第6章:悪意(一)
帝都を揺るがす「異能者連続衰弱事件」の暗い影が、一条家にも色濃く落ちていた頃。季節外れの夜会への招待状が届いたのは、そんなある日の午後だった。主催は宮家の一つであり、帝都最強と謳われる一条家の当主代理として、博人が出席するのは義務であった。
「……奥様も、ご同席いただきます」
博人の側近、村瀬が事務的に報告する。
共に来た侍女が差し出したのは、豪奢な装飾が施された衣装箱だった。蓋を開けると、夜の湖面を思わせる深い瑠璃色の絹地が、柔らかな光を放っている。添えられた宝飾品は、星々の雫を集めたかのように眩い輝きを放っていた。それは、公爵家の妻にふさわしい、一点の曇りもない最高級の品々だった。
だが、真由はそれらを前にして、喜びよりも先に息苦しさを覚えた。九重家で「出来損ない」と蔑まれ、屋敷の片隅で息を潜めるように暮らしてきた自分には、あまりにも不釣り合いな世界。姉たちの華やかなドレス姿を、いつも遠くから羨望と諦念の混じった思いで見つめていた記憶が、胸の奥でちくりと痛んだ。
「このような、きらびやかな場所は……、私には……」
思わず漏れた弱音を打ち消すように、真由は唇をきつく結ぶ。これは偽りの夫婦。分かっている。けれど、博人の妻として、一条家の名に泥を塗るわけにはいかない。鏡に映る自分は、まるで上等な衣装に着られているだけの、中身のない人形のように見えた。
準備を終え、階下へ降りると、そこには黒の洋装に身を包んだ博人が立っていた。普段の隙のない軍服姿とはまた違う、洗練されたその佇まいは、まるで西洋の彫像のようだ。
彼は真由を一瞥すると、ただ短く「行くぞ」とだけ告げた。その瞳に何の感情も浮かんでいないことに、真由は安堵と、ほんの少しの寂しさを感じながら、彼の後に続いた。
夜会が開かれる館は、眩いばかりの光の洪水に満ちていた。大理石の床にシャンデリアの光が乱反射し、着飾った紳士淑女たちの喧騒が、まるで別世界の音楽のように響いている。
その場の空気に圧倒され、真由は知らず知らずのうちに俯き、博人の半歩後ろを歩いていた。その小さな背中は、誰にも気づかれないように、か細く震えていた。