第23話:宰相の館と古狐の試練
セイファート公爵家から遣わされた馬車は、もはや馬車というより「走る貴賓室」だった。
内装は深紅のビロードで覆われ、窓には寸分の狂いもなくカーテンがかけられている。ユウマは、そのあまりにも分不相応な空間で、振動に合わせて揺れる美しいシャンデリアを、ただ呆然と見上げていた。
(なんで俺が、こんなものに乗ってるんだ…)
彼の隣では、リリスが面白そうに窓の外を眺めている。向かいの席では、ガガルが「ユウマ様、どのような交渉をなさるおつもりか」と目を輝かせ、アリアが「公爵様が賢者様の光に正しく導かれますように」と静かに祈りを捧げていた。
誰一人、ユウマの絶望には気づいていない。
やがて馬車が停まり、扉が開かれる。
目の前にそびえ立っていたのは、王城と見紛うばかりの壮麗な館だった。セイファート公爵邸。この国の政治、経済、軍事の全てが、この館の主の卓上で動いていると言っても過言ではない。
寸分の乱れもなく整列した使用人たちが、深々と頭を下げる。彼らは、ユウマの隣に立つ魔族のガガルを見ても、一切表情を変えない。その完璧に訓練された無表情さが、かえってユウマの胃をきりきりと締め付けた。
長い、長い、血のように赤い絨毯が敷かれた廊下を抜ける。案内されたのは、壁一面が巨大な本棚で埋め尽くされた、広大な書斎だった。
そして、その部屋の中央。暖炉の前に、一人の老人が静かに立っていた。
痩身だが、その立ち姿には一切の隙がない。穏やかに微笑んでいるように見えるが、その瞳の奥は、全てを見透かすような鋭い光を宿している。
宰相オーギュスト・フォン・セイファート公爵。人々が畏敬と恐怖を込めて『古狐』と呼ぶ、この国の影の王だった。
「ようこそ、賢者ユウマ殿。お待ちしておりましたぞ」
公爵は、穏やかな声で言った。
「私は、オーギュスト・フォン・セイファート。この国の宰相を任されております」
「あ…ど、どうも…。ユウマ、です…」
ユウマは、巨大なプレッシャーに押し潰されそうになりながら、かろうじて自己紹介の言葉を口にした。
公爵の視線が、ユウマ、ガガル、アリア、そしてリリスへと、ゆっくりと流れる。
(報告通り…いや、それ以上か。屈強な魔族、高位の聖職者、そして…底の知れぬ女。この異質な者たちが、この平凡な見た目の少年に心酔している。面白い…実に、面白い)
公爵は、内心の探究心を完璧に隠し、柔らかな笑みを浮かべた。
「まずは、ゆるりとしてくだされ。街での歓迎は、さぞお疲れになったでしょう。…して、賢者殿は、この王都に、一体何を求めて来られたのかな?」
それは、単純な世間話のようで、核心を突く鋭い刃のような質問だった。
来訪の目的。それによって、この少年が国にとって益となるか、害となるか。その最初の値踏みだった。
(目的!? そんなもの、あるわけないだろ!)
ユウマはパニックに陥った。「美味しいご飯が食べたかったから」とも言えず、「みんなから逃げたかったから」など、口が裂けても言えない。
どうしよう、どうしよう。何か、当たり障りのないことを言わなければ。
ユウマの脳裏に、前世で培われた接客スキルが閃いた。そうだ、困ったときは、相手に話を振るんだ。
「…僕は、何かを求めてここに来たわけではありません」
ユウマは、必死に当たり障りのない言葉を探した。
「ただ…時代の流れが、僕をここに運んできた。それだけのことです。それよりも、公爵様こそ、この僕に一体何を求めておられるのですか?」
それは、ただの質問のオウム返し。苦し紛れの、時間稼ぎのための言葉だった。
しかし、その言葉は、宰相という国の頂点に立つ男の**『相手の真意を読み解きたい』という強烈な欲望**をトリガーとした。
【ユウマの『苦し紛れのオウム返し』が、公爵の『探究心』によって、『禅問答のような深遠な問いかけ』の概念へと反転・昇華される】
セイファート公爵の、穏やかだった瞳が、カッと見開かれた。
(なんと…!)
この老獪な宰相の耳に、ユウマの言葉は全く違う意味で届いていた。
『自分には目的などない。時代の必然性が、自分という存在をこの地に顕現させたのだ』
『小手先の目的を問う前に、まずお前自身が、この私という現象を前にして何を為そうとしているのか、その覚悟を問う』
それは、まるで神か、あるいは運命そのものが、自分に語りかけているかのような、傲岸不遜にして、抗いがたい威厳に満ちた言葉だった。
「……は、はは」
公爵の口から、乾いた笑いが漏れた。
「これは…一本取られましたな。なるほど、なるほど。貴公は、我々が貴公をどう扱うか、それによって我々の価値を測ると、そうおっしゃるか」
(え? なにこの人、何言ってんの?)
ユウマは、完全に思考が停止していた。
セイファート公爵は、目の前の少年への評価を、瞬時にして最上級へと引き上げた。
この少年は、奇跡を起こすだけの聖者などではない。人や、国や、時代の流れそのものを見通す、恐るべき慧眼の持ち主だ。
「よろしい」
公爵は、満足げに頷いた。
「では、賢者殿。まずは、この国が抱える『病』について、貴公のご意見を伺おうか。…さあ、晩餐の席へどうぞ」
(病!? 意見!? 晩餐!?)
ユウマは、もはや自分が何を言ったのか、何を言われたのかも分からないまま、この国で最も狡猾な『古狐』に手を引かれ、彼の仕掛けた政治という名の盤上へと、引きずり込まれていくのだった。




