穀倉地帯から王都への小麦の供給が、一部の強欲な貴族による買い占めと流通の独占によって、著しく滞っているのです」
公爵は、ため息と共に続けた。
「結果、王都ではパンの価格が高騰し、日々の糧にも事欠く民が出始めておる。民の不満は、やがて国を揺るがす大きなうねりとなる…。我々も様々な手を打ってはおりますが、貴族たちの抵抗も根強く、決定的な一手を打ち出せずにいるのが現状。…この根深い病、賢者殿の目には、どう映りますかな?」
それは、国家の経済と物流、そして貴族社会のパワーバランスが複雑に絡み合った、極めて高度な政治問題だった。
しかし、ユウマの脳は、その複雑な情報を、彼自身の経験に基づいて、極めてシンプルに変換していた。
(要するに、物流が詰まって、一部のフランチャイズオーナーが商品を独占してるから、本部に商品が入ってこなくて、お客さん(民衆)が怒ってるってことか…? コンビニ経営も大変なんだな…)
ユウマが、前世のコンビニ店長に思いを馳せていると、公爵が問いかけた。
「賢者殿…貴公ほどの御方なら、この病巣を断ち切るための、確かな一歩が見えておられるはず。どうか、その叡智をお示し願いたい。我々が、まず、何をすべきか」
全員の視線がユウマに集中する。
ユウマは、完全にパニックだった。国家経営なんて、分かるわけがない。
彼の頭の中を支配していたのは、ただ一つの、しかし極めて切実な欲求だけだった。
(お腹すいた…。こんな小洒落た料理じゃなくて、もっと、こう…温かい、普通のご飯が食べたい…)
彼は、目の前の高級料理と、飢えているという民衆の姿を、無意識に頭の中で結びつけていた。
そして、国家を救うための「最初の一手」を問われた彼は、ほとんど無意識に、自分の心からの願いを、そのまま口にした。
「……温かいスープと…パンを…」
「…ほう?」
公爵が、わずかに眉を動かす。
ユウマは、自分が何かを口走ったことに気づき、慌てて言葉を続けた。
「あ、いえ、その…温かいスープと、パンを…その…まずは、みんなに行き渡らせるのが、一番じゃないかなって…」
それは、空腹の少年が発した、あまりにも単純で、素朴な感想だった。
しかし。
宰相セイファート公爵の、国で最も狡猾と呼ばれる『古狐』の脳が、その単純な言葉を、恐るべき速度で分析し、分解し、再構築していく。
【ユウマの『素朴な感想(空腹)』が、宰相の『国家経営への渇望』によって、『国家戦略の基本理念』の概念へと反転・昇華される】
(温かいスープ…と、パン…を、みんなに…だと…!?)
公爵の背筋に、雷が落ちたかのような衝撃が走った。
(『スープ』! それは、即時性のある直接的な救済措置! 飢えた民に、まず目先の命を繋ぐための食料を与えるという、福祉政策の暗喩!
そして、『パン』! それは、生活の基盤となる恒久的な食料供給! 滞った物流を正常化し、経済の根幹を立て直すという、根本的な経済政策の比喩!
そして、最後の『みんなに』! これだ! これこそが、この言葉の真髄! 一部の貴族による独占を許さず、全ての民に公平に富を再分配する! 既得権益の解体と、中央集権による物流の完全掌握を意味するのだ!)
一つの政策が、もう一方の政策の前提となり、その両方を成し遂げるための、揺るぎない基本理念までが、完璧に示されている。
小手先の策略ではない。国家というものを、百年の計でどう動かすべきかという、王の視点そのもの。
「……見事」
セイファート公爵は、震える声で呟くと、テーブルにドン!と拳を叩きつけた。その音に、ユウマの肩がビクッと跳ねる。
「見事だ、賢者殿! その言葉、まさに神の啓示に等しい! 我々は目先の利権や派閥争いに目を奪われ、最も単純で、最も重要なことを見失っていた! そうだ、まずは『民を飢えさせない』! この絶対的な理念のもと、全ての政策を再構築すべきなのだ!」
(え、え、え!? 俺、なんか凄いこと言った!?)
ユウ.マは、スプーンを握りしめたまま、完全にフリーズしていた。
公爵は、興奮に顔を輝かせ、立ち上がった。
「感謝申し上げる、賢者ユウマ殿! 貴公の一言で、我が迷いは完全に晴れた! 早速、明朝より、貴公の示された『温かいスープとパンの政策』を、断固として実行に移す所存!」
ユウマは、自分がただ空腹を訴えただけの言葉が、今まさに、この国の新たな政策として爆誕する瞬間を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
彼の食欲は、ついに国家を動かしてしまったのである。




