第百十三話 知の継承と、王たちの催促
『…ワシは、もう、疲れた…。この、面倒な、宝玉の、管理も、今日で、終わりじゃ…』
伝説の大賢者アガスティアの、あまりにも人間臭い、ギブアップ宣言を最後に、最深部の、荘厳な本は、その光を失い、ただの、古びた、革張りの本へと、戻った。
静寂が、戻ってくる。
「…え、これ、もう、もらっていいの…?」
ユウマは、恐る恐る、台座の上の本へと、手を伸ばした。
彼が、その、ざらついた、表紙に、指先で、そっと、触れた、瞬間。
本は、ぱらぱらと、自らの、ページを、めくり始めると、まばゆい、黄金色の光を放ち、その形を、変えていった。
やがて、光が収まった時、ユウマの手のひらに、収まっていたのは、無数の、複雑な、幾何学模様が、内側で、明滅する、美しい、黄金色の、宝玉だった。
七つの、創世の宝玉が、一つ、『知の宝玉』。
「おお…! ついに、ユウマ様が、世界の、全ての、知識を、その手に…!」
ガガルが、感動に、打ち震える。
しかし、ユウマは、何も、感じなかった。
頭の中に、世界の真理が、流れ込んでくることも、自分が、急に、賢くなった、という実感も、全くない。
ただ、少し、温かい、綺麗な、石ころが、手の中にあるだけだった。
(…あれ? 何も、起きないな…)
ユウマが、首を傾げた、その時。
彼の腕の中から、**きゅぴーん!**と、ひときわ、甲高い、鳴き声がした。
チビすけだった。
宝玉の中の、小さな芽が、まるで、「お腹すいた! それ、ちょうだい!」とでも、言うかのように、ユウマの手の中の、黄金色の宝玉に向かって、ぴょこぴょこと、葉っぱを、振っている。
「え、お前、これ、食べるの!?」
ユウマが、驚いているうちに、チビすけは、自ら、ユウマの腕の中から、飛び出すと、黄金色の、『知の宝玉』に、ぱくり、と、食らいついた。
『知の宝玉』は、まるで、アメ玉のように、チビすけの、翠色の宝玉の中へと、するりと、吸い込まれていく。
そして、チビすけの宝玉が、再び、虹色の、輝きを放ち始めた。
その中の、小さな芽に、五枚目となる、新たな葉が、ゆっくりと、芽生えていく。
その葉は、まるで、小さな、開かれた、本の、形をしていた。
「…食べた…」
アイが、呆然と、呟いた。
「世界の、お宝を、食べちゃったよ、この子…」
その、あまりにも、衝撃的な、光景。
その、静寂を、破ったのは、ユウマの胸元で、けたたましく、鳴り響いた、警告音だった。
『―――警告! 警告! 特級重要管理物、『知の宝玉』の、ロストを、確認! おい、佐藤優馬! 貴様、何をした!』
冥王エンマの、ヒステリックな、絶叫が、『冥王の宝珠』から、響き渡る。
『世界の、理の、結晶を、子供の、おやつにするな! 常識を、考えろ、常識を!』
「俺に言われても!」
エンマの、説教が、続く中、今度は、天井の、穴から、**ヒュンッ!**と、白銀の、機械鳥が、舞い降りてきた。
ウィルナス王からの、新たな、メッセージだった。
ホログラムが、現れる。
その顔は、満足げな、笑みを、浮かべていた。
『―――見事だ、賢者ユウマ。俺の、想像を、遥かに、超える、やり方で、『知の宝玉』を、手に入れるとはな。実に、素晴らしい、結果だ。…さて』
ウィルナスの、金色の瞳が、キラリと、輝く。
『ゲームは、まだ、終わらんぞ。次なる、盤面を、用意した。今度は、力比べと、いこうではないか。魔界の、連中が、狙う、『力の宝玉』。貴様が、奴らより、先に、手に入れられるか、見せてもらおう』
その、あまりにも、一方的な、催促。
『待て、ウィルナス!』と、エンマが、叫ぶ。
『これ以上の、宝玉の、移動は、世界の、均衡を、乱す! 許可できん!』
「黙れ、石頭」と、ウィルナスが、返す。
「ゲームの、邪魔をするな」
二人の、王が、再び、ユウマを、挟んで、壮絶な、口喧嘩を、始めた、その時。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
『全知の書庫』全体が、激しく、揺れ始めた。
主である、『知の宝玉』を、失ったことで、この、巨大な、本の迷宮が、その、存在を、維持できず、崩壊を、始めたのだ。
「やば! 壊れる!」
アイが、叫ぶ。
「ユウマ様、こちらへ!」
ガガルが、ユウマを、担ぎ上げる。
一行は、慌てて、あの、禁断の、エレベーターへと、飛び込んだ。
扉が、閉まる、寸前。
ユウマは、見た。
何百万冊もの、書物が、奈落の底へと、崩れ落ちていく、壮絶な、光景を。
エレベーターは、凄まじい、速度で、地上へと、降下していく。
その、揺れる、箱の中で。
ユウマは、腕の中で、満足げに、本の形の、葉っぱを、揺らしている、我が子と。
胸元で、ギャーギャーと、言い争いを、続ける、二人の王の、宝珠と、機械鳥を、交互に、見比べた。
彼は、静かに、思った。
(…俺の、スローライフは、どこ…?)
彼の、平穏を求める旅は、もはや、彼自身の、意思など、関係なく。
世界の、理を、賭けた、王たちの、壮大な、ゲームの、駒として、否応なく、進められていくのだった。




