第2話:高飛車なサキュバスと最高の娯楽
魔王軍幹部と聖女候補という、あまりにも異質で強力な従者を(本人の意思とは無関係に)得てしまったユウマ。彼の平穏な生活を取り戻すという目的は、もはや銀河の彼方に消え去っていた。
「してユウマ様、次の目的地はどちらへ?」
「賢者様、食料の備蓄は完璧です。いつでも出発できます」
聖と魔の狂信者に両脇を固められ、ユウマは死んだ魚のような目で答えた。
「……とりあえず、一番近い村へ。情報収集と、あと、ちゃんとした飯が食いたい」
「なんと! 私の腕では不満と!」
「当たり前だ!」
そんな絶望的なやり取りをしながら、一行は森の中の街道を進んでいた。
道の脇には、一台の豪華な馬車が停まっている。車輪がぬかるみにはまっているのか、少し傾いていた。そして、その側で。
「ああ、もう! なによこの道は! こんなことなら、転移で一足飛びに王都まで行くんだったわ!」
絹のような黒髪をかきあげながら、一人の女が悪態をついていた。
身体のラインがくっきりと浮かび上がる、高級娼婦が着るような扇情的なドレス。蠱惑的な瞳と、目が合えば誰でも虜にしてしまいそうな妖艶な微笑み。その姿は、ガガルやアリアといった超人たちとはまた違う次元の「ヤバさ」を放っていた。
そして、彼女の足元には、魂が抜けたように恍惚の表情で倒れている、身なりの良い旅人の男が一人。
「あら、ちょうどいいところにカモが来たわね」
女――サキュバスのリリスは、ユウマ一行を品定めするような目で見つめた。
狙いは、最も生命力が強そうなガガル。
「ねえ、そこのオークさん。ちょっと手伝ってくれないかしら? お礼は、たっぷりしてあげるわよ?」
リリスがガガルに流し目を送った、その瞬間。
「無礼者ッ!!」
ガガルはユウマの前に立ちはだかり、リリスを睨みつけた。
「この御方をどなたと心得る! 我が偉大なる主君、魔王ユウマ様であるぞ! その汚らわしい魔眼で見るでない!」
「……魔王?」
リリスは一瞬きょとんとしたが、すぐに楽しそうに口の端を吊り上げた。
彼女はかつて、本物の魔神のパートナーだった女だ。魔王を名乗る存在など、彼女にとっては道端の石ころも同然。だが――。
(へえ、面白いことを言うじゃない)
目の前の「魔王」を名乗る男は、ただの人間。しかも、配下のオークの背中に隠れて、小刻みに震えている。あまりの弱々しさに、リリスは思わず笑いそうになった。
いつもの彼女なら、こんなハッタリをかますだけの雑魚など、一瞥もくれずに精気を吸い尽くして終わらせている。
だが、今の彼女は退屈していた。絶対的な力と寵愛を注いできた魔神にすら飽きてしまった彼女は、何か新しい「娯楽」を求めていたのだ。
「いいわ。じゃあ、試してあげる」
リリスの意識が、ユウマに集中する。
彼女のサキュバスとしての本能が、ユウマという存在の「本質」を見極めようとする。
(この男が最もセクシーだと感じる姿は、どんな女かしら?)
リリスの身体が、淡い光に包まれる。彼女の能力が発動し、ユウマの欲望を読み取り、その理想の姿へと変身を始めた。
絶世の美女か、可憐な少女か、あるいは豊満な踊り子か。
リリスは、ユウマが驚愕と欲望に目を見開く姿を想像し、ほくそ笑んだ。
しかし。
光が収まった時、そこに立っていたのは――。
どこにでもいる、何の変哲もない、化粧もろくにしていない、**「村娘A」**だった。
「「「…………」」」
時が、止まった。
一番衝撃を受けていたのは、リリス本人だった。
(な……に……? どういうこと……? 私の能力が、この程度の女にしか変身できないですって!? この男の欲望のレベルは、その辺のゴブリン以下だっていうの!?)
ありえない。サキュバスとしての彼女のプライドが、根底から揺さぶられる。
そんな彼女の動揺を知ってか知らずか、ユウマは別の意味で衝撃を受けていた。
(この人、なんで急に普通の格好になったんだ!? さっきまでの威圧感が嘘みたいだ! あれなら僕でも話しかけられるかもしれない…!)
ユウマの**「目立ちたくない、平穏に暮らしたい」という願いが、リリスの「相手を魅了したい」という欲望をトリガーとし、「最も無害で平凡な存在」**という極端な概念(村娘A)へと彼女の姿をねじ曲げたのだ。
この瞬間、リリスの中で、ユウマという男の評価が書き換わった。
(違う…! この男、欲望のレベルが低いんじゃない…! 私の能力をもってしても、その欲望の深淵を読み取れないというの!? まるで、欲望そのものを超越しているみたい…。なんて男…!)
