第百二十話 魔界の日常と、混沌への招待
魔界銀座商店街にある、リリスの実家での数日間。
それは、ユウマにとって、これまでの旅で、最も「普通」に近い、穏やかな時間だった。
朝は、チビすけの「『パパー、お腹、空いたー』」という、脳内モーニングコールで、目を覚ます。
日中は、ガガルの、あまりにも前衛的なラップの練習に、頭を抱えたり、アイの、ガラクタ(宝物)集めに、付き合わされたり、アリアの、聖なる祈りによって、部屋が、浄化されすぎて、目がチカチカしたりした。
そして、夜は、リリスが、どこからか、仕入れてくる、奇妙で、しかし、どこか美味しい、魔界のB級グルメを、みんなで、囲む。
胸元では、エンマが、時折、『…チビすけ君、好き嫌いは、感心しませんな。その、紫色の物体も、栄養バランスを考えれば…』などと、食育に関する、ありがたい(迷惑な)講義を、垂れてくる。
(…なんか、慣れちゃったな、この生活…)
ユウマは、腕の中の、チビすけを、あやしながら、静かに、思った。
それは、彼が、望んでいた、スローライフとは、似ても似つかぬ、騒々しくて、混沌とした、日常。
しかし、不思議と、心地よかった。
その、偽りの平穏を、終わらせたのは、やはり、リリスだった。
「―――さて、と」
ある日の、昼下がり。
彼女は、ソファに、寝そべったまま、一行に、告げた。
「いつまでも、こんな、田舎で、燻っていても、仕方ないでしょ。そろそろ、行きましょうか」
「どこへ行くのだ、リリス殿!」
ガガルが、身を乗り出す。
「決まってるじゃない」
リリスは、ニヤリと笑った。
「この、商店街は、ただの、寂れた、場末の、歓楽街。…ここからが、本当の、魔界よ。七大公が、覇権を争う、混沌の、中心へ」
「『力の宝玉』の、手がかりも、そこにあるはずだわ」
その言葉に、仲間たちの、顔が、引き締まる。
ユウマもまた、覚悟を、決めた。
この、穏やかな日常を、守るためには、いつまでも、ここに、隠れているわけには、いかない。
一行が、出発の準備を、始めた、その時だった。
ドン! ドン! ドン!
家の、古びた扉が、乱暴に、叩かれた。
「おい! 開けろ! ここに、『器』の、小僧が、いるってのは、分かってんだぞ!」
下品な、ダミ声が、響き渡る。
ガガルが、即座に、戦斧を手に、扉の前に、立ちはだかる。
「何奴だ!」
「へっ! 俺たちは、七大公が、一人、暴食王ベルフェゴールの、配下だ! その小僧を、大人しく、こちらに、引き渡せば、命だけは、助けてや…」
男の、言葉は、最後まで、続かなかった。
ガガルが、扉ごと、その男を、蹴り飛ばしていたからだ。
外には、見るからに、柄の悪い、十数人の、魔物たちが、武器を構えて、立っていた。どうやら、ユウマの、居場所が、ついに、嗅ぎつけられてしまったらしい。
「ちっ、面倒なことになったわね」
リリスが、ため息をつく。
「主サマ! ウチが、やる!」
アイが、弓を構える。
「いえ、ここは、わたくしが…!」
アリアも、護りの、印を結ぶ。
仲間たちが、一斉に、臨戦態勢に入った、その時。
ユウマは、静かに、一歩、前に出た。
「…待って」
彼は、仲間たちを、手で制した。
そして、腕の中の、チビすけを、アリアに、そっと、預けると、一人、魔物たちの前に、立った。
その瞳には、もはや、恐怖の色は、なかった。
ただ、静かな、しかし、燃えるような、怒りの炎が、宿っていた。
「…こいつの、眠りを、邪魔するな」
それは、ただの、父親の、ささやかな、願い。
しかし、その言葉は、この世界の、理を、歪めるには、十分すぎた。
ユウマの**『我が子の、安眠を、守る』という、絶対的な、父性**。
それが、引き金だった。
【ユウマの『守護』の概念が、敵の『敵意』によって、『絶対的な、斥力(拒絶)』の概念へと、反転・暴走する】
ごうっ!
ユウマの身体から、目に見えない、しかし、抗いがたい、斥力の、衝撃波が、放たれた!
魔物たちは、攻撃を、仕掛けることすら、できず。
まるで、巨大な、透明な壁に、叩きつけられたかのように、全員が、一斉に、後方へと、吹き飛ばされていった。
そして、そのまま、商店街の、アーチの、遥か、彼方へと、綺麗な、放物線を描き、小さな、星となって、消えていった。
「「「……………」」」
後に残されたのは、完全な、静寂と、呆然と、立ち尽くす、仲間たちだけだった。
「…おお…」
ガガルが、震える声で、言った。
「…ユウマ様が…ついに、自らの、お力で、敵を…! しかも、指一本、触れることなく…!」
ユウマは、自分の、両手を、見つめていた。
(あれ…? 俺、今、何をした…?)
彼は、ただ、邪魔するな、と、強く、思っただけだった。
その、純粋な、想いが、これほどの、力を、生み出したことに、彼自身が、一番、驚いていた。
リリスは、その光景を、満足げに、見つめていた。
「…ようやく、自分の、力の、使い方を、覚え始めた、みたいね」
彼女は、楽しそうに、笑った。
「さあ、行きましょうか。…退屈な、日常は、もう、終わり。ここからは、あんたが、主役の、本当の、ショーの、始まりよ」
ユウ-マは、静かに、頷いた。
彼は、アリアから、チビすけを、受け取ると、その、温かい、重みを、確かめる。
そして、仲間たちと共に、混沌の、魔界の、中心へと、その、最初の一歩を、踏み出したのだった。




