第百四十二話 師弟対決と、狂った歯車
「宮本…健太郎さん!?」
ユウマの、驚愕の声が、熱狂する闘技場に、響き渡った。
まさか、自分の初戦の相手が、数日前まで、修行をつけてくれていた、あの剣士だとは、夢にも思わなかった。
健太郎は、ユウマを一瞥すると、静かに、しかし、はっきりと聞こえる声で言った。その声には、深い疲労と、そして、かすかな怒りの色が滲んでいた。
「…若者よ。どうやら、君を追ってきたら、とんでもない、面倒事に巻き込まれてしまったようだ」
彼は、ため息をついた。
「…少し、灸を据える必要があるらしい」
ユウマは、混乱した。
(追ってきた? 面倒事? いったい、どういうことだ…?)
貴賓席で、その様子を見ていたリリスが、くすくすと笑った。
「あらあら。あの、堅物剣士、まんまと、罠に、かかったみたいね」
「罠?」
ユウマが、聞き返す。
リリスは、楽しそうに、解説した。
「あんたたちが、離宮で、修行ごっこに、興じてる間に、アスモデアが、動いたのよ。…あの剣士が、あんたの『師匠』だってことに、気づいてね」
彼女は、闘技場を見下ろした。
「『お前の弟子が、魔王になるための、血塗られた戦いに、身を投じようとしている。それを、止められるのは、師である、お前だけだ』…なんて、甘言を囁いて、彼を、このトーナメントに、引きずり出したんでしょうね。…もちろん、彼を、止めるふりをして、ユウマの、真の力を、引き出すための、最高の『当て馬』として」
「そんな…!」
ユウマは、絶句した。
アスモデアの、陰湿な、策略。健太郎は、自分を、心配して、ここに来てくれたというのか。
闘技場の中央で、健太郎は、静かに、刀を抜いた。その目は、迷いなく、ユウマを、捉えている。
「若者よ。君の力は、あまりにも、危険だ。まだ、それを、振るうべき時ではない。…この勝負、私が勝たせてもらう」
それは、師としての、最後の、忠告だった。
「…で、でも…!」
ユウマは、反論しようとした。しかし、言葉が、出てこない。
健太郎の言うことは、正しい。自分は、まだ、この力を、制御できていない。戦うべきではないのかもしれない。
その、ユウマの、心の迷い。
それを、腕の中の、チビすけが、敏感に、感じ取った。
きゅるる…?
宝玉が、不安げに、光を、揺らがせる。
その、小さな光を見て、ユウマの、心は、決まった。
(…違う)
(俺は、もう、逃げないと、決めたんだ)
(こいつを、守るために、戦うって…!)
ユウマは、ゆっくりと、貴賓席から、闘技場へと続く、階段を、降り始めた。
その、背中に、仲間たちの、声援が、飛ぶ。
「ユウマ様!」
「主サマ、ファイト!」
「…それで、いい」
リリスだけが、静かに、呟いた。
「あんたは、もう、守られるだけの、子供じゃないんだから」
黒い砂の上に、降り立った、ユウマ。
彼は、深呼吸を一つすると、健太郎と、向き合った。
「…健太郎さん。俺は、戦います」
その声は、震えていなかった。
「俺には、守りたいものが、あるから」
その、覚悟の、光を、宿した、ユウマの瞳を見て。
健太郎は、初めて、その、厳しい表情を、わずかに、緩めた。
「…そうか。ならば、手加減は、できんな」
彼は、刀を、静かに、構えた。
「試合、開始ィィィッ!!」
司会者の、絶叫が、響き渡る。
ユウマは、動かなかった。
ただ、静かに、目を閉じ、呼吸を、整える。
健太郎から、教わった、『理』の、探求。
相手の、動き、呼吸、心の、流れ。
そして、自分自身の、心の、在り方。
健太郎が、動いた。
音もなく、滑るような、踏み込み。
最小限の、動きで、ユウマの、懐へと、潜り込み、峰打ちを、叩き込もうとする。
(見える…!)
ユウマには、その、あまりにも、速い、動きが、まるで、ゆっくりと、流れる、川のように、見えていた。
健太郎の、太刀筋の、『理』が、彼の、心に、直接、流れ込んでくる。
ユウマは、ただ、半歩、身体を、ずらした。
健太郎の、完璧なはずの、一撃が、空を切る。
「(…なに!?)」
健太郎の、目に、驚愕の色が、浮かんだ。
ユウマは、反撃しない。
ただ、静かに、健太郎の、次の、動きを、待つ。
彼の心は、凪いだ、湖面のようだった。
健太郎の、剣の『理』を、ただ、映し出す、鏡。
二人の、静かな、しかし、あまりにも、濃密な、攻防。
それは、もはや、力と力の、ぶつかり合いではない。
『理』と、『理』の、対話だった。
観客たちは、その、地味で、しかし、異様な、戦いに、息を呑んでいた。
アスモデアは、貴賓席で、恍惚とした、表情を、浮かべていた。
(…素晴らしい…。これだ。これこそが、私が、見たかったものだ…!)
ユウマは、まだ、自分の、力が、どれほどのものか、分かっていなかった。
しかし、彼は、確かに、成長していた。
ただ、流されるだけの、存在から、自らの、意志で、世界の理と、向き合う、存在へと。
その、静かな、戦いの、結末は、まだ、誰にも、分からない。
だが、確実に、何かが、変わろうとしていた。
ユウマという、存在によって。




