第百二十六話 賢者の決断と、修行の始まり
「…貴方様なら、きっと、勝てます。…この、腐った、魔界を、変えることが、できるはずです…!」
獣人の少女の、その、あまりにも純粋で、あまりにも重い、祈りの言葉。
それは、ユウマの心の、最後の、逃げ道を、塞いだ。
背後には、彼を信じる、仲間たち。
目の前には、彼を、ゲームの駒として、利用しようとする、魔族の王。
そして、足元には、彼に、全てを託そうとする、救われた、民衆。
(…もう、俺に、逃げ場は、ないのか…)
ユウマは、静かに、天を仰いだ。
平穏な日常は、もはや、どこにもない。
あるのは、次から次へと、降りかかってくる、壮大な面倒事と、彼に、全てを期待する、世界だけ。
しかし。
彼は、腕の中の、チビすけを、見つめた。
その、穏やかで、温かい、虹色の光。
この子の、未来には、平穏な、日常が、あってほしい。
ユウマは、ゆっくりと、アスモデアを、見据えた。
その瞳には、もはや、諦観だけでなく、何かを、守るための、静かな、決意の光が、宿り始めていた。
「……分かった」
彼の、静かな声が、VIPルームに、響き渡った。
「その、トーナメント。…出場しよう」
その、一言で、空気が、爆発した。
「おおおおおおっ!!」
ガガルが、歓喜の、雄叫びを上げる。
「ついに! ついに、我が主君が、魔王の座へと、名乗りを上げられる時が! このガガル、感無量にございます!」
「まあ…!」
アリアが、胸の前で、手を組んだ。
「賢者様…。混沌の、中心に、その身を、投じ、この、魔界そのものを、救済なさる、おつもりなのですね…! なんという、自己犠牲の、精神…!」
「よっしゃあ! バトルロワイヤル! ちょー、面白そうじゃん!」
アイは、すでに、誰を、最初に、ぶちのめすか、考えていた。
解放された、奴隷たちもまた、涙を流し、歓喜の声を上げていた。
「聖者様が、我らのために…!」
「我らが、希望の光だ!」
その、熱狂の中。
アスモデアだけが、満足げに、しかし、冷徹に、笑っていた。
「…賢明な、判断だ。これで、ゲームが、面白くなる」
彼は、パチン、と指を鳴らした。
一人の、執事が、音もなく、現れ、深く、頭を下げる。
「この者たちを、我が、東の、離宮へ、案内しろ。トーナメントが、始まるまで、そこを、拠点として、使うがいい。…ああ、それと」
アスモデアは、ひれ伏す、元奴隷たちを、一瞥した。
「お前たちは、自由だ。どこへなりと、行くがいい。…だが、もし、この『賢者』に、付き従うというのであれば、それは、安寧の道ではないと、覚悟することだな」
その、言葉に、最初に、答えたのは、あの、獣人の少女だった。
彼女は、顔を上げ、はっきりと、言った。
「我らは、すでに、この御方に、命を、救われました。…この命、賢者様のために、捧げる覚悟は、できております!」
その、言葉に、他の者たちも、次々と、同調する。
「我らもです!」
「賢者様の、歩む道を、共に!」
ユウマは、目の前で、生まれてしまった、自分への、あまりにも、熱狂的な、忠誠心に、もはや、言葉もなかった。
彼は、ただ、彼らを守る、という、新たな、そして、あまりにも、重すぎる、責任を、その両肩に、感じていた。
一行が、アスモデアの、離宮―――それは、もはや、一つの、小さな、城だった―――に、たどり着いた時。
ユウマは、一人、最も、高い、部屋の、バルコニーに、立っていた。
眼下には、妖しく、しかし、力強く、輝く、魔都の、夜景が、広がっている。
(…本当に、俺に、できるのか…?)
自問自答する。
しかし、答えは、出ない。
(…でも、やるしかないんだ)
彼は、腕の中の、チビすけを、見つめた。
(こいつと、みんなを、守るためには…)
(俺自身が、少しでも、この、訳の分からない、『力』を、理解して、コントロールできるようにならなきゃ…)
それは、彼が、この異世界に来て、初めて、自らの意志で抱いた、「強くなりたい」という、ささやかな、しかし、確かな、願いだった。
翌朝。
ユウマの、その、わずかな、決意の変化を、敏感に、感じ取った、仲間たちが、彼の元へと、集まってきた。
「して、ユウマ様!」
ガガルが、目を輝かせて、詰め寄ってきた。
「トーナメントまで、あと、一月! この、絶好の機会に、我が主君の、その、隠されたる、真の御力を、完全に、覚醒させるための、特訓を、開始いたしましょうぞ!」
「特訓…?」
「まずは、基礎体力作りから! このガガルが、貴方様を、魔界最強の、戦士へと!」
「まあ、ガガルさん。賢者様に、必要なのは、肉体的な鍛錬では、ありません。聖なる、精神力を、高めるための、瞑想と、祈りを…」
「ちょ、二人とも、違うって! 要は、あの、よく分かんない、『概念ナントカ』を、コントロールできるようになれば、いいんでしょ? ゲームの、裏ワザみたいなもんだし!」
肉体改造派。
精神修養派。
裏ワザ攻略派。
三者三様の、あまりにも、的外れな、特訓プランが、再び、ユウマの前で、繰り広げられる。
ユウマは、頭を抱えた。
(どれも、嫌だ…! でも、何か、始めないと…)
その、カオスな、議論を、見かねてか、あるいは、面白がってか。
リリスが、静かに、口を開いた。
「…まあまあ、落ち着きなさいよ。…あんたたち、根本的なことを、忘れてるわ」
彼女は、ユウマを、指さした。
「この子の、力の、源泉は、筋肉でも、祈りでも、ましてや、小手先の、裏ワザでもない。…その、『心』そのものよ」
リリスは、ユウマに向き直り、静かに、告げた。
「あんたが、まず、やるべきは、自分の、『感情』が、世界に、どんな影響を、与えるのか。それを、知ること。…そして、制御する、術を、見つけること」
「派手な、技の、練習じゃないわ。もっと、地味で、もっと、面倒な、『自己分析』。それが、あんたにとっての、最初の、そして、最大の、修行よ」
その、あまりにも、的確で、そして、ユウマにとっては、最も、耳の痛い、言葉。
ユウマは、ぐうの音も出なかった。
こうして、ユウマの、初めての、そして、あまりにも、地味で、内省的な、『修行』の日々が、幕を開けた。
それは、剣を振るうことも、魔法を唱えることもない。
ただ、ひたすらに、自分の、心と、向き合い、自らが、引き起こしてきた、数々の、勘違い(奇跡)を、振り返り、その、法則性を、見つけ出そうとする、孤独な、戦いだった。
その、あまりにも、地味すぎる、修行が、やがて、彼を、真の、『世界の器』へと、導く、最初の一歩になるということを、まだ、誰も、知らなかった。