魔神のベタ惚れな態度にすら飽きてしまった女は、生まれて初めて、自分の力が全く通用しない謎の存在と出会ってしまった。
その男の名は、ユウマ。
リリスにとって、それは最高の「娯楽」の発見を意味していた。
リリスのプライドを根底から揺るがす、前代未聞の事態。
彼女が呆然と立ち尽くす中、最初に口を開いたのは、意外にもユウマだった。
さっきまでの妖艶な美女の威圧感が完全に消え、そこにいるのがただの人の良さそうな村娘になったことで、ユウマの警戒心が(ほんの少しだけ)緩んでいたのだ。
(よかった…! なんか普通の人になった! これなら大丈夫そうだ!)
「あ、あの…どうかしましたか? 馬車が、ぬかるみに? 手伝いましょうか?」
ユウマがごく普通の親切心から発したその言葉は、リリスの耳には全く違う意味で届いていた。
(……試しているの? 私がこの姿でどう動くか、観察しているというわけ? フフフ、面白い…面白くなって来たじゃない!)
リリスは内心の興奮を完璧に隠し、か弱い村娘を演じきってみせる。
彼女はスカートの裾を握りしめ、不安げにユウマを見上げた。
「あ、ありがとうございます…。私、リリスと申します。旅の途中でして…。主人が急に倒れてしまい、おまけに馬車は動かなくなってしまうしで、どうしていいか…」
その言葉に、アリアが素早く反応する。
「賢者様、お困りのようです。助けて差し上げるのですね!」
「え? あ、うん。まあ、人助けは普通のことだし…」
ユウマがそう言うと、アリアは感涙にむせび始めた。
「普通の、こと…! 人を助けるという偉大な行いを『普通のこと』と言ってのけるなんて! ああ、賢者様の徳の高さは、天よりも高い…!」
(もうこの人の思考回路は諦めよう…)
ユウマはガガルに向き直る。
「ガガル、悪いけど、あの馬車を」
「御意」
ガガルはリリスを一瞥し、まだ警戒を解いていない様子だったが、主君の命令は絶対だ。彼は馬車の側面に回ると、片手で軽々と持ち上げ、いとも簡単にぬかるみから引き上げてしまった。
リリスはその圧倒的なパワーに一瞬目を見張ったが、すぐにユウマへと視線を戻す。彼女の興味は、もはやユウマという一点にのみ注がれていた。
彼女はユウマに近づき、おずおずと問いかける。
「あ、あの…助けていただいて、ありがとうございます。恩人のお名前を、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「名前、ですか」
ユウマは少し考えた。ここでフルネームを名乗るのは目立つかもしれない。できるだけ、印象に残らないように。
「……ユウマ、です。ただの、ユウマなので」
その答えを聞いた瞬間、リリスの心に電流が走った。
(ただの、ユウマ…! そう、本物は肩書など必要としない。魔神はいつも『我こそは魔神』『我は世界の王』と自らの称号を口にしていたわ。でも、この男は違う。なんと簡潔で、なんと洗練された自己の表現…! 間違いない、この男、魔神を超えるわ!)
もはやリリスの勘違いは、誰にも止められない領域に達していた。
彼女は完璧な村娘の演技を続けながら、最後の仕上げにかかる。
「ユウマ様、ですね。ありがとうございます。…あの、もしよろしければ、次の村までご一緒させていただけないでしょうか? 主人もこの状態ですし、私一人では心細くて…」
ユウマは一瞬迷った。
しかし、目の前にいるのはか弱い村娘(にしか見えない)。魔王軍幹部と聖女候補という濃すぎるメンバーの中に、一人くらい「普通の人」がいた方が、むしろ目立たないかもしれない。
「…わかりました。いいですよ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
リリスは満面の笑みでユウマに駆け寄り、その腕に自分の腕を絡めた。
「きゃっ!」
ユウマは反射的に振りほどこうとするが、なぜかリリスの細腕は万力のように強く、離れない。
こうして、ユウマ一行に、最も厄介で、最も危険な同行者が加わった。
(ようやく見つけたわ。私の長い人生を、決して飽きさせないであろう、最高の娯 Futa...)
ユウマは、腕に絡みつく柔らかな感触に戸惑いながら、ほんの少しだけ安堵していた。
(よかった、ようやくパーティに常識人が加わった…)
その常識人が、かつて魔神の女であり、今まさにユウマを新たなオモチャとして品定めしていることなど、知る由もなかった。




