第15話:聖者の食卓と王都への道
「もうやめてえええええええええっ!!」
ユウマの悲痛な絶叫が、森にこだまする。目の前では、忠誠心に満ちた瞳のガガルが、今まさに自らの右腕を切り落とさんとして戦斧を振り上げていた。一度ならず二度までも、同じ狂気の光景が繰り返されようとしている。
その狂行を寸でのところで止めたのは、アリアの凛とした声だった。
「お待ちなさい、ガガルさん」
彼女はガガルの前に静かに立ちはだかり、諭すように言った。
「貴方の賢者様への忠誠心は、天上の神々も認めましょう。ですが、賢者様がそのような…その…野蛮な食事を望まれると、本気で思っているのですか?」
「む…しかし、ユウマ様は空腹で…」
「ええ、そうよ」
アリアの言葉を引き継いだのは、呆れたように肩をすくめたリリスだった。
「あんたの筋肉腕より、もっとマシな食べ物があるでしょうに。それに、両腕がなくなったら、誰がユウマの荷物を持つのよ。少しは頭を使いなさいな、この脳筋オーク」
聖職者からの正論と、元魔神の女からの侮辱を込めた正論。二方向からの説得に、さすがのガガルもぐうの音も出ず、しぶしぶ戦斧を下ろした。
「……申し訳ございません。俺の考えが浅はかでした」
(ユウマ様の荷物持ちという大役を忘れるとは…!)
ガガルは、全く別の理由で深く反省していた。
ユウマは、ようやく訪れた平穏に、心底安堵のため息をつく。
「ありがとう、二人とも…。本当に助かっ…」
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅ………。
安堵した途端、腹の虫が再びその存在を主張した。
「…あ」
ユウマは気まずさに固まる。
アリアはそんな彼を見て、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「賢者様、お任せください」
彼女は胸の前で静かに祈りを捧げ始めた。すると、彼女の手のひらの上に、温かい光が集まっていく。光が形になった時、そこには一切の装飾も焦げ目もない、真っ白で、ふかふかとしたパンが現れていた。
「聖なる力で生み出した『マナ・ブレッド』です。味気ないかもしれませんが、滋養は満点ですわ。さあ、どうぞ」
ユウマは差し出されたパンを、震える手で受け取った。ガガルの腕に比べれば、これは神々の食卓から授かったご馳走に等しい。
「あ、ありがとう…! 美味しい…!」
味はほとんどなかったが、温かくて柔らかい食感が、空っぽの胃と擦り切れた心に優しく染み渡っていく。ユウマは夢中でパンを頬張り、涙ぐんでいた。
その様子を、仲間たちは三者三様の表情で見つめていた。
(おお…ユウマ様は、我が血肉よりも、聖なるマナを好まれるのか…! さすがは我が主!)
ガガルは、新たな発見に感銘を受けている。
(ええ、ええ、たくさん召し上がれ、賢者様)
アリアは、我が子の食事を見守る母親のように、優しく微笑んでいる。
(へえ…。あんなマズそうなパンを、あんなに美味しそうに食べるなんて。本当に面白いわ、この子)
リリスは、未知の生物を観察するように、興味深そうにユウマを眺めていた。
やがて、ユウマの空腹が満たされた頃、リリスが退屈そうに言った。
「さて、お腹も膨れたことだし、これからどうするの? いつまでもこんな森の中にいるのは退屈だわ」
「え…? どうするって言われても…」
ユウマには何のあてもない。ただ、この危険な仲間たちから逃げる機会を窺うだけだ。
「決まってるじゃない。王都よ」
リリスは当然のように言った。
「美味しいご飯も、素敵なお酒も、面白い人間も、全部そこにあるわ。こんな森でオークの腕を食べるか食べないかで争ってるより、百倍はマシでしょ」
「王都…!」
その言葉を聞いた瞬間、ユウマの目に光が宿った。
(そうだ、王都! 人がたくさんいる大きな街! そこなら、きっとまともな飯にありつける! それに、人混みに紛れれば、こいつらから逃げられるかもしれない!)
「い、行こう! 王都へ行こう!」
ユウマは、希望に満ちた表情で即答した。
そのあまりに積極的な答えに、仲間たちは再び、それぞれの壮大な勘違いを加速させる。
(なんと! ユウマ様は、ついに人間社会の中心、王都から世界をその手に収めるおつもりなのだな! やはり我が魔王の考えることはスケールが違う!)
(まあ! 王都…! そこには、女神様を祀る大聖堂が! 賢者様は、ついに教会の腐敗を正し、人々を真の信仰へと導くおつもりなのですね!)
こうして、一行の目的地は「王都」に定まった。
まともな食事と逃亡のチャンスを夢見るユウマと、世界の征服や宗教改革を夢見る従者たち。
全く違う思惑を乗せた一行は、伝説(という名の勘違い)の次なる舞台へ向けて、ようやく森を抜けるのだった。




