第百五十六話 歪む世界と、宝玉の共鳴
「空間の宝玉も、この近くにある…」
リリスの言葉に、一行はゴクリと喉を鳴らした。
しかし、目の前に広がるのは、もはや森とは呼べない、混沌とした光景だった。
巨大なキノコと高層ビルが隣り合い、空飛ぶクラゲがタクシーと並走する。地面は苔とアスファルトがまだらに混じり合い、歩くたびにその感触が変わる。
夢と現実が、悪夢のように融合した世界。
「…ちょ、マジで、方向とか、分かんなくない…?」
アイが、不安げに呟く。無理もない。ここは、もはや常識的な地理感覚が通用しない場所なのだ。
「大丈夫だ」
ユウマは、自分に言い聞かせるように、言った。
彼は、腕の中のチビすけを見つめる。宝玉は、相変わらず不安定に明滅しているが、それでも、かろうじて、一つの方向を指し示していた。
「こいつが、道を示してくれてる」
一行は、チビすけの光を頼りに、その歪んだ世界へと、慎重に足を踏み入れた。
歩き始めて、すぐに、彼らは、この世界の、本当の厄介さに気づいた。
それは、幻獣が思考に反応する、というレベルではない。
思考そのものが、直接、現実を侵食し、捻じ曲げてしまうのだ。
アリアが、「ああ、このような混沌とした世界にも、女神様の慈悲の光が…」と祈りを捧げた瞬間。
彼女の足元から、眩いばかりの、しかし場違いな、聖なる泉が湧き出し、周囲の歪んだビルを、無理やり浄化し始めた。
アイが、「うわ、なんか、あそこのビル、超キラキラしてんじゃん! アタシも、あんなアクセ、欲しー!」と願った瞬間。
遠くのビルの壁面が、巨大な宝石のように変化し、そこから剥がれ落ちた破片が、アイに向かって降り注いできた(危うく、頭に直撃するところだった)。
「(やばい…! 俺だけじゃなくて、みんなの思考も、ダダ漏れだ…!)」
ユウマは、顔面蒼白になった。
このままでは、ガガルを追いかけた時と同じように、仲間たちの、無邪気な(あるいは、危険な)思考が、新たなカオスを生み出しかねない。
「みんな! 何も考えるな! 無だ! 無になるんだ!」
ユウマは、必死に叫んだ。健太郎に教わった、唯一の対抗策(?)だ。
「む、無ですな!」
「む、無ぅ…」
「むー…(キラキラアクセ…)」
仲間たちも、必死に、心を無にしようと試みる。
その、あまりにもシュールな光景。
一行が、般若心経でも唱えそうな勢いで、「無、無、無…」と呟きながら、歪んだ街を歩く。
周囲の空間は、彼らの「無」の思考に影響され、一時的に、その歪みを、わずかに収束させているようだった。
その、奇妙な行進が、どれくらい続いただろうか。
ユウマの腕の中で、チビすけの宝玉が、これまでとは比べ物にならない、強い輝きを放ち始めた。
虹色の光が、まるで心臓のように、ドクン、ドクン、と脈打っている。
そして、その光は、まっすぐに、目の前にある、ひときわ歪みの激しい、空間の一点を指し示していた。
そこは、巨大な、ねじれた樹木と、崩れかけた、古代の神殿が、融合したかのような、奇妙な建造物だった。
その中心部から、まるでブラックホールのように、周囲の空間が吸い込まれ、そして、吐き出されている。時間の流れさえも、そこだけ、歪んでいるように感じられた。
「…あそこだわ」
リリスが、確信を持って、呟いた。
「間違いない。**『空間の宝玉』**は、あの歪みの、中心に…」
ついに、たどり着いた、目的地。
しかし、その場所は、これまでの、どんな場所よりも、危険で、不可解なオーラを放っていた。
そして、その入り口らしき場所には、まるで番人のように、一匹の、巨大な、銀色の狼が、静かに座り、一行のことを、待っていた。
幻獣王フェンリルだった。
「―――やあ。思ったより、早かったね」
フェンリルは、飄々とした笑みを浮かべた。
「さあ、最後の『夢』を見せてもらおうか。君たちが、宝玉にふさわしい、『自由な魂』の持ち主かどうかをね」
ユウマ一行の、幻獣界での、最後の試練が、今、始まろうとしていた。
そして、その傍らでは、満腹になったのか、あるいは、ついにステーキ幻獣を捕獲したのか、ガガルが、満足げな顔で、一行に合流しようとしていたのを、まだ誰も気づいていなかった。




