第18話:護送される聖者と王宮の宿
熱狂は、瞬く間に崇拝の渦へと変わった。
「賢者様、どうか我らが畑に祝福を!」
「病の母に、どうか癒しを…!」
「どうか、一目だけでも…!」
群衆は、もはや好奇心だけではない。奇跡を求める切実な願いを抱いて、ユウマへと殺到し始めた。小さな子供の奇跡は、王都に住まう全ての人々の希望に火をつけたのだ。
「う…あ…」
四方八方から伸びてくる無数の手。ユウマは、信仰という名の津波に飲み込まれ、完全に身動きが取れなくなっていた。パニックで呼吸すらままならない。
その、主君の危機を最初に感じ取ったのはガガルだった。
「貴様ら、無礼であろうッ!!」
腹の底から響き渡る咆哮と共に、ガガルは持っていた戦斧の柄を、ゴッ!と石畳に叩きつけた。凄まじい衝撃が走り、足元が揺れる。それだけで、最前列にいた民衆は悲鳴を上げて後ずさった。
恐怖は、時に最も効果的な護りとなる。
その一瞬の隙を、衛兵隊長は見逃さなかった。
「何をしておるか! 賢者様をお守りしろ! 隊列を組め、道を開けるのだ!」
隊長の号令に、我に返った衛兵たちが慌てて動き出す。彼らは盾を並べて分厚い壁を作り、群衆を押し返しながら、ユウマたちの周りに強引な安全地帯を作り出した。
「け、賢者様!」
汗だくの隊長が、青い顔でユウマに駆け寄る。
「も、申し訳ございません! 我々の不手際で、このような騒ぎに…! ここは危険です、直ちに安全な場所へとお連れいたします!」
もはや、それは提案ではなく、決定事項だった。
こうして、ユウマ一行の王都入りは、図らずも、数十人の衛兵に前後左右を固められての厳重な護送、という形になった。
ユウマは、ただ呆然と、衛兵の壁に守られながら歩くことしかできない。
その行列は、さながら凱旋パレードのようだった。
「賢者様が通られるぞ!」
噂は火よりも速く王都中を駆け巡り、道という道から人々が溢れ出して、彼らに向かってひれ伏し、祈りを捧げている。
ユウマは、生まれて初めて体験する「自分が原因の交通渋滞」の中心で、ただただ死んだ魚のような目をしていた。
やがて一行がたどり着いたのは、宿屋、というよりは貴族の邸宅か、小さな宮殿と見紛うばかりの、壮麗な建物だった。白亜の壁、磨き上げられた金の装飾。王都で最も格式高いと言われる、王侯貴族御用達の宿『白翼の王亭』である。
「お待ちしておりました!」
店の前では、支配人らしき男が、全従業員を引き連れて深々と頭を下げていた。衛兵の一人が、先触れとして走ったのだろう。
「賢者ユウマ様! この度の王都ご来訪、心より歓迎いたします! さあ、中へ! 当宿で最も見晴らしの良い『天上の間』をご用意いたしました!」
支配人は、ユウマの返事も待たず、一行を中へと丁重に案内する。
通されたのは、ユウマが今まで住んでいた安アパートが、50個は入りそうな、途方もなく豪華で広大なスイートルームだった。天蓋付きの巨大なベッド、ベルベットのソファ、窓の外には王都を一望できる専用のバルコニーまでついている。
「もちろん、ご滞在中の費用は、全て私どもで…いえ、どうか、貴方様の偉大なる御業への、ささやかな寄進とさせてください!」
ユウマが何か言う前に、支配人は再び深々と頭を下げると、足音も立てずに部屋から退出していった。
パタン、と重厚な扉が閉まり、ようやく外の喧騒が完全に遮断される。
静寂の中、ユウマは部屋の中央にぽつんと立ち尽くしていた。
仲間たちは、この豪華な部屋に物怖じする様子もなく、思い思いにくつろぎ始めている。
(ただ、安い宿屋で、普通の飯を食って、静かに眠りたかっただけなのに…)
結果は、どうだ。
王都最高級の宿に、寄進という名のタダで泊まることになり、街を歩けば指をさされ、祈られる。
もはや、この王都において、彼が「ただの一般人」として過ごす道は、完全に断たれてしまった。
ユウマは、部屋の隅にあった豪華すぎるソファに崩れるように倒れ込み、静かに天を仰いだ。
彼の平穏な人生は、もうどこにもない。




