第百四十一話 魔王継承戦と混沌の闘技場
修行の日々は終わり、ついに魔王継承戦の開催日がやってきた。
アスモデアの執事が手配した、黒塗りの禍々しい馬車に乗り込み、一行は魔都の中心部に聳え立つ巨大な闘技場へと向かった。
闘技場の周囲は、まさにお祭り騒ぎだった。
血の気の多い魔族たちが押し寄せ、賭けのオッズが叫ばれ、露店では怪しげな食べ物が売られている。百年に一度の、魔界最大のイベントに、街全体が熱狂していた。
「おお…! なんという熱気!」
ガガルは興奮に目を輝かせている。
「これぞ魔界! 力こそ全ての祭典!」
「マジやば…人多すぎ…」
アイは人混みに少しうんざりしている様子だ。
アリアは聖なる祈りで周囲の邪気を払いながら、心配そうにユウマの顔を覗き込む。
ユウマは馬車の窓からその光景を眺め、深く息を吸い込んだ。
覚悟は決めた。
しかし、これから始まるであろう殺し合いを前に、緊張しないはずがない。
腕の中のチビすけだけが、変わらず穏やかな光を放っていた。
やがて馬車は闘技場のVIP専用口へと到着した。
そこでは、冷たい笑みを浮かべたアスモデア本人が一行を出迎えた。
「…来たか、賢者殿。準備はできたようだな」
その蛇のような瞳がユウマを値踏みするように細められる。
アスモデアに導かれ、一行は闘技場の内部へと足を踏み入れた。
円形の巨大なアリーナ。観客席はすでに、魔界の有力者たちで埋め尽くされている。その中心には、血で染まったかのような黒い砂が敷き詰められた闘技場が広がっていた。
「まもなく開会式だ」
アスモデアは、一行を最も眺めの良い貴賓席へと案内した。そこからは闘技場の全てが見渡せる。
「まずは観戦していろ。貴殿の出番は…そうだな、今日の最後にしてやろう」
彼は楽しそうに笑った。
やがてファンファーレと共に開会式が始まった。
魔界を代表する七大公がそれぞれの代理人を伴って登場する。
暴食公ベルフェゴールの代理人は、山のような巨体を持つサイクロプス。
色欲公アスモデウスの代理人は、見る者を惑わす妖艶なサキュバス。
強欲公マモンの代理人は、全身を金銀財宝で飾り立てたリッチ。
…次々と現れるのは、いずれも伝説級の魔物ばかり。
そして最後に紹介されたのは、アスモデアの代理人。
「―――そして! 嫉妬公アスモデアが送り出す、謎の刺客! その正体は未だ不明! だが噂によれば、四大精霊すら従え、冥界の王をも黙らせたという! 新たなる時代の覇者となるか!? 『沈黙の賢者』、ユーーーマァァァッ!!」
司会者の絶叫と共に、全ての視線がユウマのいる貴賓席へと突き刺さった。
ユウマは思わず身を固くする。
「(…沈黙の賢者って、なんだよ…)」
勝手につけられた、厨二病感あふれる二つ名に、ユウマは内心で悪態をついた。
開会式が終わり、ついにトーナメントの火蓋が切られた。
第一試合は、ベルフェゴールのサイクロプスと、別の七大公が送り出したキマイラとの壮絶な肉弾戦。闘技場に血飛沫と轟音が響き渡る。
ユウマは、その凄惨な光景から目を背けそうになった。
しかし、彼は歯を食いしばり、まっすぐに見つめ続けた。
(これが…俺が立つ場所なんだ)
仲間たちは、そんなユウマの様子を、固唾を飲んで見守っていた。
健太郎は、離宮の書庫に残ったままだったが、彼の教えは、確かにユウマの中に息づいていた。
時間は流れ、いくつかの試合が終わった。
そしてついに、その時が来た。
「さあ、第一日目の最終試合! ついに、あの男の、ベールが剥がされる時が来た!」
司会者の声が、興奮に震える。
「『沈黙の賢者』ユーマ! その最初の相手は―――」
闘技場の反対側のゲートから、ゆっくりと、一人の人影が現れた。
それは、予想外の人物だった。
豪華な装飾の鎧を纏い、腰には見慣れた古刀を差している。
しかし、その顔には深い隈があり、どこかやつれた様子が見える。
「宮本…健太郎さん!?」
ユウマは、思わず、声を上げていた。
健太郎は、ユウマを一瞥すると、静かに、しかし、はっきりと聞こえる声で言った。
その声には、深い疲労と、そして、かすかな怒りの色が滲んでいた。
「…若者よ。どうやら、君を追ってきたら、とんでもない、面倒事に巻き込まれてしまったようだ」
彼は、ため息をついた。
「…少し、灸を据える必要があるらしい」
ユウマの、魔王継承戦、初陣の相手。
それは、彼に、力の理を教えた、恩師とも言える、異世界の剣士だったのだ。
運命の、悪戯か。それとも、何者かの、悪趣味な、采配か。
ユウマの、試練は、いきなり、最大の、難関を迎えていた。




