第百二十四話 嫉妬公の遊戯盤と、賢者の賭け金
用心棒に導かれ、ユウマ一行が通されたのは、『奈落の天楼』の最上階、天体を模したドーム型の天井を持つ、広大なVIPルームだった。
床には、星屑を撒いたかのような絨毯が敷かれ、眼下の窓からは、混沌の魔都の夜景が、宝石のようにきらめいている。
「すっげえ…! 天国じゃん、ここ!」
アイが、その豪華絢爛な光景に、目を輝かせる。
ガガルは、部屋の隅に置かれた、明らかに高級そうな武具のコレクションを、興味深そうに眺めていた。
しかし、その部屋の中央には、不気味なほど静まり返った、一つのテーブルだけが、ぽつんと置かれていた。緑色のフェルトが張られた、カードゲーム用のテーブルだ。
「―――よく来たな、賢者殿」
声は、闇の中からした。
ゆっくりと、影の中から、一人の男が、姿を現す。
蛇のように冷たい瞳。優雅だが、どこか神経質そうな、細身のシルエット。七大公が一人、『嫉妬公アスモデア』だった。
「歓迎しよう。我が、奈落の天楼へ」
アスモデアは、薄い唇に、笑みを浮かべた。しかし、その瞳は、全く、笑っていない。
「貴殿の、噂は、かねがね。…ぜひ、その『奇跡』とやらを、この目で、拝見したいと思ってね。…さあ、席へ。簡単な、ゲームを、しようではないか」
有無を言わさぬ、その物言い。
ユウマは、おそるおそる、そのテーブルへと、着席させられた。
仲間たちは、ユウマの背後で、警戒しながら、その様子を、見守っている。
「ゲームは、簡単だ。『ハイ&ロー』。…私が、引いた、一枚のカードが、次の一枚より、大きいか、小さいか。ただ、それだけを、当てる」
アスモデアは、一組の、黒いカードを、手にした。
「ただし、賭けるものは、金貨ではない」
彼は、パチン、と指を鳴らした。
すると、部屋の、ガラス張りになっていた壁の向こうに、明かりが灯る。
そこには、無数の、檻が、並べられており、中には、様々な種族の、亜人たちが、怯えた目で、こちらを見ていた。彼らは、このカジノで、全てを失い、奴隷となった者たちだった。
「貴殿が、勝てば、あの、奴隷たちを、一人、解放してやろう。…だが、負ければ」
アスモデアは、ユウマの、腕の中の、チビすけを、ねめつけるように、見た。
「貴殿の、その、力の源泉たる、赤子の、『祝福』を、一つ、この私に、譲ってもらおうか」
それは、あまりにも、悪趣味で、あまりにも、一方的な、ゲームだった。
ユウマの、敗北は、許されない。
「ふざけるな!」
ガガルが、激昂する。
「我が若君を、賭けの対象にするなど!」
「黙りなさい」
アスモデアの、冷たい声が、響く。
「これは、ゲームだ。…そして、我が庭では、我がルールが、絶対なのだよ」
ユウマは、震えていた。
しかし、それは、恐怖だけではなかった。
ガラスの向こうで、怯える、奴隷たちの、絶望に満ちた瞳。
その光景が、彼の、心の、奥底に、眠っていた、何かを、揺さぶった。
前世の、コンビニ店員として、困っている人を、見過ごせなかった、あの、お節介な、正義感。
(…やらなきゃ、いけないのか…)
ユウマは、覚悟を決めた。
「…分かった。その、ゲーム、受けよう」
「面白い」
アスモデアは、満足げに、頷くと、一枚の、カードを、テーブルに、置いた。
それは、『7』のカードだった。
「さあ、選べ、賢者殿。次の一枚は、ハイか? ローか?」
ユウマは、アスモデアの、目を、じっと、見つめた。
その、蛇のような、瞳の奥に、確信的な、嘲笑の、色が、浮かんでいる。
(…こいつ、何か、イカサマを、している…)
しかし、ユウマに、それを見抜く、術はない。
彼は、ただ、祈るしかなかった。
(どっちだ…? どっちなんだ…!?)
(もう、どうにでもなれ! こんな、くだらない、ゲーム、早く、終わらせてくれ!)
ユウマの**『ゲームへの、放棄』と、『こんなものは、ただの、運否天賦だ』という、諦観**。
それが、引き金だった。
【ユウマの『諦観』という概念が、アスモデアの『必勝のイカサマ(絶対の法則)』という、理に、上書きされる】
世界が、静かに、バグを起こした。
ユウマは、ほとんど、ヤケクソで、震える指先で、テーブルの、片隅を、とん、と叩いた。
「…ハイ、で」
アスモデアの、笑みが、深くなる。
彼は、ゆっくりと、次の一枚を、めくった。
そこに、現れるはずだったのは、彼の、魔術によって、操作された、絶対的な、『2』のカード。
しかし。
めくられた、カードに、書かれていたのは、**『8』**の数字だった。
「なっ…!?」
アスモデアの、顔から、初めて、笑みが、消えた。
「よっしゃあ!」
アイが、歓声を上げる。
「すごいじゃん、主サマー!」
「…ま、まぐれだ」
アスモデアは、動揺を、隠しきれないまま、次の、カードを、引いた。
『4』。
「さあ、次は、どうする?」
「…ろ、ローで…」
ユウマが、答える。
アスモデアが、めくった、カード。
それは、本来ならば、『9』のはずだった。
しかし、そこに、現れたのは、**『3』**だった。
「…なぜだ…」
アスモデアは、戦慄した。
自分の、完璧な、魔術が、機能しない。
それどころか、まるで、世界の、法則そのものが、自分に、牙を、剥いているかのようだった。
ユウマは、その後も、次々と、当て続けた。
彼が、ハイと、言えば、ハイになり、
ローと、言えば、ローになる。
もはや、それは、確率論ではなかった。
ユウマの、言葉そのものが、カードの、数字を、決定していたのだ。
やがて、檻の中の、奴隷たちは、全て、解放された。
アスモデアは、椅子に、崩れるように、座り込んでいた。
その、プライドは、完全に、粉砕されていた。
しかし、その、蛇のような、瞳の奥には、怒りでも、絶望でもない。
自らの、理解を、超えた、絶対的な、『理』を、目の当たりにした、歪んだ、歓喜の光が、宿っていた。
「…面白い…」
彼は、恍惚と、して、呟いた。
「面白いぞ、賢者ユウマ…。貴様は、我が、生涯をかけても、解き明かすに、値する、最高の、『謎』だ…」
ユウマは、自分が、またしても、とんでもない、厄介な、信者を、一人、生み出してしまったことに、全く、気づいていなかった。
彼は、ただ、解放された、奴隷たちの、歓声を聞きながら。
早く、この、胃の痛くなる、空間から、解放されたい、と、心の底から、願うだけであった。




