絶望
勢いよく外に飛び出すと、いつの間にか外は大雨になっていた。傘もささず走り出す。お兄ちゃんのせいで私が汚れてしまった気がした。お兄ちゃんの臭いニオイは、どんなに大雨に濡れてもちっとも綺麗にならない気がした。走りながら私は泣いていた。涙があふれてきて止まらなかった。
今までのことを思い出す。私が生まれてから、今までのこと。私は顔も可愛くないし、お兄ちゃんと同じですごく太っている。お洒落でもないし、頭もよくない。引っ込み思案で、人見知り。友達も少ない。クラスの全員から、無視されたこともある。いじめられたことも、なぐられたこともある。塾では先生にまでからかわれていたし、家では親にまで愛されていない。
私なんて、生きている意味ない。
私なんて、死んだ方がマシ。
そんなことを考えていたら、涙があふれて止まらなくなった。走るのをやめて、立ち止まる。自分でも気づかないうちに「喫茶レモンパイ」の前に来ていた。
今朝、私にほほえみかけてくれたあの人。いつもうっとりするような甘いレモンパイを作ってくれる、あの人。あの人に会いたい。あの人にせめてもう一度、会いたい。
私は、あの人に会ったら自殺しようと思った。こんな世界に私の居場所なんて、ないのだから。私が死んだら、私が吸っている酸素を他の人にあげられる。私が死んだら、私が吐いている二酸化炭素の量の分だけ地球温暖化を止められる。私は、死んだ方がこの世界のためにはいいんだって、そう思った。でも、許されるのなら、せめてあと一目だけあの人を見てから死にたい。
喫茶店の窓からそっと中をのぞくと、あの人とマスターが楽しそうに談笑しているのが目に入った。あの人が優しい笑顔でそこにいる。私がこの喫茶店のドアを開けて、毎朝そうしているように、お店の中に入っていったら、きっと「いらっしゃいませ」って私にもあの笑顔を向けてくれるだろう。でも私は、今、どしゃぶりの中を傘もささずに走ってきたせいでとても好きな人の前に出て行けるような格好ではない。それに、泣いて目が真っ赤に腫れている。
私は、喫茶店の窓からそっと遠ざかった。そして、壁にもたれてその場にしゃがみこむ。あの人の笑顔を最後に見れた。それだけで、もうこの人生に思い残す事なんてない。さよならを言いたい人なんていない。自殺する場所は決めてあった。あの、綺麗な景色が見られる丘の上から飛び降りよう。今日は生憎の雨で綺麗な夕焼けは見られないけれど、でも、死ぬならあそこがいい。そして、死んだ顔は決してあの人には見られたくない。きっと不細工だから。
そんなことを考えていると、急に「喫茶レモンパイ」のドアが開いて、あの人が登場した。そして、私のほうに小走りで近寄ってくる。私は急に頭が真っ白になって動けなくなってしまった。だめじゃない、死ぬって決めたのに!あの人に会ったら、決心が鈍っちゃうのに!
あの人は、私の頭の上に傘をさして、大丈夫ですか、風邪ひいちゃいますよ、中に入りましょう、と言ってくれた。ほのかなレモンパイの香り。あの人の香りだ。きっとレモンパイを焼いていたのだろう。あの人のレモンパイ。ああ食べたい。でも、私は首をふった。
「大丈夫です。なんでもないです。すぐ帰りますから。ご心配かけてごめんなさい」
「でも、ずぶぬれですよ。中に入って温かいティーでも飲んでいってください。レモンパイも今ちょうど焼き上がったんです。焼きたてでおいしいですよ」
「本当に大丈夫ですから!私みたいな汚い人間があなたと話す権利なんてないんです!ほっといてください!」