第百四十三話 理合の崩壊と、勘違いの勝利
闘技場の中央で、静かな、しかし濃密な攻防が続いていた。
宮本健太郎の、一切の無駄がない、流水のような剣撃。
それを、ユウマは、まるで未来予知でもしているかのように、最小限の動きで、ひらりひらりと躱していく。
(…見える…)
ユウマは、驚いていた。健太郎の次の動き、太刀筋、重心の移動。その全てが、まるで設計図のように、彼の心に流れ込んでくる。これが、健太郎が言っていた、『理』を見るということなのか。
「(…ほう。短期間で、ここまで掴むとはな)」
健太郎もまた、内心、驚愕していた。ユウマの動きは、素人のそれではない。まるで、長年修行を積んだ達人のように、自分の剣の『理』を読み切り、対応している。
(…だが、付け焼き刃。本当の『理』の深淵を見せてやろう)
健太郎の動きが変わった。
より速く、より複雑に。一つの動きの中に、いくつもの変化を孕んだ、変幻自在の剣。常人ならば、目で追うことすらできないであろう、神速の連撃が、ユウマに襲いかかる!
(速い…! 読めない…!)
ユウマの心に、焦りが生じた。せっかく掴みかけた感覚が、健太郎の圧倒的な技量の前に、かき消されていく。
(無理だ…! やっぱり、俺には、無理なんだ…!)
(もっと…もっと、簡単に、勝てる方法があれば…!)
その、ユウマの**『楽をしたい』という、怠惰な願いと、『師匠に勝ちたい』という、子供じみた対抗心**。
それが、健太郎の放つ、**『理合に基づいた、完璧な剣技』**という、絶対的な概念と、正面から衝突した。
【ユウマの『怠惰な願望』が、健太郎の『完璧な理合』によって、『理合のバグ(エラー)』の概念へと、反転・暴走する】
ピシッ。
世界が、再び、軋んだ。
健太郎の、完璧なはずだった、踏み込み。
その足が、何もないはずの、黒い砂の上で、ぐにゃり、と滑った。
「なっ…!?」
体勢を崩した健太郎。しかし、彼は、即座に立て直し、さらに鋭い突きを繰り出す。
その切っ先が、ユウマの喉元を捉えようとした、瞬間。
健太郎の手の中で、古びた日本刀が、まるで、ゴムのように、ふにゃり、と曲がった。
「(…!?)」
健太郎は、絶句した。自分の愛刀が、ありえない変形を起こしている。
混乱する健太郎に、ユウマは、もはや、なすすべもなかった。
彼は、目の前で起こる、理解不能な現象に、ただ、パニックになっていた。
(なんだこれ!? 俺のせい!? ごめんなさい健太郎さん!)
ユウマが、謝罪の気持ちで、慌てて、後ずさろうとした、その足が、もつれた。
彼は、バランスを崩し、前のめりに、倒れ込む。
そして、その手が、偶然にも、体勢を崩していた、健太郎の顎に、クリーンヒットしたのだ。
ゴッ!
鈍い音が、響き渡る。
健太郎の、意識が、飛んだ。
歴戦の剣士は、弟子の、あまりにも情けない、しかし、完璧なタイミングのカウンターパンチ(?)によって、あっけなく、ノックアウトされてしまったのだ。
シーン。
闘技場が、静まり返る。
誰もが、目の前の、信じられない光景に、言葉を失っていた。
やがて、審判役の魔物が、恐る恐る、宣告した。
「…しょ、勝者! 『沈黙の賢者』、ユーーーマァァァッ!!」
その言葉で、観客席が、爆発した。
「おおおおおおっ!!」
「見たか! あの、剣士の、動きを、完全に、封じたぞ!」
「最後のは、なんだ!? まるで、達人の、カウンター!」
仲間たちも、熱狂していた。
「ユウマ様! お見事! 師匠越えでございます!」
「主サマ、マジ最強じゃん! あの、おっさん、手も足も出てなかったし!」
「…ええ。あれこそが、賢者様の、『無為にして成す』、真の、御力…」
その、熱狂の中。
ただ一人、ユウマだけが、自分が、何をしてしまったのか、分からず、呆然と、立ち尽くしていた。
健太郎さんは、大丈夫だろうか。刀は、元に戻るのだろうか。
そして、何より。
(…俺、勝っちゃったの…?)
彼の、勘違いと、幸運(?)は、ついに、彼に、師匠越えという、望まぬ勝利をもたらしてしまった。
そして、その勝利が、彼を、この魔王継承戦という、血塗られた舞台から、もはや、引き返せない場所へと、押し上げてしまったということに、彼は、まだ、気づいていなかった。




