第百五十三話 幻獣界の夢と、自由なる王
「うわあああああっ!」
狼王フェンリルの尻尾による、強制的な次元跳躍。
ユウマの意識は、再びブラックアウトした。
次に、彼が感じたのは、柔らかな、しかし不安定な、地面の感触だった。
「…ん…」
ゆっくりと目を開ける。
最初に目に飛び込んできたのは、見たこともない、奇妙な空の色だった。紫とオレンジ色が、水彩絵の具のように混じり合い、ゆっくりと形を変えながら、流れている。
空気は、甘い綿菓子のような匂いがした。
「ユウマ様! ご無事ですか!」
ガガルが、慌ててユウマを抱き起こす。見ると、仲間たちも皆、無事なようだ。
一行がいたのは、巨大なキノコが、家のように立ち並び、地面には、ゼリーのように、ぷるぷるとした苔が生い茂る、不思議な森の中だった。木々の枝には、宝石のような実がなり、近くの小川には、液体金属のようなものが、流れている。
「な、なんだ、ここは…?」
ユウマが、呆然と呟く。
「おそらく…」
リリスが、周囲を警戒しながら、答えた。
「『幻獣界』。…あの、銀色の狼の、縄張りね」
「幻獣界…!」
その言葉に、ガガルが、複雑な表情を浮かべた。
「…父上の…故郷か…」
彼は、何かを、振り払うように、首を横に振った。
その時、一行の目の前に、再び、あの巨大な、銀色の狼――幻獣王フェンリルが、音もなく、姿を現した。その瞳は、相変わらず、星空のように、深く、全てを、見透かしているようだった。
「―――目覚めたかい、面白い『夢』の種たち」
フェンリルは、飄々とした、声で、言った。
「貴様! 我らを、どこへ、連れてきた!」
ガガルが、威嚇するように、唸る。
フェンリルは、肩をすくめた。
「どこへ、って。俺の庭さ。…見ての通り、ここは、『幻獣界』。夢と思想が、何より自由な、世界だよ」
彼は、ユウマを、じっと見つめた。
「君が、面白いことを、するからさ。つい、拾ってきちゃった」
「面白いこと…?」
「そうだよ」と、フェンリルは、頷いた。
「君の心は、世界の理を、捻じ曲げる。それは、まるで、強力な『夢』そのものだ。…ここは、そういうのが、大好きな奴らが、たくさんいる世界だからね。君が、ここで、どんな『夢』を見て、どんな『現実』を、創り出すのか。…ちょっと、見てみたくなったのさ」
それは、あまりにも、自由奔放で、あまりにも、無責任な、理由だった。
「あの!」
ユウマは、必死に、声を上げた。
「健太郎さんは!? 俺たちを、助けてくれた、あの剣士は、どうなったんですか!?」
フェンリルは、少しだけ、考える素振りを見せた後、あっさりと、言った。
「ああ、あの、堅物の剣士ね。…大丈夫だよ、多分。あいつは、あいつで、自分の『理』を、ちゃんと、持ってるから。…神様相手に、ちょっと、無茶してたけど、死には、しないだろ」
あまりにも、曖昧で、根拠のない、返答だった。
「さあて」
フェンリルは、大きく、あくびをした。
「俺は、ちょっと、昼寝するかな。…君たちは、好きにするといいよ。この森を探検するもよし、街へ出てみるもよし。あるいは、元の世界へ、帰る方法を、探すもよし」
彼は、ユウマに、ウィンクしてみせた。
「ここは、自由な世界だ。…君の、『夢』が、許す限り、ね」
その言葉を最後に、フェンリルは、まるで、陽炎のように、その姿を、揺らがせ、ふっと、消えてしまった。
後に残されたのは、あまりにも、広大で、あまりにも、不可思議な、異世界と、そこに、放り出された、ユウマたちだけだった。
「…自由って…言われてもな…」
ユウマは、途方に暮れた。
仲間たちは、顔を見合わせる。
「…どうしますか、ユウマ様」
ガガルが、尋ねる。
ユウマは、腕の中の、チビすけを、見つめた。
そして、顔を上げた。
「…まずは、情報を、集めよう。ここが、どんな場所で、どうすれば、元の場所に、帰れるのか。…それと」
彼の瞳に、決意の光が宿る。
「『空間の宝玉』。…ここが、幻獣界なら、その、手がかりが、あるかもしれない」
彼は、もう、ただ、流されるだけの、存在ではなかった。
自らの、意志で、目的を、見つけ、進むことを、決めたのだ。
たとえ、その道が、どんなに、奇妙で、予測不能なものであっても。
ユウマ一行の、幻獣界での、新たな、冒険(そして、おそらくは、新たな、勘違い)が、今、始まろうとしていた。




