第百十七話 魔界の実家と、ただいまの食卓
「私の、家は、こっちよ。まあ、数百年、帰ってないから、埃だらけでしょうけどね」
リリスが、一行を導いた先。それは、魔王の元愛人という、彼女の肩書からは、想像もつかないほど、ごく普通で、少し古びた、二階建ての、石造りの家だった。
看板も、装飾もない。ただ、ドアの横に、かすれた文字で、『LILITH'S HOUSE』と、書かれた、プレートが、かろうじて、残っているだけ。
「ここよ。私の『実家』」
リリスは、どこか、照れくさそうに、そう言うと、軋む音を立てて、扉を開けた。
中は、彼女の言った通り、分厚い埃が、積もっていた。しかし、家具の配置や、部屋の作りは、驚くほど、庶民的で、生活感に、溢れていた。
「へえ、なんか、フツーの家じゃん」
アイが、面白そうに、部屋を、見回す。
「フツーで、悪かったわね」
リリスは、そう言うと、一番、居心地の良さそうな、ソファに、どかっと、腰を下ろした。
「さあ、あんたたち。見てないで、さっさと、掃除なさい。今夜は、ここに、泊まるんだから」
その、あまりにも、女王様な、態度。
しかし、仲間たちは、文句も言わず、なぜか、楽しそうに、掃除を、始めた。
「よし! 我が主君が、お休みになる、この家を、塵一つない、聖域にしてくれるわ!」
ガガルは、やる気満々で、袖をまくり上げると、巨大な、蜘蛛の巣を、素手で、豪快に、薙ぎ払い始めた。彼の、それは、もはや、「破壊的清掃」だった。
「まあ、仕方ありませんわね」
アリアは、微笑むと、その、両手を、広げた。
「聖なる光よ、この家の、穢れを、祓いたまえ! 聖なる浄化!」
彼女の手から、放たれた、柔らかな光が、部屋中の、埃を、キラキラとした、光の粒子に変えて、消滅させていく。
「うわ、アリアっち、マジ、チートじゃん」
アイは、感心しながらも、自分は、リリスの、古い、ドレッサーの引き出しを、漁り始めていた。
「うわ、見て! この、指輪! ちょー、ダサいんだけど! ウケる!」
「こら、人の、黒歴史を、漁るんじゃないわよ!」
ユウマは、その、カオスな、大掃除の、光景を、ただ、呆然と、見ていた。
しかし、いつまでも、そうしているわけにも、いかず。彼は、隅に、立てかけてあった、一本の、古い、ほうきを、手に取った。
そして、ただ、黙々と、床に積もった、埃を、掃き始めた。
魔法も、怪力も使わない。ただの、普通の、掃除。
その、あまりにも、地味で、当たり前の、作業が、なぜか、今の、ユウマの心には、ひどく、心地よかった。
やがて、家は、見違えるように、綺麗になった。
その日の、夕食は、商店街で、買ってきた、よく分からない、魔界の野菜や、肉を、一つの、大きな鍋で、煮込んだ、だけの、シンプルな、シチューだった。
テーブルを、囲む、仲間たち。
「フン! この肉、なかなか、歯ごたえがあるな!」
「まあ、お野菜が、とても、甘いですわ」
「てか、この、紫色の、イモ、超うまくね!?」
いつも通り、騒々しくて、まとまりのない、食事風景。
ユウマは、その、真ん中で、温かい、シチューを、一口、口に、運んだ。
特別な、味は、しない。
だけど、なぜか、涙が、出そうになるくらい、美味しかった。
腕の中の、チビすけも、心地よいのか、穏やかな、虹色の光を、放っている。
その光が、焚き火のように、みんなの顔を、優しく、照らしていた。
(うるさくて…)
(めちゃくちゃで…)
(訳が、分からない…)
ユウマは、向かいの席で、ガガルと、アイが、最後の一切れの肉を、巡って、フォークで、突き合っているのを、ぼんやりと、眺めていた。
(でも…)
(…悪くないな、こういうのも)
彼は、この異世界に来て、初めて、心の底から、そう、思った。
王城の、豪華な、晩餐よりも。
精霊の国の、神秘的な、ご馳走よりも。
この、埃っぽい、魔界の、片田舎の家で、気の置けない(置きすぎる)仲間たちと、つつく、一つの鍋の方が、ずっと、温かかった。
平穏とは、静かな場所で、一人で、過ごすことではないのかもしれない。
この、どうしようもない、混沌の、日常こそが、いつの間にか、彼の、かけがえのない、『帰る場所』に、なっていたのだから。




