第百十一話 無限の書架と、沈黙の司書
『全知の書庫』の内部は、静寂そのものだった。
どこまでも、どこまでも、天を突くほどの高さの書架が、無限に、林立している。その一つ一つに、古今東西の、あらゆる知識が、収められた書物が、ぎっしりと、並んでいた。
空気は、古びた紙の匂いと、微かな、魔力の香りが、混じり合っている。
「す、すげえ…。マジ、無限じゃん…」
アイが、その、圧倒的な光景に、息を呑む。
「フン! これだけの書物があれば、我が魔王軍の、さらなる、発展も、望めよう!」
ガガルは、すでに、知識を、軍事転用する、ことしか、考えていない。
「…静かに。ここは、神聖な、場所ですわ」
アリアが、一行を、諌める。
ユウマは、ただ、呆然と、その光景を、見上げていた。
(…こんなの、全部、読めるわけないだろ…)
彼の、ささやかな、「本を読んで、静かに暮らしたい」という願いは、目の前の、現実の、あまりの、スケールの大きさに、早くも、打ち砕かれそうになっていた。
一行が、その、無限の、書架の、迷宮に、足を踏み入れた、その時。
彼らの、目の前に、音もなく、一人の、人物が、現れた。
それは、性別も、年齢も、分からない、中性的な、顔立ちをしていた。
全身を、インクのような、漆黒の、ローブで、覆い、その手には、巨大な、羽ペンを、持っている。
その瞳は、まるで、ガラス玉のように、何の、感情も、映していなかった。
『―――侵入者を、確認』
その声は、男でも、女でもなく、ただ、情報だけを、伝える、無機質な、響きを持っていた。
『私は、この、書庫の、全てを、管理する、自動書記人形。…コードネーム、『アルカナ』』
司書、アルカナは、ユウマを、じっと、見つめた。
『…入り口の、概念結界を、強制的に、書き換えた、特異点を、検知。…貴方が、原因ですね』
その、感情のない、瞳が、わずかに、細められる。
『貴方の、存在は、この、書庫の、秩序を、乱す、危険な、バグです。…本来ならば、即刻、排除、すべきですが…』
アルカナは、そこで、一度、言葉を切った。
『…システムが、貴方を、『新たなルール』として、認識し始めている。…理解、不能。…よって、査定プロトコルを、実行します』
「査定だと?」
ガガルが、警戒して、一歩、前に出る。
アルカナは、ガガルには、目もくれず、ただ、ユウマに、語りかけた。
『『知の宝玉』への、アクセス権を、要求していることを、確認。…その、資格を、証明するため、古より、定められし、三つの、試練を、クリアしてください』
「試練だと!? 面白い!」
ガガルが、腕を鳴らす。
アルカナは、静かに、最初の、問いを、提示した。
『第一の問い。『始まりもなく、終わりもない。全てを、飲み込み、全てを、生み出す、円環の名は、何か』』
それは、哲学的な、謎々だった。
仲間たちが、うーん、と、頭を捻り始める。
「円環…? ウロボロスか?」
「いえ、輪廻転生の、理を、問うているのかも…」
その、真剣な、議論の、横で。
ユウマは、ただ、うんざりしていた。
(また、これかよ…)
(なんで、本を読むのに、いちいち、面倒くさい、謎解きしなきゃ、いけないんだ…)
(普通に、目的の階まで、エレベーターとかで、行かせてくれれば、いいのに…)
彼は、心の底から、そう、思った。
ただ、純粋に、「面倒くさい」と。
ユウマの**『究極の、面倒くさがり精神』**。
それが、引き金だった。
【ユウマの『ショートカットしたい』という、怠惰な概念が、『全知の書庫』の『試練を課す』という、理に、上書きされる】
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
ユウマの、目の前にあった、巨大な、書架が、突然、轟音と、共に、その形を、変え始めた!
無数の、本が、まるで、ブロックのように、組み合わさり、書架の、側面が、スライドして、一つの、扉と、なったのだ。
扉の、横には、『↑最深部』と、書かれた、矢印と、『開』『閉』と、書かれた、ボタンが、光っている。
それは、どう見ても、エレベーターだった。
「「「「「……………は?」」」」」
ユウマ以外の、全員の、声が、ハモった。
『…エラー。エラー。試練の、プロトコルを、無視した、物理的、ショートカットの、出現を、確認。…原因、不明。…論理回路に、致命的な、矛盾が、発生…。システム、再起動…シャットダウン…zzz…』
司書、アルカナは、その、ガラス玉のような、瞳を、ぐるぐる、と回転させると、煙を、ぷすぷすと、頭から、吹き出し、そのまま、機能停止して、その場に、ばたり、と倒れた。
「おお…!」
ガガルが、震える声で、言った。
「ユウマ様は、矮小な、謎解きなど、不要と、道そのものを、お創りになられたのだ! そして、その、あまりの、偉大さに、この、書庫の、番人の、思考回路は、焼き切れてしまった…!」
「(違う! 俺は、ただ、エレベーターが、あったら、楽だなって、思っただけなんだあああっ!!)」
ユウマの、心の絶叫は、誰にも、届かない。
彼は、自分が、またしても、とんでもないことを、しでかしてしまった、という、罪悪感と、目の前に、現れた、あまりにも、便利な、エレベーターの、誘惑との間で、激しく、葛藤しながら。
結局、その、禁断の、扉へと、足を踏み入れてしまうのだった。




