第百四十八話 母性の暴走と、狂王の褒美
「…え、えーっと…。リビドーラ選手、戦闘不能…? よ、よって、勝者! 『沈黙の賢者』、ユーーーマァァァッ!!」
審判の、あまりにも締まらない勝利宣言。
闘技場は、異様な静寂に包まれていた。誰もが、目の前で起こっている、あまりにもシュールな光景を、理解できずにいた。
魔性の女王と恐れられたサキュバスクイーンが、敵であるはずの、光る宝玉を、恍惚とした表情で、あやしているのだ。
「あらあら、いい子でちゅねー。よしよし」
リビドーラの声は、完全に、赤ちゃん言葉になっていた。
「お腹、空いたでちゅか? ママが、美味しい、魔力ミルクを、あげまちゅねー」
彼女は、本気で、チビすけに、授乳(?)しようとし始めた。
「(ちょ、やめてえええええっ!!)」
ユウマは、顔面蒼白になった。
「あ、あの! すみません! その子、俺の子なんで! 返してもらえませんか…!」
彼は、おそるおそる、リビドーラに、近づいた。
「あら、パパでちゅか?」
リビドーラは、にっこりと、母性の笑みを浮かべた。
「大丈夫でちゅよー。ママが、ちゃんと、見ててあげまちゅからねー」
彼女は、完全に、ユウマを、頼りない父親だと、認識していた。チビすけを、渡す気は、毛頭ないらしい。
きゅるる…
チビすけが、困ったように、光を揺らがせた。そして、まるで助けを求めるかのように、ユウマの方へと、宝玉の身体を、わずかに、傾けた。
「あ、ほら! 俺のところに、帰りたがってるみたいですし!」
ユウマは、必死に、訴える。
「あらあら、人見知りでちゅかー? 大丈夫でちゅよー」
リビドーラは、全く、聞く耳を持たない。
その、あまりにも、不毛で、あまりにも、奇妙な、親権争い(?)。
観客席からは、ついに、失笑が、漏れ始めた。
「なんだ、あれ…」
「痴話喧嘩かよ…」
賭けに負けた者たちからは、怒号も飛び始める。
貴賓席で、アスモデアは、その光景を、ただ、静かに、見つめていた。その、蛇のような瞳の奥には、もはや、驚きではなく、得体の知れないものに対する、深い、深い、探求の色が、浮かんでいた。
(…感情の、強制上書き…? いや、違うな。これは、本能の、暴走か…。面白い。実に、面白いサンプルだ…)
結局、ユウマが、チビすけを、取り戻せたのは、チビすけ自身が、リビドーラの腕の中から、ふわりと浮き上がり、ユウマの胸へと、飛び込んできたからだった。
「あ…」
リビドーラは、一瞬、寂しそうな顔をしたが、すぐに、気を取り直したように、ユウマに、母親のような、優しい笑みを向けた。
「仕方ないでちゅね。パパが、大好きなんでちゅね。…でも、いつでも、ママのところに、おいでくだちゃいね」
彼女は、完全に、自分を、チビすけの母親だと、思い込んでしまっていた。
控え室に戻ったユウマは、完全に、ぐったりとしていた。
精神的な、疲労が、ピークに達している。
「…まあ、お疲れ様」
リリスが、肩をすくめた。
「あんた、本当に、面倒な女に、好かれやすい、体質なのね」
その時、控え室の扉が、静かに開かれ、アスモデアが、入ってきた。
その顔には、先ほどの、狂信的な光はなく、ただ、冷徹な、支配者の、表情だけが、あった。
「…見事な、勝利だったぞ、賢者ユウマ」
その声には、皮肉が、込められていた。
「まさか、あの、リビドーラを、ああも、無力化するとはな。…貴様の、『戦い方』は、常に、私の、想像を、超えてくる」
彼は、ユウマの前に、一枚の、黒い羊皮紙を、差し出した。
「約束通り、褒美だ。『力の宝玉』に繋がる、古文書の、二つ目の、欠片だ」
ユウマは、それを、受け取った。これで、半分が、揃ったことになる。
「だが」と、アスモデアは、続けた。
「最後の、欠片は、そう、簡単には、渡さんぞ」
彼の、蛇のような瞳が、妖しく、光る。
「次なる、ゲーム。それは、この、トーナメントの、『決勝』だ」
「貴様が、この、魔王継承戦で、優勝し、この、魔都の、頂点に立った時。その時こそ、最後の、褒美を、くれてやろう」
それは、あまりにも、過酷な、要求。
この、化け物揃いの、トーナメントで、勝ち抜けと、言うのだ。
しかし、今の、ユウマには、もはや、選択肢は、なかった。
彼は、腕の中の、チビすけを、守るため、そして、アスモデアとの、悪魔の契約を、終わらせるため。
その、無謀な、挑戦を、受けるしか、なかったのだ。
「…分かりました」
ユウマは、静かに、頷いた。
アスモデアは、満足げに、笑うと、静かに、部屋を、後にした。
ユウマは、手の中の、二つの、古文書の欠片を、見つめていた。
それは、彼が、自らの意志で、掴み取ろうとしている、最初の、目標。
しかし、その道は、あまりにも、険しく、血塗られている。
彼の、本当の、戦いは、まだ、始まったばかりだった。




